
寫眞機械人
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大昔のスレにこんな投稿があった まさに理想の汽車旅像って感じだけど大体何年頃の話なんだろ?調べたところそもそも八甲田に食堂車はなくて東北行き急行でマシ35が充当されてたのは「北斗」・「北上」・「十和田」らしいが… それとこの頃の旧客食堂車のメニューってどんなだったんだろ?

懐かしみのある情勢。 日本食堂は確かに決して味評価などは優れていたとは言い難く、 自主向上サービスの本業飲食営業会社と言うより、仕組み的に確立した「給食業の業態」は感じられたかなと。 いろんなものがツーランク粗末であったのは子供心にも分かりましたし、 実は食堂車に対してあんまりいい思い出がないっていうのは 日本食堂のその給食的な営業の仕方に、憧れまではそんなに実は持たなかったってのもあるかもしれません。 非常に項目 業務的なサービスでしたし、ちょっと粗末で高いお値段という そんな感じでしたよね。 や、ある意味 仕方がないと思うんですけどね。 動く車両の中や、駅中での営業は当時としてはあまり営業効率がいいものではなかったし、今ほど物流が自由ではないから、簡単に調達を変えたりとか変更するということもままならなかった 物理的な事情があったと思います。 続けることが第一優先の業態になっていたというのはわかる気がするんです。 80年代 ですでに 一般的な 食堂などの供食業界とはちょっと 経路が違うのは分かりましたよね。 それが時勢の背景もあったからなにもかもがダメとも思わないんですよ 。 終戦の後のあちこちの産業生存活動の中で、 仕入すら政治的なやり取りの中で立場のしがらみのなか、営業収益は最大限引き伸ばすことができない状態であったかもしれませんが。



神「1年間だけ好きな時代に鉄道旅行してきていいよ」 ↑ いつ時代に行きますか? ※当時存在していない物の持ち込み禁止






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そういえば復活蒸気が都心まで来たんっていつが最後だっけ?10年ぐらい前にSL銀河のC58が来てたような気がするけど 単純に群衆事故が起きるのを恐れてるのかそれとも都心の過密ダイヤ上でSLがトラブル起こすのを恐れてるのかどっちなんだろ…









