
【最高裁判事の偏見と、日本司法への信頼の崩壊】 裁判官が事件の審理開始前に、すでに抗告人を断罪していたとすれば、それは「裁判」と呼べるのだろうか。 家庭連合の解散命令は、日本が宗教をどう捉え、どこに線を引くかを定める、極めて重要な裁判である。 その判断を下す最高裁判事の一人、沖野眞已裁判官が、就任前に家庭連合を批判する日弁連のセミナーに公然と登壇していた。 隣に並んでいたのは、長年家庭連合の解体に取り組んできた弁護士団体「全国弁連」だった。特定の政治的立場で結びついた弁護士の集まりである。 そうした団体と同じ目的を持つ人物が、その相手側の運命を決める裁判の判事を務める。 中立性は、裁判官の数ある美徳の一つではない。 それは、正義そのものの土台である。 中立性を欠いた裁判は、もはや裁判ではない。 判決の体裁をまとった結論にすぎない。 日本は長く、平和で法を守る国として知られてきた。だがその表層の下で、別の現実が形を成しつつある。 日本の最高裁ですら、もはや公正な審理を保証できるのか。 信頼は、いま根本から問われている。












