とっくん
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とっくん
@tokkun_com
アイアムアーティスト 金なし職なしロクデなし 今日も元気にのびのびと
ボイジャー Katılım Ocak 2010
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こういう発想すき。
この発想を思考実験すると、なぜバーカウンターが柔らかいオイル仕上げの木なのかがわかる。
タングステンカーバイドの一枚板でできた、徹甲弾にも耐えるバーカウンターでお酒飲みたい?
俺は飲みたい。
gugufydtjvfdj@gugufydtjv6462h
@bar_nezunomi 逆にロレックスにキズが付く材質に変えよう
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大石恵美 - 余興 (松本人志 diss) @ 第70回岸田國士戯曲賞授賞式 2026.5.10
ざわつかせてるやつのぶっこ抜き。確かにに良い。愛があったゆえの辛辣さ
フルはここ👇 2時間6分から。同じく話題になってる蓮見翔の受賞スピーチと合わせてダウ9000のパフォーマンスもおすすめ
youtube.com/live/lKPkZXH3V…

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小泉今日子のコンサートで憲法9条の朗読音源を流す行為については、「アーティストも市民であり、意見表明は自然」と擁護される。一方で、RADWIMPSの愛国的な歌詞には「軍国主義を想起させる」「ナショナリズムの危険」といった批判がすぐに付与され、謝罪まで要求されました。
もちろん、アーティストが政治的・社会的な表現をする自由はあります。 問題は、その自由が立場によって不均等に扱われているように見えることです。
反政府的、護憲的、反権力的な表現は「市民としての表現」とされる。 しかし、愛国的な表現は「危険なナショナリズム」として監視される。この違いこそ、いま問われるべきだと思います。
表現の自由を語るなら、自分と思想が近い表現だけでなく、自分が違和感を持つ表現にも同じ基準を適用するべきです。「それはそれ、これはこれ」と言うなら、愛国的な歌にも同じように言うべきではないでしょうか。

二本松哲也@t_nihonmatsu
RADWIMPSの「HINOMARU」騒動を振り返ると、問題の本質は、愛国的な歌詞そのものよりも、それに対する反応の非対称性にあったように思います。 反政府的、反体制的、あるいは日本を否定的に描く表現には「表現の自由」「社会批評」「権力への抵抗」として比較的寛容な一方で、 自分の生まれた国を好きだと歌う表現には、すぐに「戦前回帰」「軍国主義」「排外主義」の補助線が引かれる。 もちろん、ナショナリズムが行き過ぎれば危険を伴います。しかし、「自国を大切に思うこと」と「他国を排除すること」は本来まったく別のものです。 日本が好きだと言うことは、他国を嫌うことではない。 日の丸を大切にすることは、戦争を賛美することではない。 祖国を誇ることは、排外主義を肯定することではない。 にもかかわらず、愛国的な表現だけが過剰に政治化され、監視対象のように扱われるなら、それは中立ではなく、特定の価値観に基づく抑制です。メディアに求められるのは、愛国表現への条件反射的な警戒ではなく、表現を対称的に評価する姿勢だと思います。 問われるべきは、「愛国心は危険か」ではなく、 愛国心と排外主義をきちんと区別できる社会であるかどうかです。 news.yahoo.co.jp/expert/article…
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アメリカ人が肥満イジリでここまでクソみたいに怒ると思わなかったわ
普段あれだけ差別してるのにこんなジョーク1つ受け流せないとかどんだけ煽り耐性無いんだよ
ショーン🌸不退転@_mAKE_mE_mAD_
アメリカ人ももっとアメリカ人らしく描く必要あるよな
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