若路(もじ)
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若路(もじ)
@HashimotoMozi
軍艦にまつわるものを書いています。 2026年4月からフリーランスになりました。 これまで出版社の人からは「宣伝はこっちに任せて」と言われていたのでROMだったんですが、企画が通らなかった本を別ルートで出すことにしたので、そうも言ってられなくなってポストを始めました。



次に艦これに実装される海防戦艦は、『ノルゲ』級や『トンブリ』の例から考えて「第二次大戦で実戦経験があること」が条件だとすると、「灯台船に10インチ砲を積んだ」って揶揄された『ヴァイナモイネン』級(言いやすいせいか、語呂が日本語ぽくて面白いからか、なぜかみんな『入間理念』級って言う)が本命かな。 『ヴァイナモイネン』起工1929.10.15・進水1930.12.20・引渡し1932.9.29 『イルマリネン』起工1931.1.2・進水1931.7.9・引渡し1933.9.3 ジェーンやコンウェー辺りが発端なのか、日本語、英語ともに両艦の建造関連日付を間違ってる本が多いけど、フィンランド語の文献では全て上記で一致。 #艦これ









拙著『マタパン岬沖海戦』には21枚の地図や航跡図を掲載しました。ほとんどは英伊両軍の公式記録図をトレースしたもので、海戦の同じ場面を描いた両軍の図を並べて比較できるようにしましたが、けっこうな相違があります。 なかでも、夜戦で壊滅したカッタネオ戦隊の先頭艦について、伊側が重巡『ザラ』だったとしているのに対して、英側は駆逐艦『アルフィエリ』だったと主張しています。私としては、伊側に1票です(読んでいただければ分かりますが、英軍の艦型識別能力ときた日にゃあ…)。 両軍で見解の一致していない点(というか、自軍内でも諸々不一致あり)については、第25章に考察を示しました。 この本を書くにあたっては、木俣滋郎先生『第二次大戦海戦小史』にあった、「(マタパン岬沖海戦は)いくら研究しても、研究し過ぎることはあるまい」という言葉に対する、自分なりのアンサーという思いが多分にあります。 #マタパン岬沖海戦

マタパン岬沖海戦には、実はギリシャ海軍も参加していたんですが、これが何ともトホホなやらかしをかましちゃってます。 海戦当日の3月28日、「~海域で命令を待て」という暗号通信を解読した際に、「命令orders」という言葉を「油槽船oilers」と取り違えて、来るはずのない油槽船を7隻のギリシャ駆逐艦が待ち惚け、彼らは戦いに何も寄与することができませんでした。 もし適時に進出できていたら、イタリア艦隊の退路を扼することができていたかもしれません。 なお、この駆逐艦たちは翌日の夕方、前夜の戦闘海域に赴いて、天候が悪化する中で100人以上の生存者を救助するという仕事を成しています。 写真は、かつての海防戦艦の名を引き継いだギリシャ駆逐艦『イドラ』。 マタパンの救難と言えば、カニンガム司令長官が平文で伊側に座標を伝えた話が知られている(と思う)んですが、その通信を受領した時点で、伊側は既に病院船『グラディスカ』を現地に向かわせていました。同船は4月5日まで捜索を続けて、161名を冷たい海から救い上げました。 ちなみに英側は、夜戦直後と翌朝に合わせて1000人以上を救っています。 →詳細な内訳は拙著の付録8ご参照























