
西宮💉×4
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西宮💉×4
@westernpalace
💉×4(ファファモモ(BA.1))成人。銀河英雄伝説、称号、王侯貴族、英国等。あと、定期で新型コロナ感染者数、野球、内閣支持率。
典礼省尚書官房 Katılım Nisan 2010
62 Takip Edilen228 Takipçiler

赤谷正樹「清盛の死因-藤原邦綱の死との関連を中心に」日本医史学雑誌第62巻1号(2016年3月)
jshm.or.jp/journal/62-1/i…
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奈良の大仏を焼いた罪により、生きながらに焦熱地獄を味わっている死の間際の平清盛です。高熱を発して苦しむ清盛を、石の舟に満たした水に浸けて冷やそうとしたら沸騰してお湯になり、水をかけたら瞬時に蒸発して炎を発し、黒煙が上がる光景。
PzKpfwI 판처@kampfwagen_I
이거 도대체 무슨 상황을 묘사한거임
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@hiroki_kitanoda 以前はマラリアが定説でしたが、最近は猩紅熱(溶連菌感染症)だったのでは?と言われていますね。
高倉天皇(娘婿)→藤原邦綱(腹心)→平清盛
という感染ルート。
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動画再生で流れた赤ちゃん猫の悲鳴を聞いて、直ちに駆けつけてくる猫たちの報告が相次いでいて、実に尊い。
うにむぎはちむーの保護猫シェルター😸🇯🇵@uni_mugi_hachi
初めての目薬で大暴れする赤ちゃん猫
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もし今の1年の長さ(365日5時間48分45秒)で一定だったら、
④ただし、西暦年が3200で割り切れる年は平年
を追加することで、完全にずれの累積をキャンセルできるのな。
現実は一定ではないのでダメだけど。私が習った頃(昭和)の端数は5時間48分46秒だったし……。<-0.5秒/100年くらい
東大へ行け!@toudaiike
うるう年の定義 ①西暦年が4で割り切れる年は原則うるう年 ②ただし、西暦年が100で割り切れる年は平年(例:2100年、2200年) ③ただし、西暦年が400で割り切れる年はうるう年(例:2000年、2400年) これで約3320年で1日しかズレないらしい。よく出来てる。
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RT @suit_2025: 先に挙げたローズベリー伯爵と同じ時代に活躍し、同じく「No brown in town」を準拠していた当時のイギリス貴族を他にもピックアップしてみたいと思います。
まずは、第4代リブルスデイル男爵トーマス=リスターを取り上げたく。… https:…
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おはようございます。
本日5月21日は、第5代ローズベリー伯爵アーチボルド=プリムローズ氏が逝去された日です。
ヴィクトリア朝後期からエドワード朝にかけて活躍したイギリスの首相であり、英国貴族として最高峰のビスポークを日常着としていた人物です。
伯の着こなしは、フロックコートからモーニングコート、さらに現代のスーツの原型であるラウンジスーツへと紳士服が移行していく過渡期のクラシック・スタイルを後世に伝えるもので、昨日取り上げた「No brown in town」を地でいく階級層でもありますので、ピックアップしていきたいと思います。
1. 当時の社会情勢と服飾トレンド
ローズベリー伯が政治の表舞台で活躍した1880年代から1890年代にかけての英国における紳士服は、以下のようにはっきりとしたTPOによって分類されていました。
タウンウェア(ロンドンでの正装):
議会やロンドンの社交界ではフロックコートにシルクハットが絶対的な標準装備でした。
色は黒やチャコールグレーなどの暗色で、膝丈まで伸びる直線的なシルエットが特徴です。
カントリーウェア:
領地での狩猟や乗馬シーン、競馬場などでは、裾を大きく切り落としたモーニングコートや、よりカジュアルなラウンジスーツ、そしてツイード素材が用いられ始めていました。
後の国王エドワード7世が牽引した、この「用途に応じた衣服の使い分け」のルールの中で、ローズベリー伯は政治家としての顔と、著名な馬主としての顔を衣服によって明確に使い分けていました。
2. 身体的特徴と身だしなみ
例えばソールズベリー侯爵の豊かな髭や、グラッドストンの特徴的なもみあげなど、当時の政治家の間では威厳を示すための髭をたくわえるのが一般的でしたが、ローズベリー伯は髭を綺麗に剃り落としていました。
これにより、実年齢よりも若々しくモダンな印象を与えていました。
また、若い頃は端正な顔立ちと標準的な体格でしたが、晩年に向けてガタイの良い体型へと変化していきます。
その体型変化をテーラリングによって補正し、常に隙のないシルエットを維持していました。
3. 具体的な着こなしやディテール
伯の着こなしの最大の特徴は、サヴィル・ロウをはじめとする最高峰のテーラーで仕立てられたであろうヴィクトリア朝貴族の保守性にあります。
(1) 議会や公務でのスタイル
公的な場においては、当時の最も正式な昼間服であるダブルブレスト、またはシングルブレストのフロックコートを着用していました。
ラペルにはシルクの拝絹があしらわれていることもあり、格調高い仕立てが見て取れます。
首元には、当時流行していた、硬い糊付けの高い立ち襟(ウィングカラーやスタンドカラー)を着用していました。
これは首の動きを制限するもので、労働を必要としない階級であることを示すディテールです。
また、幅広のクラヴァットやアスコットタイをふっくらと結び、そこに真珠や貴石をあしらったネクタイピンを挿して固定している様子も見受けられます。
(2) 競馬場におけるスタイル
妻ハンナの生家であるロスチャイルド家の莫大な財産を背景に、彼は競馬界でも圧倒的な存在感を示していました。
エプソム競馬場などでは、フロックコートではなく、より乗馬に適したカッタウェイ・フロントのモーニングコートや、ツイードのスポーティなコートを着用し、頭にはシルクハットや山高帽を合わせていました。
4. 装いに込められた意図と歴史的役割
生まれ持った権威の誇示:
新興のブルジョワジー出身な政治家が「信頼性」や「勤勉さ」をアピールするために黒のフロックコートを着ていたのに対し、生粋の特権階級であったローズベリー伯爵にとってのテーラリングは「努力して獲得した地位ではなく、生まれながらに備わっている権威」をビジュアルで明示するものでした。
自由帝国主義者としての威厳:
彼は自由党に属しながらも、大英帝国の拡大と維持を支持する自由帝国主義の代表格でした。
革新的な政策を掲げつつも、その外見は英国の伝統と帝国の威信を体現する保守的かつ威風堂々としたものであり、急進派との差別化を図る上でも、その隙のない装いは重要なツールとして機能していたと考えられます。
彼のスタイルは、19世紀末の大英帝国における「頂点に立つ貴族」がどうあるべきかという社会規範を、最高級の生地と仕立ての技術をもって忠実に、かつ洗練された形で体現したものだったと言えるでしょうね。




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