
書人(かじん)
514 posts

書人(かじん)
@Kazin555
物書き。思考を深めるヒントや頭と心の使い方を書いています。一方で何の役にも立たないことも書いています。


思いやりは持つ。 しかし他人は変えられないと知る。 相手の話は聞く。 ただし自身の軸は持っていかれないように。

やるべきことのない時間が、ただ流れていくことの愉楽、暇が人に与えられた最大限の贅沢である、ということに異論をさしはさむような奴隷的な精神を持った人間と、おれは付き合いたいとは思わない。

あなたは、もっと無駄なことに時間を費やせばよいし、もっと無用の人間であってよいし、もっと自由であってよい。

叩いてる時はそんなこと考えないんですけど、いざ自分が自発的に何かしようと思った時に『誰かを悪く言った自分』から逃げられなくて、笑われるのが怖くてやりきれなくなるからですね。冷笑文化がクソな理由は、自分で自分の未来を潰すからです。冷笑は自分の未来に呪いを強く掛けると知っておきたい。

むしろ、ネガティブな感情、とくに強い怒りを感じることを覚えていかねばならない。 心中で燃える炎のような怒りを、何の言い訳もつけず、ただ燃やし尽くすことを覚えていく。 もちろん、強い怒りを、そのまま発散させる必要はない。心の中だけで、燃やし切ればいいのだ。 それは、主体が主体であるための身体性の獲得に関わっている。

まずは何かを能動的に愛してみるのもいいかも知れない。 人でも物でも、有形、無形に関係なく、その対象は一体何なのかをよく見て、聞いて、触って、感じて、知る。 ありのままを知る。感じたままを知る。 世界のかけらをまずは知って、愛する所から。

語彙の豊かさについていつも思い出すこととして、私の友人が私の使った「過渡期」という言葉に対して「カトキって何?聞いたことないわ」と言ってきたのにびっくりして説明をしたところ、次会った時に「過渡期って言葉知ってから会社でめちゃくちゃ聞くようになったわ」と言ってきたエピソードがあります。実は自分でも知らずに聞き流してしまっている語彙というのは意外にたくさんあるのかもしれません。

一生理解できない言葉↓ 「いじめられた側にも原因がある」

いいかげん、日本語の「繁殖」って言葉も、英語のReproductionの本来のニュアンスに寄せて、「再生産」って訳したほうがいい気がするんだよな。 子どもを作るって、単にDNAを残すとか、家系をつなぐとか、そういう話だけじゃない。老いていく・滅びていく自分の身体や人生を、もう一度この世界に "再生" する行為でもある。 死ぬのが怖いとか、加齢(日々シワシワになっていく肌)が怖いとか、そう思ってる人に一番必要なのが「リプロダクション/再生産」なのよ

『何か』を求めて生きる人ほど、自分の内側が空っぽなんちゃうかなと思う。空虚感があるとそれを満たそうと色々なところに行くけど、それって単なる贅沢慣れなことも多く、何より本人が何かを生み出せる存在でないことがとても多い。

なぜ、おれは、生き易いのか。 才能があるからでも、運がいいからでも、メンタルが強いからでもない。 本質はもっと単純で、自己更新の速度が速いのである。 自己更新の速さは、 ①本を読み、 ②人と話す、 この二輪を高速で回していることで実現されている。 ただし、読めばいいわけではない。 話せばいいわけでもない。 知識には罠がある。 「知っているから、自分は正しい」と思ってしまうことだ。 経験にも罠がある。 「自分は見てきたから、分かっている」と思ってしまうことだ。 どちらも、人を強くするようでいて、実は更新停止を起こす。 悪いループはこうだ。 本を読む。 納得する。 同じ価値観の人と話す。 確信が強まる。 これでは知識も経験も、自分を変えるためではなく、自分を守るために使われてしまう。 一方で、良いループは違う。 本を読む。 試す。 人と話す。 違和感を集める。 修正する。 この循環を回せる人は、知識にも経験にも固定されない。 昨日までの自分を、今日の現実に合わせて書き換えることができる。 生き易い人とは、強い人ではない。 正解を持っている人でもない。 昨日の自分を捨てるコストが低い人だ。 だから、生き易さはこう表せるかもしれない。 生き易さ ≒(読書量 × 対話量)× 自己修正率 大事なのは、どれだけ読んだかではない。 どれだけ話したかでもない。 読んだもの、話したことによって、どれだけ自分を更新できたか。 知識の罠を逃れ、経験の罠を逃れ、自己更新を続ける。 その速度が上がるほど、人生は少しずつ扱いやすくなる。

モノゴトをすぐさま解りたがったり、自分らしさを一貫性にもとめたり、知人の変わらなさに安堵感を抱いたりする「安心」と対照的なのが、日々揺らいでいるモノゴトの見え方を味わったり、日々自分の変化・変容を楽しんだり、自分と同様に昨日と同じではない知人たちに “初めまして” ができる「仕合せ」

自分が嘘つきだと認めてしまえば嘘くささは無くなるのよね。

運をよくしたいなら、まず説教くさい人から離れることだ。 助言はいい。 経験から出た言葉には、ちゃんと温度がある。 問題は、他人の人生に土足で入ってきて、「こうすべきだ」「それは間違っている」と、こちらの手足を縛ってくる人である。 とくに、他責に酔っている人には気をつけたほうがいい。 うまくいかない理由を、いつも外に探す人がいる。 社会が悪い。環境が悪い。親が悪い。時代が悪い。才能が足りない。運が悪い。 それは一見、鋭い分析のように見える。 でも、その奥にはたいてい「自分は変わらなくていい」という、冷たい沼がある。 そういう人の言葉を浴び続けると、こちらの足まで重くなる。 試してみようという気持ちが鈍る。 間違えてもいいから動いてみる、という感覚が死んでいく。 運のいい人は、勝ち続ける人ではない。 失敗を、失敗で終わらせない人だ。 負けたこと、恥をかいたこと、思い通りにならなかったことを、次の扉の取っ手にしてしまう人だ。 そして、正しさにあまりしがみつかない。 もちろん、ただの無謀とは違う。 でも、常識だけを握りしめていては行けない場所がある。 周囲の評価に従うだけでは、どうしても開かない扉がある。 だから、ときどき間違える。 あえて変な道を選ぶ。 自分の責任で、見たことのない方へ歩いていく。 運のいい人は、自分の愚かさをあまり嫌わない。 弱さ。偏り。衝動。嫉妬。祈り。 説明のつかない欲望。 そういうものを、すぐに切り捨てない。 自分という獣を、少し遠くから眺める。 なぜ自分はこれに惹かれるのか。 なぜこれが怖いのか。 なぜここで、まだ笑っていられるのか。 そこには、合理性だけでは届かない場所がある。 少し宗教に似ている。 少し狂気に似ている。 でも、面白いことは、いつもそのあたりで起こる。 運とは、ただの当たり外れではない。 誰の言葉を体に入れるか。 どの失敗を抱えて歩くか。 どの間違いを、自分に許すか。 その積み重ねで、人の流れは変わっていく。 顔つきが変わる。 出会う人が変わる。 偶然の質が変わる。 だから、人の忠告を聞く前に、一度だけ問い直せばいい。 その言葉は、自分を小さくするものか。 それとも、自分をどこかへ連れ出すものか。 萎縮するくらいなら、間違えたほうがいい。 正しく腐るより、変な場所で花を咲かせたほうがいい。