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「全盲の黙読」手法を研究中。見えない状態でどのように情報を深く処理できるかを、30年以上にわたり認知科学・点字技術・インターフェースの観点から探究。発達障害・難読症への応用も模索しながら、社会実装を目指しています。

千葉 Katılım Mayıs 2020
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『見る』は、『目が向いている』、『目を向ける』、『視界に映る』、『見ている』、『見た』、『覚えた』、『言葉にした』などからできている。 「今朝、庭の木の枝葉ごしに、雲がまばらな青い空の先の朝日を見た」が、見た瞬間は、ひとつも言葉として頭に浮かんでいなかった。しかも最初に感じたのは、枝葉に乱反射した朝日が眩しいことで、それすらも言葉にはなっていない。 『見て説明する』は、とても難しい。
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@graphicmate 視野狭窄の度合いによって、文字が大きいと視線(顔)移動頻度が多くなるし、行の位置を見失うことも多くなる。大きければすべて善しではない。先入観や思い込みを疑うことが大事という良い知見ですね。
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世間の『視覚障害』の誤解。 他にもあればコメントで教えてください。 1.視力ゼロ。 視力2.0の人もいます。 2.視界が暗い、(黒い)。 視界が眩しい、ビビッドな色の人もいます。 3.見えない部分は黒い。 見えない部分は見えません。邪魔な色付きのモノで見えない人もいます。 4.特に音感、音楽センス、皮膚感覚が鋭い。 そんなことはありません。音痴もいます。 5.白杖の先ですぐにモノを把握できる。 できません。 6.心の眼で相手の考えていることがわかる。 わかる訳がありません。 7.土地勘、空間把握能力がすごい。 方向音痴も大勢います。 8.記憶力がすごい。 普通です。 9.暗算が得意。 普通です。 10.味覚が鋭い。 普通です。 11.スマホもコンピュータも使えない。 使えます。(ただし、ダメなプログラマーがつくったソフトは使えません) 12.日本語のすべてが点字で読める。 読めません。漢点字はあるけど、読める人は極少数。 13.みんな点字が読める。 読めません。 14.紙に書いた文字は読めない。 印刷物ならスマホのカメラAIで読めます。下手な字は無理です。 15.テレビやYoutubeや動画サイトは見ない。 よく観ています。 16.いつもキレイに整理整頓している。 脱ぎっぱなし、置きっぱなしの人もいます。 17.割り箸が割れない。 割れます。 18.おしゃれより実用優先。 みんな好きな格好をしています。 19.いつも気を張り詰めて歩いている。 『ぽやぁ』と歩いている人もいます。 20.物静かで温厚。 喧しい人も、面倒くさい人もいます。
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【閑話】 私は、研究対象については『全盲』と書き、人権や制度などを扱うときには『視覚障害』と書く。 視覚障害には種類と段階があり、その連続性を『グラデーション』と呼ぶこともある。 色差や明暗の判別が困難な色覚障害向けのインターフェースは、全盲には意味がない。一方で、全盲向けのインターフェースは、色覚障害にとっては冗長に過ぎる。同じ視覚障害であっても、グラデーションのどこを対象にするかによって、支援内容は大きく変わる。 私の研究対象は、『触覚、聴覚を使い、点字や音声を通じてのみ情報を得るひと』である。さすがに長い。だから便宜上、もっとも近しい『全盲』という語を使っている。 もちろん、『全盲』も状態を指すのか、人を指すのか曖昧ではある。そのあたりは文脈で察するように書いているつもりだ。 『当事者』という語は、原則として使わない。 当事者という言葉には、ものごとに直接関係した特定の人格を指す印象が強く、正直なところ、私には使いどころがあまりない。福祉や啓蒙の文脈では頻繁に登場する。多くの場合、それは『情報の主体や責任を曖昧にする方便』のように使われているように見える。 日常生活の中で、当人が自分をやわらかく表現するには良い言葉だと思う。 ただ、技術や論理を扱う場面での『視覚障害』や『障害当事者』という言葉は、あまりにも曖昧で、実際には何も捉えていないに等しい。 言論や資本による派手な統合には魅力がある。 同じように、『視覚障害』や『障害当事者』といった、曖昧に統合された言論にも魅力がある。 しかし、統合には基礎が必要だ。 個別の、ひとつひとつの取り組み。 あまり人気はないけれど、そういう地道な積み重ねに興味をもつひとが増えると期待している。

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【閑話】 私は、研究対象については『全盲』と書き、人権や制度などを扱うときには『視覚障害』と書く。 視覚障害には種類と段階があり、その連続性を『グラデーション』と呼ぶこともある。 色差や明暗の判別が困難な色覚障害向けのインターフェースは、全盲には意味がない。一方で、全盲向けのインターフェースは、色覚障害にとっては冗長に過ぎる。同じ視覚障害であっても、グラデーションのどこを対象にするかによって、支援内容は大きく変わる。 私の研究対象は、『触覚、聴覚を使い、点字や音声を通じてのみ情報を得るひと』である。さすがに長い。だから便宜上、もっとも近しい『全盲』という語を使っている。 もちろん、『全盲』も状態を指すのか、人を指すのか曖昧ではある。そのあたりは文脈で察するように書いているつもりだ。 『当事者』という語は、原則として使わない。 当事者という言葉には、ものごとに直接関係した特定の人格を指す印象が強く、正直なところ、私には使いどころがあまりない。福祉や啓蒙の文脈では頻繁に登場する。多くの場合、それは『情報の主体や責任を曖昧にする方便』のように使われているように見える。 日常生活の中で、当人が自分をやわらかく表現するには良い言葉だと思う。 ただ、技術や論理を扱う場面での『視覚障害』や『障害当事者』という言葉は、あまりにも曖昧で、実際には何も捉えていないに等しい。 言論や資本による派手な統合には魅力がある。 同じように、『視覚障害』や『障害当事者』といった、曖昧に統合された言論にも魅力がある。 しかし、統合には基礎が必要だ。 個別の、ひとつひとつの取り組み。 あまり人気はないけれど、そういう地道な積み重ねに興味をもつひとが増えると期待している。
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2026年、国内外のGAADで、アクセシビリティの温度差を感じた。海外は法的、ビジネスに繋ぐ話題が多い。一方国内は啓蒙活動と行政広報という印象が強い。米国は訴訟大国で法的リスクが高いという意見もあるが、それだけではなくボランティをどう心で捉えているかの違ういもあるようだ。 accessibility.day
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アクセシビリティ不備を技術論でごまかすな 企業や技術者が「アクセシビリティ未対応のため利用できない」と説明することがあるが、これは本質的に誤りだ。 正しく実装されたHTML要素、特にボタンやリンクは、ブラウザおよび支援技術で操作可能であることが前提となっている。 したがって、ボタンが押せない状態は「未対応」ではなく、既存機能の破壊、すなわち実装バグだ。 プラットフォーマーや支援技術にも未成熟や実装差異は存在するが、それらは継続的に改善されている。 一方でフロントエンド実装では、セマンティクスの破壊や操作性欠如といった初歩的な問題が放置されるケースが多い。 現実の不具合の大半は、このような容易に回避可能な実装ミスに起因する。 この問題は単なる技術的瑕疵ではない。 例えば金融機関において振込機能がスクリーンリーダー利用者に使えない場合、それはアクセシビリティ不備ではなくサービス不履行である。 振込が可能であることを前提に顧客と関係している以上、その操作手段が特定のユーザーに閉ざされている状態は、契約内容と実態の不一致を意味する。 さらに、障害者差別解消法の改正により民間事業者にも合理的配慮が義務付けられた現在、この問題は品質だけでなく法令遵守の問題として認識するべきだろう。 それにもかかわらず、「技術的に難しい」「環境差がある」といった責任回避は、問題の本質を曖昧にし、改善を停滞させている。 ユーザーにとって重要なのは技術的背景ではなく、実際に機能が利用できるかどうかである。 アクセシビリティは特別な配慮ではない。 単に「正しく動作すること」を意味する基本的な品質要件だ。
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『全盲でプログラミング初心者が学ぶには?』の検討。全盲向けのプログラミング初心者向け書籍は、ほとんど存在しない。 あっても、視覚障害者へ教える際の注意点や、環境構築の説明が少し書かれている程度で、実用性に乏しい。 視覚認知によって暗黙的に理解されているものを、どのように言語化するか。さらに、その構造のイメージや、同時多発的に起こる反応を、どのように体験・理解してもらうかという観点が欠けているように感じる。 とりあえず、全盲の初心者に向けて、まず始めるべきことは次のようなものだ。 1. インデント確認には時間がかかるため、ページ内アウトラインエクスプローラーの操作を必須にする。 2. コードと動作の関係を理解するため、イントラ環境でスマホのHot Reload環境を用意する。 3. 音声でコードと動作を体験できるように、SpeechSynthesizerを利用したサンプルコードを作る。 4. NVDAの最適化と、キャメルケースを正確に発音する辞書を検討する。 5. ショートカットキーとCLIを中心とした操作体系にする。 6. ファイル内検索を簡単にするExtensionを開発する。 補完候補が表示された際に、それがどの機能由来なのかを理解しやすくする方法を検討する。  (ショートカットや読み上げ方法を含む) 7. オンラインで教える場合に備え、Windows Sandboxで全盲側と同じ環境を用意する。 「とりあえず」にしては、用意するものがかなり多い。 少しずつ進めよう。
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Macintoshユーザーなら「The computer for the rest of us」を知っている。もちろん、その「普通の人々」には全盲も含まれている。21世紀になり、スティーブ・ジョブズはiPhoneを「super easy to use」と紹介した。もちろん全盲にとっても(2年かかったけど)すごく簡単だ。 スマホは全盲の目の代わりになりつつある。墨字の文書を読み上げ、物体の色や形状を感知する。便利な道具であるだけでなく、感覚器官の延長にさえなり得る。 全盲にとって最高のスマホコンテンツは、匠のつくる包丁のように、繊細な感覚に応える道具であることだ。その感覚は自動処理で検証してもわからない。 AppleのVoiceOverの開発環境で得られるのは、DOM、ARIA、Accessibility Tree、フォーカス状態、画面状態などの周辺情報に限られる。VoiceOver内部の読み上げ制御やジェスチャ解釈などは取得できない。VoiceOverは、それらの相互作用から成るインターフェースであり、自動処理だけで完全なアクセシビリティ検証を行うことはできないし、操作の感覚体験とは程遠い。 規格や効率ばかり追わないで、自分で使い、感じとって、「The computer for the rest of us」、「super easy to use」、そして「accessible to everyone」を現実にしよう。
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事業者が合理的な配慮に苦慮しているらしい。合理的なことで困られても困る。 合理的な配慮を日本語らしくすると、 「ちょっと上手いこといかんから、なんか塩梅良うやってくれんかな?」 「ほいじゃちょっと考えてみるわ」 「こんなんでどう?」 「あかんかったら、もうちょっと考えてみるわ」 (名古屋育ちの口語でご容赦) とても簡単で、難しいことではない。どこにでもある市井のやり取りだ。だからこそ多種多様、十人十色、ちょっと行き違いもあったりする。そしてちょっと面白話もあったりする。 店員が全盲のひとに割り箸を渡して、「お箸、割れますか?」と配慮してみたり、全盲のひとへのメールで「新緑の季節となりましたが」は失礼かと訊いてきたり、配慮、気遣いの心意気は汲み取りつつも、笑ってしまう。 セクハラやパワハラも深刻な話ではあるが、それをネタにして面白おかしく楽しむ向きもある。合理的な配慮も面白おかしく楽しめるようになると、社会へ浸透するのだろう。 もちろん、それぞれに深刻で許容できないこともある。しっかりとした議論が必要だ。ただ、そればかりに熱中すると疲れて形骸化する。楽しむことも大切だ。
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「テミスの不確かな法廷」の主人公が、「わからないことをわかっていないと、わからないことはわかりません。」という。 「ソクラテスの弁明」の「私は、わからないことは、わかっていると思わない」より的確で、面白い。 わかるとは、知覚し、考え、至り、それを疑い、考え続けることだ。聞いて覚えただけでは、わかったことにはならない。 「全盲はまったく目がみえない」 「全盲は真っ暗闇の世界」 当たり前だろうと思いがちだ。 あるひとは、いつも眼前が真っ白な菊の花びらで埋め尽くされているという。 あるひとは、全盲になってとても眩しい世界にいるという。 あるひとは、雪だけ桃色に見えるという。 暗闇に居たり、目隠しをしても全盲のことはわからないし、WCAG(ウェブコンテンツ・アクセシビリティ・ガイドライン)の書類を暗記しても障害者のことはわからない。 わかるのは、「わかった気分」だけだ。 アクセシビリティやインクルーシビティは、文書になっていない、文書にならないことを、わかっていないとわかることからはじめよう。
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マリー・ローランサンの絵画には、いまだ納得がいかない。ぼんやりとした輪郭、色、間延びした目鼻手足。まさに「ぽやあ」としている。なのに、なぜか大好きなのだ。中学生という人生で最も情報過多な時期に、彼女の絵が好きな自分を許せないざわざわした気持ち。アートは、見る側にとってもリビドーとの闘いだ。 2013年、マラケシュ条約の交渉の場にスティービー・ワンダーが登場した。その時、私は「そういえば、この人は目が見えないんだった」と思い出した。スティービー・ワンダー、レイ・チャールズ、そして片目が義眼のピーター・フォーク。彼らの作品に接する時、障害者であることなど頭の片隅にもない。障害者の作品だから好きなわけではない。ただただ素敵で、好きなだけだ。 アール・ブリュットを、誰かが「障害者アート」と意訳した。行政受けを狙った策略だったのだろうか(だとしたら賢い)。アール・ブリュット(Art Brut)の「ブリュット」は、日本語で言えば「すっぴん」や「まっすぐ」といった言葉に、少し粗野なニュアンスを加えたものだ。そこには、古臭い西洋美術史の枠外に存在する、自由で素晴らしい表現への称賛という意図があったはずだ。 アール・ブリュットに「障害者」という意味は含まれていない。確かに精神・知的障害者の作品コレクションが端緒ではあるが、それは決して「障害者にアートをさせること」ではない。コレクターの作品への純粋な嗜好が発端であり、「障害者のための活動」でも、「障害者が作った制作物」でもない。 アートは本質的にリビドーの発露であり、工業製品でも職人仕事の成果でもない。ましてや机を並べて「さあ、アートをしましょう」と促されて産みだすものではない。 誰が創ろうとアートはアートだ。肩書きはいらない。もちろん、ギャラリーや学者が商売や箔付けのために、怪しげな文脈を付け足すのは自由だ。それもアートだからだ。そして、障害者アートを納得できない、疑問だらけだというのもアートだ。
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薬は合う合わないがあるのは本当で、かすみ目改善のための漢方薬を服用したら、目が乾き、より見づらくなったのでやめた。次からは漢方薬の専門家に処方してもらうつもりだ。
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【閑話】 目のかすみに効くという漢方薬は丸薬で、用法は日に3回、一度に8粒。多いなと思ったら、ぴったり8粒が収まる専用の匙が付属していた。 ころころと転がる丸薬を数えるのが面倒なところ、我が意を得たり。 シンプルな道具だが知覚と認知を助け、速やかさ、確実さを達成する面白い発想だ。 クラシエ 杞菊地黄丸(こぎくじおうがん)
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晴眼者の「歩きスマホ」は、全盲が白杖なしで歩くより危険だ。 晴眼者が意識的に認知できる視覚は、中心視野の一部に偏っている。周辺視野を含めても、実際に認識できている範囲は視界全体のごく一部にすぎない。 スマホを見ると、意識は中心視野へ集中する。さらに、画面内の映像が動くと没入が起こり、周辺視野の認知感度は大きく低下する。場合によっては、周辺視野の認知がほぼゼロになることもある。視界がスマホ画面の一部だけになり、それ以外が認識から消える状態だ。視野狭窄に近いともいえる。 また、スマホを手に持って画面を見ている人が周囲を確認するとき、多くはスマホを下げず、手の位置をそのままにして目線だけを上げる。その結果、スマホの背後が死角になる。そこに段差や障害物があっても気づくのが遅れ、場合によっては致命的な事故につながる。 晴眼者は、歩きながらスマホ画面を見るな。見るときは必ず立ち止まり、周囲の安全を確認してから見ろ。自分の身を守り、他人に危害を加えないためにも、それが必要だ。 追記: 全盲などの視覚障害者は、逆に「歩きスマホ」を必要とする場合がある。スマホのカメラ、センサー、スピーカー、AIアプリなどは、彼らにとって感覚器官であり認知補助器官でもある。全盲の人が歩きスマホをしていたら、周囲や障害物を感知している最中かもしれない。邪魔をしないように。
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@jaia404 合理的な配慮は恋愛と同じ属性だと思います。 マニュアルや取扱説明書のとおりに上手くいくことも、いかないこともある。 「だから面白い」とみんなが感じると上手く立ち回ることができるようになるのではないかなと。
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じゃいあ@jaia404·
配慮とわがままの線引が難しい。自分も配慮に見せかけたわがままという暴力を振るわないように気をつけたいけど本当のところは相手にしか分からないだろうし。最近は「察して」系の配慮の求め方が多い印象で良くないと思う。
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「合理的な配慮」は、障害者の我儘を聞き入れることではない。 障害者の要求を絶対とし、強制的に実行させるのは「絶対的な服従」である。 基本的人権を認める社会において、一方的な服従を強いるのは異常事態であり、暴力的な支配に他ならない。 エレベーターのないビル、2階の店舗。突然訪れた客が、たった一人の店員へ「担いで上がれ」と要求し、それを義務だと言い張る。これは「合理的な配慮」ではなく「暴力」だ。 「踏切やプラットフォームは危険だから、全箇所に駅員を常駐させろ。さもなくば裁判だ」と迫るのも同様である。 合理的な配慮は、絶対的な服従ではない。 日本が2007年に署名した「障害者権利条約」。その原文にある「Reasonable Accommodation」を「合理的な配慮」と訳した。よい翻訳だ。 「合理的」とは、客観的な理由が論理的であり、過度な負担がなく、実現可能な筋が通っていること。それらを検討した上で適切と認められる状態を指す。 「配慮」とは、個別の状況に応じた変更や調整、便宜を図るための具体的な行動を指す。 合理的な配慮は、提供者だけでなく、障害者当人にとっても容易なことではない。なぜなら、そこには提供者との「対話」と「交渉」が不可欠だからだ。 単に要望を叫べば済むわけではない。相手の事情を聴き入れ、折衷案を探り、落とし所を見出す。その建設的な対話のプロセスこそが、合理的配慮の本質である。

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複数行点字ディスプレイの開発を始めたとき、誰もがするように「見えない」を体験し、理解しようとした。 目隠しをして机の上のカップを手探りで掴む。これはできる。 慣れてきて、より複合的・連続的な行動に挑戦した。タバコに火をつける。吸う。吸いさしを灰皿に置く。これらもできる。 だが、灰皿に置いた吸いさしを、もう一度取ろうとして、できない。怖い。 円筒缶型のスチール灰皿は軽い。火の付いたタバコもまた軽い。 触りどころが悪ければ、タバコは転がり落ちて他に燃え移るかもしれない。掴み所を間違えれば火傷をする。 どう動くのが最適か。最近は愛煙家も少ないため勧めはしないが、この体験は物事の考え方を大きく変えた。 自分で置いた物ですら、すぐには掴み直せない(全盲の愛煙家によれば慣れだというが)。 対象物の重さや形状で触れ方を変える。対象物だけでなく、それに接触している物の形状や重量も考慮する。 火の付いたタバコの場合、そこには時間制限もある。 見ないで行おうとすると、行動の最中であっても事前に多くの思考を巡らせることになる。 同じことを、見て行えば無意識にできる。 無意識すぎて、自分の一挙手一投足を瞬時に分析することは不可能だ。 何度も繰り返した。タバコに火をつけ、少し吸い、灰皿に置き、再びつまみ上げる。 その度に、自分が何をどの順番で見たか、視覚情報が手指の動きを誘発するタイミングを「図る」ことに集中した。 日常のあらゆる行動において、何を見て何を考えたかを反芻した。 目にする情報のほとんどは、抽象的なシーンとして変換され、記憶されるようだ。 視界の中で「気になる」ことだけが具体的な記憶となり、その周囲は抽象的なシーンに留まるか、あるいは記憶すらされない。 また、気になる物が「見た瞬間」に記憶されるとは限らない。後から抽象シーンを再構築して具体化することもある。記憶の過程で、他の感覚が起点となって突然具体的な記憶に変わることもある。 全盲の人へ「見えていること」を伝えるには、こうした「見る」という行為の多様なバリエーションを考慮しなければならない。場所、対象物、個人の性格を検討し、適時、適切な順番と言葉をもって伝える必要がある。 まずは「見える」ということを観察し、知り、理解すること。それが何より先に、大切だ。
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「合理的な配慮」は、障害者の我儘を聞き入れることではない。 障害者の要求を絶対とし、強制的に実行させるのは「絶対的な服従」である。 基本的人権を認める社会において、一方的な服従を強いるのは異常事態であり、暴力的な支配に他ならない。 エレベーターのないビル、2階の店舗。突然訪れた客が、たった一人の店員へ「担いで上がれ」と要求し、それを義務だと言い張る。これは「合理的な配慮」ではなく「暴力」だ。 「踏切やプラットフォームは危険だから、全箇所に駅員を常駐させろ。さもなくば裁判だ」と迫るのも同様である。 合理的な配慮は、絶対的な服従ではない。 日本が2007年に署名した「障害者権利条約」。その原文にある「Reasonable Accommodation」を「合理的な配慮」と訳した。よい翻訳だ。 「合理的」とは、客観的な理由が論理的であり、過度な負担がなく、実現可能な筋が通っていること。それらを検討した上で適切と認められる状態を指す。 「配慮」とは、個別の状況に応じた変更や調整、便宜を図るための具体的な行動を指す。 合理的な配慮は、提供者だけでなく、障害者当人にとっても容易なことではない。なぜなら、そこには提供者との「対話」と「交渉」が不可欠だからだ。 単に要望を叫べば済むわけではない。相手の事情を聴き入れ、折衷案を探り、落とし所を見出す。その建設的な対話のプロセスこそが、合理的配慮の本質である。
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全盲が黙読できないこと、難読症、知的障害。読書が困難な障害は多岐にわたる。一方で、晴眼者は「本が読める」ことが当然とされている。だが、その前提は本当に正しいのだろうか。 かつて、60人弱のスタッフに対し、読書に関する実態調査を行った。年齢は18歳から50歳代、ボリュームゾーンは30歳代。学歴は多様で、障害者手帳を保持する者はいない。 「1日7時間の就業時間をすべて読書に当てたとして、小説1冊を読むのに何日かかるか」。回答の最多は「1週間」で半数。最長は数ヶ月だった。 実際に5日間の時間を割き、読書をしてもらった。 昭和30年代の批評本、80年代の推理小説、平成の児童文学。ランダムに割り当てた。 断っておくが、読了速度で個人の業務能力の優劣を評価する意図はない。 昭和の批評本は、多くが読了を断念。推理小説は個人差が激しく、読書習慣のある者で二、三日、そうでなければ数週間を要する計算になった。対して、児童文学は全員がスムーズに読み進め、最も時間を要した者でも5日以内で読破した。 皆が淀みなく理解できるのは、現世代の著者が書いた、小学校5、6年生を対象とする「児童文学」の文章ということだ。 WCAGにも"a lower secondary education level"の記述がある。日本でいえば概ね12歳から15歳相当。それ以上の教育レベルが必要な文章には、代替テキストの用意を推奨している。 「晴眼者は黙読ができるから読むのが早い」というのは間違いだ。スクリーンリーダーやオーディオブックの進化により、全盲の者が晴眼者より速く読了するのも当たり前の時代になった。読む時間、読解の解像度という視点に立てば、アクセシビリティは障害者のためだけでなく、健常者のためでもあるということだ。 つまり、企業や開発者がいう「ふつう」のユーザーのためにも、アクセシビリティは必要ということだ。
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アクセシビリティ検証は、使えることを担保するプロセスである。しかし、現実の開発現場で、JIS X 8341-3に基づく「試験」は、障害者ユーザーへの言い訳製造装置へ変質した。 JIS X 8341-3は、WCAGの達成基準を日本独自の試験方法と紐付けた。これがアクセシビリティを設計思想から切り離し、単なる事後レポート作業へと貶めた。開発側のゴールは、使いやすさの追求ではなく、適合証明書という免罪符を得ることにすり替わった。 検証が行われるのは、いつも開発の最終盤だ。もはや設計変更は不可能。機械的なチェックが走る。発見された問題点は「時間がない」と放置され、発行されるのは改修計画ではなく、修正する気のない問題点を羅列した検証レポート。試験を通すための帳尻合わせでしかない。 「JISを満たしているから、これ以上の対応は不要」という理屈が、現実のユーザーを苦しめている。JIS(WCAG)は、すべての障害を救える万能のバイブルではない。ガイドラインそのものがその限界を認め、現実の状況を優先と説いているにもかかわらず、現場は「基準満たしたこと」を盾に、現実のニーズへの対応を拒絶する。 2026年度、JISはWCAG 2.2との一致を目指して改正される予定だ。達成基準は増え、プロセス重視の文言も並ぶようだ。しかし、制度がどれほど「上流工程での検証」をいおうと、組織が「修正を伴わないレポート」に事務的な免罪符を与え続ける限り、本質的なアクセシビリティは達成されない。 達成すべきは、チェックリストを埋めることではない。ユーザーが実際に使えているかという現実の状態を知り、理解し、実装することだ。 そして開発者サイドは、開発技術の進歩が目覚ましいIT業界の働き手の時間と経済をより改善し、合理的な配慮未達成を企業リスクと捉え、積極的に投資する経済をつくることが重要だ。
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