
さなえ@「伝わる」をデザインする六本木のデザイン会社|グラフィックメイト
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さなえ@「伝わる」をデザインする六本木のデザイン会社|グラフィックメイト
@graphicmate
「見えにくい」をなくし、誰にでも伝わる情報デザインを。 社史・年史・広報誌制作/紙媒体のユニバーサルデザイン。 音声コードUni-Voice(ユニボイス)/NaviLens(ナビレンス)導入支援。 1967年創業、六本木のデザイン会社 グラフィックメイト







🇨🇭Screening in Switzerland🇨🇭 Screening confirmed at the GINMAKU Japanese Film Festival✨ 🌸Screening Times Thu, 28 May|19:20 Sun, 31 May|13:30 at Houdini(riffraff-houdini.ch/de-ch/programm…) Official site gjff.ch/post/the-shape… International Premiere of this film🌍 Please take a look👀



【閑話】 私は、研究対象については『全盲』と書き、人権や制度などを扱うときには『視覚障害』と書く。 視覚障害には種類と段階があり、その連続性を『グラデーション』と呼ぶこともある。 色差や明暗の判別が困難な色覚障害向けのインターフェースは、全盲には意味がない。一方で、全盲向けのインターフェースは、色覚障害にとっては冗長に過ぎる。同じ視覚障害であっても、グラデーションのどこを対象にするかによって、支援内容は大きく変わる。 私の研究対象は、『触覚、聴覚を使い、点字や音声を通じてのみ情報を得るひと』である。さすがに長い。だから便宜上、もっとも近しい『全盲』という語を使っている。 もちろん、『全盲』も状態を指すのか、人を指すのか曖昧ではある。そのあたりは文脈で察するように書いているつもりだ。 『当事者』という語は、原則として使わない。 当事者という言葉には、ものごとに直接関係した特定の人格を指す印象が強く、正直なところ、私には使いどころがあまりない。福祉や啓蒙の文脈では頻繁に登場する。多くの場合、それは『情報の主体や責任を曖昧にする方便』のように使われているように見える。 日常生活の中で、当人が自分をやわらかく表現するには良い言葉だと思う。 ただ、技術や論理を扱う場面での『視覚障害』や『障害当事者』という言葉は、あまりにも曖昧で、実際には何も捉えていないに等しい。 言論や資本による派手な統合には魅力がある。 同じように、『視覚障害』や『障害当事者』といった、曖昧に統合された言論にも魅力がある。 しかし、統合には基礎が必要だ。 個別の、ひとつひとつの取り組み。 あまり人気はないけれど、そういう地道な積み重ねに興味をもつひとが増えると期待している。











