
バンぎゃる feat. むぎ
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バンぎゃる feat. むぎ
@BanG_Girrl
特技はエアプです。すべての経験があります。未経験のものを除いて。





クリスマスやバレンタインを祝っても、ホスチア(聖体を表すパン)は食べないですよね。 それを食べたら入信だから。 ハラール食を受け入れたら、今度はラマダンも要求、女性は髪や顔を見せるなになるのが容易に予想できるんですよね…

日本語を勉強していて、不思議に感じることがあります。 英語のように順番で意味を積み上げていくというより、全体の意味が少し遅れて立ち上がってくるように感じるのです。 最初は、ただ翻訳して理解しているだけだと思っていました。 しかし今は、何か違うのではないかと感じています。 日本語は「読む言語」というよりも、 読んだあとに意味が成立する言語のように感じられます。 同じ文章でも、読む人の経験や背景によって解釈が変わることがあります。 ここで少し考えました。 意味とは、文章そのものの中に存在するものなのでしょうか? それとも、読む側によって作られるものなのでしょうか? もう一つ気になるのは次の点です。 日本語のネイティブの方は、言葉を一つ一つ意識的に解釈しているのでしょうか? それとも、ほぼ“反射的に”理解しているのでしょうか? もし反射的だとすれば、それは「理解している」というよりも、 そのまま「感じている」に近いのでしょうか? さらに深く考えると、次のような疑問も浮かびます。 もし意味がこれほど文脈に依存しているのであれば、 コミュニケーションは、それを解釈する心に届くまでは未完成の状態なのではないでしょうか? もしそうだとすれば、「本当の言語」はどこに存在するのでしょうか。 文章の上なのか、話し手の意図の中なのか、それとも聞き手による再構築の中なのでしょうか。 もう一つの質問です。 日本語は思考そのものにおいて、曖昧さをより受け入れる傾向があるのでしょうか? それとも単に、曖昧さを無理に確定させないだけなのでしょうか? そしてもし曖昧さが自然なものであるとすれば、それは真理の捉え方にも影響するのでしょうか。 真理は固定されたものになるのでしょうか、それとも状況によって変わるものなのでしょうか。 また、ネイティブの方は、一つの文に対して複数の意味の可能性を同時に感じることがあるのでしょうか? それとも、正しい意味は通常すぐに一つに収束するのでしょうか? 最後にお聞きしたいです。 日本語はあなたにとって「情報」に近いものですか? それとも「感覚」に近いものですか? あるいはそれ以外の何かでしょうか? そしてさらに、その上でお聞きしたいのですが、 日本語はあなたの思考を形作るものなのでしょうか? それとも、すでにある思考を表現しているだけなのでしょうか? あるいは、その両方だと感じますか?













