プラユキ・ナラテボー【公式】

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@phrayuki

🌳タイで出家修行30年 💻Zoomで法話、瞑想指導、個人面談 📚著書『苦しまなくて、いいんだよ。』『自由に生きる』『脳と瞑想』など10数冊 📺NHK「こころの時代」「宗教の時間」他出演 📝自他の抜苦与楽に資するツイートをつむぎます 🌍ブログ『よき縁ネット』にて瞑想会の予定や著作、メルマガ登録など。こちら👇

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@myloggingdata @kokuchpro ひろあとさん、本日の瞑想実践会「花まつり企画」、ご参加いただき、ありがとうございました。参加後の心境改善とのこと何よりです😊 ひろあとさんが率直な疑問をいろいろと投げかけてくださったお蔭さまで、細やかな補足説明もできました。きっと参加の他の皆さんにも参考になったことと思います。
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ひろあと
ひろあと@myloggingdata·
プラユキ師「気づきの瞑想実践会31 花まつり企画」(アーカイブ配信、懇親会、補習あり) kokuchpro.com/event/716e497c… @kokuchproより プラユキ師に直接確認できて大満足 現実は変わってないのに、参加後の心境は改善でき感謝
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なるほど、環境を問題とみなしてしまうことが「環境問題」という発想は面白い。 ところで、仏教には「因縁」という言葉がある。現代では「因縁をつける」とか「色情の因縁」とか、ちょっと物騒な意味合いで用いられがちだが、実際は、「因=直接原因」「縁=間接条件」の意で、因と縁の結合によって「果=結果」が生じる、というこの世のありのままの原理を説明するための言葉である。 すなわち、「外部の設定(社会・職場・人間関係・経済・情報環境)が整っていないと動けない・なにも出来ない」というのは、「縁」の影響に依存しすぎて、それに相関して「因」の影響力を失い、その結果として、「動けない・何もできない」ということだ。 では、「因」とは何かといえば、私たちの「心」である。ここで言う「環境問題」の解決のためには、自らの心を整え、パワーを蓄え、智慧を育むことが必要となる。 それによって、状況を正確に把握し、的確に判断し、主体的に行動し、結果を出せるようになる。すなわち、「因」の影響力を増大させることで、相関的に「縁」の影響をそれほど受けずに結果を出すことが可能になる。そして、環境を最大限に生かして、生きることができるようになるのだ。
しおぎ@operaition

「環境が整ってなければ何もできない」「条件が悪いと無理」みたいな依存体質が当たり前の顔して蔓延してる。 外部の設定(社会・職場・人間関係・経済・情報環境)を整えてもらわないと、動けない・なにも出来ない・生きられないって人達が増えてる。 それが本当の「環境問題」だ。

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世界が不確かだから苦しいのではない。不確かなものを「確かであれ」と執着するから苦しいのだ。無常とは、現象の移ろいやすさを嘆くための教えではない。変化を脅威と見れば、心は縮こまって怯えて生きることになる。が、その真実に心を開けば、一瞬一瞬は瑞々しく蘇り、ワクワク生きることができる
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私たちがXなどSNSで触れる情報も、仏教的には「食(āhāra)」である。腐ったものを食べれば体調を崩すように、ジャンクな情報に触れてばかりいると、心は疲弊したり壊れたりする。なので、自覚的に心の栄養になる情報を摂取し、吟味して理解を深め、適切な判断や行動のパワーにしていくことが大事だ。
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聖書には「人はパンのみにて生きるにあらず」と記されているが、仏教でも人はただご飯を食べて生きているのではないとされる。すなわち、身体は食物によって養われ、心は所縁と触れ合うことで養われ、行動は意志によって養われ、存在の連続や世界経験の持続は識によって支えられているとみなしている
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@1010_kazu まさにそういうことですね。 脳科学的観点からの補足、ありがとうございました。 私のポストにカズさんの引用ポストが合わさることで、体験を理解する際の解像度がさらに上がる感じがいたしました。
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森竹ひろこ(コマメ)
4月8日(水)、花まつりの夜に「気づきの瞑想実践会31」を開催します 「お釈迦さま、瞑想を伝えてくださりありがとう」という気持ちを込めて、テーマは「瞑想をしていてよかったこと」。お釈迦さまへの感謝を胸に、共に学び、共に喜ぶひとときを過ごしましょう kokc.jp/e/716e497cea70…
森竹ひろこ(コマメ) tweet media
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ダライ・ラマのメッセージ、要約。 「キリスト教、仏教、イスラム教、ヒンドゥー教、ユダヤ教のメッセージは同じ:愛、慈悲、寛容、自己規律。暴力に居場所はない。暴力はさらなる暴力を生むだけ。平和の持続的な基盤とはならない。持続的な紛争解決は対話、外交、相互尊重に根ざさなければならない」
Dalai Lama@DalaiLama

MESSAGE I wholeheartedly endorse the powerful appeal for peace made by the Holy Father, Pope Leo, during his Palm Sunday Mass. His call for the laying down of arms and the renunciation of violence resonated profoundly with me, as it speaks to the very essence of what all major religions teach. Indeed, whether we look to Christianity, Buddhism, Islam, Hinduism, Judaism or any of the world's great spiritual traditions, the message is fundamentally the same: love, compassion, tolerance, and self-discipline. Violence finds no true home in any of these teachings. History has shown us time and again that violence only begets more violence and is never a lasting foundation for peace. An enduring resolution to conflict, including the ones we see in the Middle East or between Russia and Ukraine, must be rooted in dialogue, diplomacy and mutual respect — approached with the understanding that, at the deepest level, we are all brothers and sisters. I urge for and pray that the violence and conflicts may soon come to an end. DALAI LAMA 31 March 2026

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私たちの身体は食物によって養われ、維持される。一方、あなたの世界は何によってできているのか。ブッダによれば、「識」である。つまり、何を繰り返し意識しているかによって経験される世界は変わる。腹の立つことばかり考えていれば、世界は腹の立つ場所になる。不安ばかり描いていれば、世界は危険な場所になる。一方、感謝をよく感じている人にとって、世界は地上の楽園になる。
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人は極度に傷ついたり弱ったりしているとき、正論では立ち上がれない。そのとき必要なのは、「それは妄想だ」とぶった斬ることではなく、まず苦を軽くするための別の物語(=方便)だ。ブッダは、悪い夢からいきなり叩き起こしはしない。まず安心できる物語を与え、そこから真実へと目を開かせていく
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河合隼雄曰く、 「頭でばかり正しさを考えていると『小さな箱』に閉じ込められてしまう。そこから抜け出すのを人間関係が助けてくれる」 人間関係は一筋縄ではいかず、傷ついたり、悩んだりすることも多いが、ときにそれが、心の鎧を脱がせ、「小さな箱」を開かしめ、新たな知見をもたらす機縁となる。 もちろん仏教では、善友との出会い(順縁)を推奨し、たしかにそれは私たちに安心や智慧を与えてくれるが、一方、こちらの気持ちを挫いたり、不安や混乱を招くような発言をする人との出会い(逆縁)が、自分よがりの「正しさ」へのとらわれに気づかせ、真理と自由への道を開くきっかけにもなる。
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@y5c6tk 私についてのご言及ありがとうございます。たかはしさんからの期待&応援のエールとして受け取らせていただき、一層の仏道精進とブッダの教えの発信に努めてまいりたいと思います。
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たかはし
たかはし@y5c6tk·
プラユキ・ナラテボーみたいな人が日本の僧侶にもいれば、少しは日本仏教を信仰しようと思う人も増えると思うけどな。
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@hirofumi21 いいえ、こちらこそ。勝手に引用させていただいたにも関わらず、ご丁寧なリプライ、とても嬉しく思います😊 鳥井さんのTL、ときおり拝見させてもらっていますが、ハッとしたり、考えさせられたりするポストも多く、とても参考になります。今後ともよろしくお願いいたします。
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鳥井 弘文
鳥井 弘文@hirofumi21·
@phrayuki ありがとうございます!仏教の観点から眺めると、両概念ともに二種類あると考えられるのですね。 まさに「無染楽・内的自由」のような感覚も幸せの概念に含まれるし、そうすればもっと多くの人々が救われると思い書いたことでもあったので、大変勉強になりました。本当にどうもありがとうございます!
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鳥井さん仰るように、「幸せ」と「自由」は別次元の概念であり、今日、「幸せ≒自由」になりすぎた弊害たしかにあると思う。 ちなみに仏教では、「幸せ」も「自由」も大別して、以下の2種類があるとみなしている。 ■二種類の「幸せ」 ◆「有染楽(物質的・依存的な幸せ)」=満たされない気持ちを補うために、物質や外部要因(五感の対象)に依存する幸せ ◇〈無染楽(非物質的・自立的な幸せ)〉 =物質や外部要因に依存せず、心に内発的に生じる、自らで育てることができる幸せ ■二種類の「自由」 ●「外的自由」=外からの束縛や拘束がなく、勝手気ままに振る舞える(「心の奴隷」になる可能性がある) ◎〈内的自由〉=思考や感情に支配されず、心の主人となって、内外のあらゆるご縁や条件を生かし、自他の抜苦与楽を生きられる自由 なお、自著では、「内発的な幸せ」の五つの性質について、自分なりの言葉でまとめておきました。こちらも以下に添付しておきます。
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鳥井 弘文@hirofumi21

「幸せ」を語るとき「自由」が絶対条件のように語られるけれど果たして本当にそうなのか?自由は確かに重要。でも幸せに必要不可欠でもないし、両概念はまったく別次元でもある。幸せ≒自由になりすぎてしまった弊害あるよな。「不自由でも幸せ」もあるし、現代に足りない観点もここにある気がする。

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秘密結社さんが言うように、SNSの騒ぎを「茶番」と割り切る視点は、案外大事なのかもしれない。それで思うに、心に湧いてくる怒りや不満、葛藤なども、心が勝手に盛り上げてる「脳内興行」とみなせるかも。どれほど激しくバトルしても、意識を「今ここ」に戻してみると、いつもと変わらぬ日常がある。
秘密結社+M@freakscafe

SNSについては、「なんだ、全部、茶番なんだな」と割り切るくらいのほうが、むしろ健全ですよ。 プロレスでは、リングの上ではバチバチに殴り合ってる選手同士が、同じバスに乗って巡業している。 それと同じようなもので、SNS上でどんなふうに話題が沸騰しても、スマホを閉じたら、何も変わらない日常がある。

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「世界情勢が暗いニュースばかりで気が滅入る。全ては無常と思っても、これまでの日常生活への執着と未来への不安で妄想が次々と生まれて苦しい。この恐怖や苦しみも、自我が作るストーリーなのか?」 直近の「仏法」講座では、「三相(無常・苦・無我)」について解説してきたが、今日の世界情勢に絡めて、こうした問いかけを受ける機会が増えている。この件に関してのポイントを整理し、苦しみを軽減する具体的な対応について述べておきます。 まず、世界の暗い出来事に触れて、心が沈んだり、不安や恐れが湧いてきたりするのは、決して不自然なことではない、ということ。なので、そのように感じたとしても、自分を責めたり、落胆しなくてもOKです。 ネガティブな情報に触れて、心が動揺したり、身体がこわばったりするのは、ごく自然な反応です。それゆえ、恐怖や苦しみが、すべて「自我の作るストーリー」だというわけではありません。 ただ、そこから、「これからもっと悪くなるのではないか」「自分の日常は失われてしまうのではないか」「もう安心して生きられないのではないか」といったように、心はまだ来ぬ未来を思い描き、次々にストーリーを紡いでいきがちです。 このように、今ここの刺激に対する自然な痛みにとどまらず、「私の未来」「私の生活」「私の安全」という思いを重ねて苦しみを大きくしていくのは、「自我に支えられたストーリー」です。 それゆえ大切なのは、生じてきた不安や恐怖を無理に否定や抑圧することではなく、これは心と身体に起きている自然な反応なのか、それとも過去や未来のイメージや物語なのかを丁寧に見極めていくことです。 そして後者、つまり不安物語を何度も反芻し、未来を想像し、自分中心のストーリーとして増幅していくことが、まさに妄想であり、問題を大ごとにして、苦を増幅している正体であるということを理解しましょう。 こうした理解の上で、具体的に苦しみを減らしていく方法ですが、例えば、不安感が湧いてきたら、世界や未来について思いを巡らすのをやめて、「胸がザワザワする」「お腹が重たい」「呼吸が浅くなっている」「不安という心の動きがある」「未来のイメージが浮かんでいる」と、今この瞬間に生じてきている心身の状態にあるがままに気づいてみてください。 そうしているうちに苦しみは、「今ここに起きている心身の現象」として見え、感じてくるようになります。 それによって、妄想の勢いは少しずつ弱まり、心にスペースと余裕が生まれてくると同時に、心は軽やかになり、落ち着きが戻ってきます。
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なるほど、たしかに大学では抽象的な理論先行で、こうした具体的な対策は教えられない傾向がありそうですね。私も大学時代、哲学専攻でしたが、先人が見出した哲学をいかに具体的な場面で活用するかなど教えてもらえていたら、もっと関心を持てたり、生きやすくなれたかもしれません。 ということで、私の仏教講義では、理論だけでなく、例もたくさん挙げ、仏教の日常生活での具体的活用の説明にも重きを置いております。
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パルナシウス
パルナシウス@Parnassius_gl·
@phrayuki 僕が体験した大学の授業は僕には曖昧過ぎました。これらの絵で紹介されているような対策は取りようがありませんでした。3年遅れて卒業、さらに数年後アスペルガー症候群と診断され、当事者研究をして自分の心の仕組みに自分なりの仮説を立てることができました。仏教に触れたことも役に立っています。
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最近、「自分は発達障がいではないか」と疑う人が増えている感じがする。仏教的には、障がいの有無にかかわらず、生じた問題の因果を理解し、それに応じて具体的に解決を図ることを推奨するが、こちらのイラストがわかりやすく、発達障がいの人以外にも活用できそうでオススメx.com/NaritaADHDasd/…
なりた/リポストOFF推奨@NaritaADHDasd

#世界自閉症啓発デー らしいので、札幌市の取り組みをシェアします。 【職場で使える虎の巻】発達障がいのある人たちへの八つの支援ポイント(自閉症の場合) ▼PDFはコチラ▼ #syokuba" target="_blank" rel="nofollow noopener">city.sapporo.jp/shogaifukushi/…

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人は責められると黙り、受けとめられると語り始める。なので、リアルであれオンラインであれ、「無知と思われるのでは」「無能と思われるのでは」「ネガティブだと思われるでは」「邪魔では」と怯えずに済む場であること。そのような受容的な雰囲気があってこそ、素直な言葉と学びが生まれてくるかと
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言語には「ゆらぎ」が付きもので、単語の意味内容は文脈によって変わってくる。 仏教タームの「苦(dukkha)」もその一つで、四聖諦や十二因縁においての「苦」は、私たちが日常生活において経験する一般的な苦しみを意味するのに対して、一方、三相の一つとして、無常、無我とセットで語られる〈苦〉は、「様々な条件によって成り立つ諸々の形成される現象は、不安定で、軋轢を伴い、思うようにならないもの」といった世の理法(現象の実相)を意味する言葉であり、両者を混同しないように注意すべきである。
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