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@torourus

富山県在住の歴史家くずれ モンゴル史、越中史について細々と呟いています

富山県 เข้าร่วม Kasım 2016
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qaraiquri@torourus·
蘇軾 題西林壁 橫看成嶺側成峰 遠近高低各不同  不識廬山真面目 只縁身在此山中
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今福 匡
今福 匡@Tadashi_Imafuku·
ぼ、墨蹟が薄いッ 大通寺から神奈川県立金沢文庫に寄託された文書、源平合戦期の歴史的史料群と判明 sankei.com/article/202606… @Sankei_newsより
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qaraiquri
qaraiquri@torourus·
朶顔衛の首長家で、実質的に朶顔衛の後身である。 以上、イフジョー盟・ウラーンチャブ盟・シリンゴル盟・ジョーウダ盟・ジェリム盟・ジョスト盟が所謂「内蒙古六盟」で、現在の内モンゴル自治区の前身である。フルンボイルとアラシャーについてはまた別途。9/9
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qaraiquri
qaraiquri@torourus·
現河北省北部一帯を支配するようになり、朶顔衛はその属部となった。ハラチンがチャハルの攻撃を受けて滅亡すると、その残党を朶顔衛が取り込み、清朝に降ってジョスト盟に編成された。ジョスト盟は「ハラチン部」「トゥメト部」を名乗る集団によって構成されるが、これを支配するのは明初以来の 8/n
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qaraiquri
qaraiquri@torourus·
あまり知られていない事項かと思い、過去の内モンゴル行政区画の背景メモを再ツイ。 15世紀後半、モンゴル高原東部を再統一したダヤン・ハーンは、配下の諸部族を左翼のチャハル、ハルハ、ウリヤンハン、右翼のオルドス、トゥメト、ヨンシエブからなる「ダヤン・ハーンの六トゥメン」に再編した。1/n
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qaraiquri
qaraiquri@torourus·
@Historian_nomad 昨晩同内容の事を突っ込もうとして寝落ちしてたので詳細なご指摘ありがとうございます。 「旧ジェリム盟地域」とかなら分かるんですけどね…「内蒙古自治区はハサルの末裔が暮らす地」はないでしょう。
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遊牧民
遊牧民@Historian_nomad·
木村先生のご業績からは大変多くの学びを得させていただいていますが、これはいくらなんでも目に余るご発言です。 モンゴル国はハルハモンゴルの領域と集団を直接的な起源とし、そのハルハはダヤン・ハーンの第十一子ゲレセンジェの裔です。 そして現在の内モンゴルに遊牧した諸部も当然ダヤンの裔。
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ぷぅ@Qar_Atoeb_ed
ぷぅ@Qar_Atoeb_ed@Qar_Atoeb_ed·
付け加えるとアムドの周縁部、蘭州と西寧を結ぶ湟水にあるチベット仏教寺院には度牒を発行した記録がありますが、その南の黄河沿いは実録だと不明。万暦期だとモンゴルの進入への対処で黄河沿いの地域とも関係を深めるのですが、それでもロンヴォ寺の僧侶の伝記には明朝の度牒は出てこなかったはず……
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ぷぅ@Qar_Atoeb_ed
ぷぅ@Qar_Atoeb_ed@Qar_Atoeb_ed·
明朝とチベットの関係だと朝貢と僧号授与が佐藤長以来よく言われますが、僧侶への度牒がどうなっていたのか。明朝は中国に滞在するチベット僧侶には度牒を発行していましたが、チベットに対しては形式だけでもやった事があるのか不明。もちろんチベットでは度牒など関係なく布教していたのですが。
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qaraiquri
qaraiquri@torourus·
大島絵本館で購入した本。 元朝秘史かと思ったら本当にそうだった…現代モンゴル語だとトブチヤンはこういう表記になるのね。
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qaraiquri
qaraiquri@torourus·
これまた滑り込みで大島絵本館のモンゴル交流展を見に行ってきました。 久しぶりのゲルでしたねぇ。こういう企画が今後もあるといいな。
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qaraiquri
qaraiquri@torourus·
あと地元が天神様をよく飾る地域なんで、鎌倉〜室町時代期の天神像が厳しく、ゴツく描かれていることに結構ギャップを感じた。天神様のイメージも移り変わってきたんだなと。 期間が被ってたトーハクの前田展と一部重複する展示があったのも面白かった。予習できた気分。
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qaraiquri
qaraiquri@torourus·
なんとか北野天神展覧会も滑り込みで見てきた。 恥ずかしながら豊臣秀頼が北野天満宮再興に関わり、今でも多くの秀頼縁の品があるとは知らなかった… しかし秀頼期のものとされる巨大な絵馬は圧巻の一言。あれは図録だと現物の迫力が分からない。
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qaraiquri
qaraiquri@torourus·
@yoshitsuna_h ご存知かもですが、同じく砺波郡井口郷に入ろうとして拒絶されたと天文日記に記載のある、「井口殿」が木沢長政と行動を共にしていた事が関係あるのではないでしょうか。 w.wiki/R97d
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畠山義綱
畠山義綱@yoshitsuna_h·
越国石黒又次郎等が1541年2月本願寺門徒になることを望み、加賀国と同様の措置を求めている(天文日記)。次いで6月木沢長政が本願寺証如に越中国を加賀国と同様の措置を求めている(天文日記)が、木沢は細川晴元と対立していて京都の政情は安定しなかったが、越中に関与しているのはなぜだろう。
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畠山義綱
畠山義綱@yoshitsuna_h·
ちなみに石黒氏は越中砺波郡についてであり、基本越中国は新川郡については椎名氏の婦負郡や射水郡については神保氏の守護代としての活動が知られるが、砺波郡は守護代遊佐の活動は大永年間以後ほとんど知られなくなり、本願寺門徒が強くなるが、あくまで越中一向一揆は加賀とは別組織だと言うこと。
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