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古代史全般、ミュージアム・遺跡全般・神社めぐり、特に古墳が好きです🐈!訪れた所をゆっくりとポストしていきます🐈‍⬛ #古墳 #神社 #城 #饒速日 #終末期古墳 #博物館 #美術館 #猫 #文学 #刀剣 #Fate #FGO #ガンダム #相互フォロー

ウルク Katılım Şubat 2024
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藤ノ木古墳 〜きらびやかに送る〜 藤ノ木古墳の調査開始から40年🙌 そして国宝の再修理事業から4年❗️ 待望の特別展、ようやく来れましたが、期待以上です! 藤ノ木古墳出土品の再修理成果展示と復元品、再修理過程の展示、そして冠・履・鏡・装飾刀子などについて、国宝の綿貫観音山古墳のほか、貴重な復元品も交えた展示など盛りだくさんです。 藤ノ木古墳は北側被葬者と南側被葬者とで副葬品の差が大きく、かなりの身分差があったと考えられます。 特に北側被葬者玉簾とみずら飾りの玉や金属製品は圧巻ですね✨✨ 今回の展示では、被葬者が冠と履を身につけていましたが、石棺内では身につけておらず、足元に集められていました。 研究講座での土屋隆史氏(書陵部)の講座は非常に興味深く、こうした金銅製装身具は巨大化が進んでおり、明らかに葬送儀礼用のものとの事でした。 つまり、まず殯儀礼の際に、これらの大型金銅製装身具が被葬者に身につけられ、殯を終えて本埋葬する際には外されたのでないかと。 北側被葬者の足元には半筒形金銅製品が2つ見つかっており、それはみづら飾りと考えられ、この玉類と金属製品で飾られたみづらを、さらに飾ったものと考えられます✨ 一方の南側被葬者の頭部に当たる部分にあった金銅製筒形品は髪の毛状のものが付着しており、頭上に横向きに装着されていた可能性が高いようです。 南側被葬者は人類学的調査(池田次郎氏・片山一道氏)では男性の可能性が高いそうですが、手玉・足玉などの装身具や分析方法について批判があり(玉城一枝氏)、性別不明とすべきとの意見もあるようです。 かつては被葬者として穴穂部・宅部皇子が濃厚かと思っていましたが、たとえ同時に殺されているとはいえ、聖徳太子一族の領域に、よそ者の宅部皇子を葬るのはあり得ないし、反逆者として殺された穴穂部皇子としては丁寧すぎるように思います。 個人的には、法隆寺に伝わっていたように崇峻天皇では?と思っています。 #橿原考古学研究所 #藤ノ木古墳 #国宝 #装身具 #葬送儀礼
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本日は橿原考古学研究所附属博物館主催の秋季特別展「きらびやかに送る」についての研究講座に訪問! テーマは 「装飾刀子からみた藤ノ木古墳の時代」(平井洸史氏、橿原考古学研究所附属博物館) 「金銅製装身具からみた藤ノ木古墳と葬送儀礼」(土屋隆史氏、宮内庁書陵部) ‼︎ 先日の桜井茶臼山古墳の時は会場に入れませんでしたが、今回は行けそうです🤭 アトリウムでは「藤ノ木古墳発掘調査写真展」も開催中! 書籍やグッズも販売中ですよ! #橿原考古学研究所 #藤ノ木古墳 #装飾刀子 #金銅製装身具

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@TweetCat16 確かにあるかもですね! 正倉院御物には胡国のものが多く、影響を受けた可能性はありますね。
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武蔵猫(无邪志根子🐈)
@SouCurator そんなに古い時代では無いので逆の可能性も有りますね! 富雄丸山古墳の蛇行剣の柄はこれと似た形状ですが、後の時代には柄が石突に近付くほど太くなりナタかライフル銃の銃床のような形状に変化したようです。
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アフラシアブ遺跡 〜サマルカンドへの唐勢力の波及〜 ウズベキスタン 〜 今回の国立民俗学博物館の特別展「シルクロードの商人語り―サマルカンドの遺跡とユーラシア交流―」では、サマルカンドの旧市街であるアフラシアブ遺跡で発見された正方形の広間(11mx11m)を飾っていた壁画の原寸大の復元を見る事が出来ます‼︎ アフラシアブ遺跡は、13世紀にモンゴル軍に破壊された初代サマルカンドがあった場所から発見されたもので、現在のサマルカンドは、その南に新たに建設されたものです。 壁画の正面の壁(西壁)に記されたソグド語の銘文には、7世紀半ばのサマルカンド王ヴァルフマーンの名前が登場します。 この頃、唐帝国の勢力はソグド人の都市国家が乱立するソグディアナにまでおよび、658年に高宗はヴァルフマーンをソグドの都督(統治者)に任命。 四方の壁画は、ヴァルフマーンが正当なソグドの支配者であることを示すために制作されたと考えられています。 ヴァルフマーンのほか、船に乗る婦人たちや槍を持った騎上武人など、壁画は多彩です🙌 ちなみに当時の中国でのサマルカンドは康国、 隣のタシュケントは石国、さらに西のブハラは安国、シャフリサブズは史国と呼ばれており、1世紀後の安史の乱(755~763)での安禄山や史思明は、これら出身都市国家の姓を名乗っていました。 751年タシュケント北方のタラス河畔の戦いで唐帝国がアッバース朝に大敗すると、ソグディアナの地にもイスラム教が普及していきます。 #ソグド人 #サマルカンド #アフラシアブ #民俗学博物館
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ソグディアナのカフィル・カラ遺跡と2人のナナ神 シルクロードの交易でソグド人の商人たちが活躍した時代、サマルカンドはソグディアナのオアシス都市国家の中、ソグド人の王を戴く盟主的な存在でした。 そのサマルカンド近郊に所在するカフィル・カラ遺跡で奇跡的に発見された火災で焼けた木彫板にはゾロアスター教の拝火儀式と、火を捧げられる2人の女神の姿がありました🔥 ゾロアスター教といえば、アフラ=マズダ神を思い浮かべますが、この2人の神は「ナナ神」と言われる女神さまでした。 ナナ神の特徴は、 ・女神である ・獅子に跨る姿 ・4本の腕を持つ姿をとることがある などです。 ゾロアスター教といっても画一的ではなく、ペルシャのゾロアスター教は偶像崇拝を禁止するのに対し、このソグディアナでは偶像崇拝にも寛容で、こうした女神像が残されたといいます。 今回の木彫板では、中央に2本腕の女神、その周りのアーチ状の一番高い場所に4本腕の女神の姿が見えます。 ナナ神の起源は、ソグディアナの在地の信仰とメソポタミアを起源とするイシュタル神とが習合した神との事。 この地方では、この女神像の遺物は多く見られ、一方、アフラ=マズダ神は全く見られない。 今回の木彫板は、5〜6世紀に作製され、8世紀初頭の火災で焼けたと思われます。 それは、この地域がイスラムの支配に移っていく時代でした。 ちなみに、この2人ナナ神の木彫板の発見は、日本・ウズベキスタン共同調査隊による発掘調査の成果です。 ※みんぱくウィークエンド・サロン 「シルクロードの商人ソグド人の信仰と宗教」 話者:寺村祐史氏 を参考にしました。 #ソグディアナ #ソグド人 #サマルカンド #カフィル・カラ #ナナ神 #ウズベキスタン

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サマルカンド 〜ウズベキスタン〜 今回の国立民俗学博物館の特別展「シルクロードの商人語り―サマルカンドの遺跡とユーラシア交流―」の舞台となっているウズベキスタンのサマルカンドですが、あまり馴染みが無かっただけに新鮮で興味が尽きません。 14世紀にティムール朝の首都として栄え、またサマルカンドだけでなく、オアシス都市はソ連時代に近代都市へと変貌を遂げたそうですが、旧市街にはかつての面影も残っているそう。 正倉院展でも眼にする伎楽面や胡国の弦楽器など、興味が尽きません‼︎ 2027年の奈良・サマルカンド交流展も楽しみです♪ x.com/kinugasa_/stat… #サマルカンド #ウズベキスタン
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アフラシアブ遺跡 〜サマルカンドへの唐勢力の波及〜 ウズベキスタン 〜 今回の国立民俗学博物館の特別展「シルクロードの商人語り―サマルカンドの遺跡とユーラシア交流―」では、サマルカンドの旧市街であるアフラシアブ遺跡で発見された正方形の広間(11mx11m)を飾っていた壁画の原寸大の復元を見る事が出来ます‼︎ アフラシアブ遺跡は、13世紀にモンゴル軍に破壊された初代サマルカンドがあった場所から発見されたもので、現在のサマルカンドは、その南に新たに建設されたものです。 壁画の正面の壁(西壁)に記されたソグド語の銘文には、7世紀半ばのサマルカンド王ヴァルフマーンの名前が登場します。 この頃、唐帝国の勢力はソグド人の都市国家が乱立するソグディアナにまでおよび、658年に高宗はヴァルフマーンをソグドの都督(統治者)に任命。 四方の壁画は、ヴァルフマーンが正当なソグドの支配者であることを示すために制作されたと考えられています。 ヴァルフマーンのほか、船に乗る婦人たちや槍を持った騎上武人など、壁画は多彩です🙌 ちなみに当時の中国でのサマルカンドは康国、 隣のタシュケントは石国、さらに西のブハラは安国、シャフリサブズは史国と呼ばれており、1世紀後の安史の乱(755~763)での安禄山や史思明は、これら出身都市国家の姓を名乗っていました。 751年タシュケント北方のタラス河畔の戦いで唐帝国がアッバース朝に大敗すると、ソグディアナの地にもイスラム教が普及していきます。 #ソグド人 #サマルカンド #アフラシアブ #民俗学博物館

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@TweetCat16 銅鏡など、早くから中国の影響もあるので、中国ルーツかも。
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武蔵猫(无邪志根子🐈)
@SouCurator 右上の画像の人物の刀は身に付け方が古墳時代の日本と同じですね!しかもよく見たら柄の石突?の形状まで日本とそっくり。あの形状は秦の兵馬俑にも見られるのですが、中央アジアルーツだったのか?
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ゆかこにゃー🐾
ゆかこにゃー🐾@yukako_nya·
風船飛んでました🎈 もう何歳かわからず毎度西暦から計算してますが、いい歳なのでとにかく健康第一で、働きまくりたい所存です とにかく実測と測量できるように✊
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すろーはんど
すろーはんど@slowhand3187·
風船が飛びました🎈 またレベルアップしました😅 引続き健康第一で、楽しく過ごしていきます😌
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ソグディアナのカフィル・カラ遺跡と2人のナナ神 シルクロードの交易でソグド人の商人たちが活躍した時代、サマルカンドはソグディアナのオアシス都市国家の中、ソグド人の王を戴く盟主的な存在でした。 そのサマルカンド近郊に所在するカフィル・カラ遺跡で奇跡的に発見された火災で焼けた木彫板にはゾロアスター教の拝火儀式と、火を捧げられる2人の女神の姿がありました🔥 ゾロアスター教といえば、アフラ=マズダ神を思い浮かべますが、この2人の神は「ナナ神」と言われる女神さまでした。 ナナ神の特徴は、 ・女神である ・獅子に跨る姿 ・4本の腕を持つ姿をとることがある などです。 ゾロアスター教といっても画一的ではなく、ペルシャのゾロアスター教は偶像崇拝を禁止するのに対し、このソグディアナでは偶像崇拝にも寛容で、こうした女神像が残されたといいます。 今回の木彫板では、中央に2本腕の女神、その周りのアーチ状の一番高い場所に4本腕の女神の姿が見えます。 ナナ神の起源は、ソグディアナの在地の信仰とメソポタミアを起源とするイシュタル神とが習合した神との事。 この地方では、この女神像の遺物は多く見られ、一方、アフラ=マズダ神は全く見られない。 今回の木彫板は、5〜6世紀に作製され、8世紀初頭の火災で焼けたと思われます。 それは、この地域がイスラムの支配に移っていく時代でした。 ちなみに、この2人ナナ神の木彫板の発見は、日本・ウズベキスタン共同調査隊による発掘調査の成果です。 ※みんぱくウィークエンド・サロン 「シルクロードの商人ソグド人の信仰と宗教」 話者:寺村祐史氏 を参考にしました。 #ソグディアナ #ソグド人 #サマルカンド #カフィル・カラ #ナナ神 #ウズベキスタン
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⚫︎特別展「シルクロードの商人(あきんど)語りーサマルカンドの遺跡とユーラシアの交流ー」展 見て参りました! 日本・ウズベキスタン共同調査隊による発掘調査の成果がすごい🙌です! 特に目玉のカフィル・カラ遺跡出土の炭化したナナ神の木彫板は、1,200年前に燃えてしまった神像とは思えないほどの美しさと威厳を放っています! 銅鏡やガラス器など、内容盛りだくさんですよ❗️ 吹田市 国立民俗学博物館 特別展示館にて 6月2日(火)まで。 コクテパ墳墓の虺龍文鏡(富雄丸山古墳からも出土)など、今、ウズベキスタンが激アツです! ぜひぜひ必見です‼︎ #サマルカンド #ウズベキスタン #ナナ神

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⚫︎ブルックリン博物館所蔵特別展『古代エジプト展』 早速、行って参りました🙌 アメリカでは最大の古代エジプトコレクションを誇るブルックリン博物館から選りすぐりの150点が展示されています! 古王朝からプトレマイオス時代のエジプトまで、王族〜庶民の暮らしまで、幅広い展示で楽しめます! にゃんと🐈、3部構成のうち、2部・3部は写真撮影OKでした🆗 プトレマイオス朝時代の展示があったのは、ギリシャ・ローマ好きの私には嬉しかったです。 パンフレットにもあった貴族の横顔のレリーフなど、実物すごく綺麗でした。 あべのハルカス美術館にて、6月14日(日)まで開催です❗️ ぜひぜひお勧めです🙆 #ブルックリン博物館 #古代エジプト展 #あべのハルカス美術館
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ブルックリン博物館所蔵 特別展 古代エジプト@egypt_brooklyn

\本日開幕!/ #古代エジプト展 大阪会場、開幕しました! 大阪に古代エジプトが出現! 皆様のお越しをお待ちしております! ブルックリン博物館所蔵 特別展 古代エジプト 📅2026年3月20日(金・祝)~6月14日(日) 📍 #あべのハルカス美術館 aham.jp/sp/exhibition/… #ブルックリン博物館 #古代エジプト展大阪

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@KatsuyaShirai 他にも青銅の玉状?や新沢千塚で出てきそうなアクセサリー、正倉院展で見かける伎楽面や楽器など、楽しめます!
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@yuji1981_kobe 行ってられたんですね! すごく見応えありましたね☺️
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Yuji@神戸っ子🏯
Yuji@神戸っ子🏯@yuji1981_kobe·
我が息子熱望の〝ブルックリン博物館所蔵 特別展 古代エジプト〟へ‼️ 現地へ行く機会はなかなかないので、貴重な体験をし、3000年の謎を掘り起こすことができました‼️ 大阪会場は、3月20日から6月14日までです‼️🇪🇬 #古代エジプト展 #古代エジプト #ブルックリン博物館 #あべのハルカス美術館
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⚫︎特別展「シルクロードの商人(あきんど)語りーサマルカンドの遺跡とユーラシアの交流ー」展 見て参りました! 日本・ウズベキスタン共同調査隊による発掘調査の成果がすごい🙌です! 特に目玉のカフィル・カラ遺跡出土の炭化したナナ神の木彫板は、1,200年前に燃えてしまった神像とは思えないほどの美しさと威厳を放っています! 銅鏡やガラス器など、内容盛りだくさんですよ❗️ 吹田市 国立民俗学博物館 特別展示館にて 6月2日(火)まで。 コクテパ墳墓の虺龍文鏡(富雄丸山古墳からも出土)など、今、ウズベキスタンが激アツです! ぜひぜひ必見です‼︎ #サマルカンド #ウズベキスタン #ナナ神
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特別展「シルクロードの商人(あきんど)語り―サマルカンドの遺跡とユーラシア交流―」 サマルカンドと言えば、国立民族学博物館さんで、商人をキーワードとした特別展が開催されます‼︎ 以下、ホームページより この機会に、サマルカンドをもっと知りましょう🙌 中央アジアは、ユーラシア大陸における東西(東洋と西洋)および南北(農耕民と遊牧民)の文化が交差する十字路として、人類史・文明史において重要な役割を果たしてきました。なかでも、シルクロードを通じた人やモノの移動、文化の交流において、「商人(あきんど)」の果たした役割は極めて大きく、古代から現代に至るまで、彼らの活動なしにはこの地域の歴史や文化を語ることはできません。 そこで本特別展では、「商人(あきんど)」を過去と現在をつなぐキーワードとして取りあげます。ウズベキスタン共和国サマルカンド市周辺の古代の遺跡から出土した考古遺物から、現代の刺繍・織物・楽器・民族衣装、さらには宗教や信仰に関する資料まで、シルクロードを行き交った文物を「商人(あきんど)」の活動に焦点を当てながら展示・解説することで、中央アジアにおける文化の多様性と広範な交流・交易の実態を、展示を通じて紹介することを目的としています。 2026年3月19日(木)~2026年6月2日(火) minpaku.ac.jp/ai1ec_event/63… #国立民族博物館 #サマルカンド #ウズベキスタン

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東天井山古墳と西天井山古墳 〜杣之内古墳群を歩く〜番外編〜 西山古墳築造後、杣之内の地には目立った古墳造営が行われていませんでしたが、暫くのインターバルをおいて古墳時代中期に、この両古墳は連続して造営されました。 場所は、なら歴史芸術文化村の入り口から道路を挟んで北側に当たり、西乗鞍古墳からは、北北東に500mの地点。 東天井山古墳は尾根の最も幅の広い所に、西天井山古墳は、その西の先端部に位置しています。 昭和52(1977) 年の天理大学歴史研究会の墳丘実測によって、東天井山古墳は直径 37m、高さ4.8 m、西天井山古墳は直径 28m、高さ 4.3 m の円墳と分かりました。 両方の古墳の墳頂中央部には大きな盗掘坑があり、周辺には石材などが認められないことから、埋葬施設は粘土槨か木棺であったと推測されます。 東天井山古墳の墳丘斜面には河原石を利用した葺石が露出する部分が数ケ所で見られるほか、墳丘各所で埴輪片が採集されています。埴輪には円筒埴輪(直径30cm前後)、朝顔形埴輪、蓋形埴輪、家形埴輪など。 西天井山古墳では葺石は確認されておらず、円筒埴輪、朝顔形埴輪、盾形埴輪などの埴輪が採集されています。 古墳の築造時期は円筒埴輪から、東天井山古墳が古く、古墳時代中期にこの両古墳は相前後して築造された杣之内の首長墳であったとみられます。 ※参考.『物部氏の古墳 杣之内古墳群』.天理大学附属天理参考館・天理市教育委員会編集.2021. #杣之内古墳群 #東天井山古墳 #西天井山古墳 #天理市
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杣之内石塚古墳 〜杣之内古墳群を歩く〜番外編〜 東乗鞍古墳のすぐ北東、全体が柿畑に覆われた小山があり、杣之内石塚古墳の名がついています。 東乗鞍古墳の墳丘内から、はっきりと見る事が出来ます! 測量調査をおこなった天理大学歴史研究会の報告では、小山全体を墳丘とみなして76 m× 40 mの楕円形の古墳となる可能性が指摘されているが、出土品等は知られておらず詳細は不明。 小山全体ではなく、頂上部に小規模な古墳が存在した可能性も考えらています。 ※参考.『物部氏の古墳 杣之内古墳群』.天理大学附属天理参考館・天理市教育委員会編集.2021. #杣之内石塚古墳 #杣之内古墳群 #天理市

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杣之内石塚古墳 〜杣之内古墳群を歩く〜番外編〜 東乗鞍古墳のすぐ北東、全体が柿畑に覆われた小山があり、杣之内石塚古墳の名がついています。 東乗鞍古墳の墳丘内から、はっきりと見る事が出来ます! 測量調査をおこなった天理大学歴史研究会の報告では、小山全体を墳丘とみなして76 m× 40 mの楕円形の古墳となる可能性が指摘されているが、出土品等は知られておらず詳細は不明。 小山全体ではなく、頂上部に小規模な古墳が存在した可能性も考えらています。 ※参考.『物部氏の古墳 杣之内古墳群』.天理大学附属天理参考館・天理市教育委員会編集.2021. #杣之内石塚古墳 #杣之内古墳群 #天理市
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東乗鞍古墳② 〜杣之内古墳群を歩く〜 私有地のため、普段は立ち入りが出来ない古墳ですが、今回は特別に中に入る事が出来ました‼︎(前からとても気になっていたんです🙌) 現在、天理大学によって調査中の前方後円墳です。 築造時期は古墳時代後期(6世紀頃)、墳丘は2段築成、後円部南向きに横穴式石室が開口しています。 危険なため、石室内部への立ち入りは禁止されていますが、玄室長は約7.6mの片袖式横穴式石室で、羨門は2石積み、玄室内は4〜6石積み、中には2基の石棺があり、奥の石棺は阿蘇溶結凝灰岩製の刳抜式家形石棺、手前は二上山産の底石を持つ組合式石棺があります。 石室内は盗掘を受けており、かつて挂甲の小札や馬具の杏葉などが出土したとされています! ちなみに、かつて石室から持ち出されたと思われる組合式石棺の一部が、石室入り口の南東側で発見されていたそうです。 以前は全長75mと思われていましたが、最近の調査で墳丘は全長約83mであること、その外側に周濠が巡ることが明らかになっています。 石室が開口する辺りから南側を見ると、墳丘南側隣接地に2箇所の調査区を設定されているのが見えました! 墳丘・周濠・周堤の構造の確認を目的とする発掘調査が継続されており、第11~第13トレンチで、それぞれ周濠・周堤と考えられる遺構を検出していましたが、それらのつながりに一部不明な点が残っていました。 また、第13トレンチでは祭祀に関連する土器が一括廃棄された状況が確認されていました。 第14トレンチは、それらの認識を深める目的で調査が実施されたようです! 横穴式石室や石棺の特徴からみて、古墳は古 墳時代後期前葉に、小墓古墳に後続して築造 されたものと考えられます。 今後の調査の進展が楽しみですね😊 #東乗鞍古墳 #杣之内古墳群 #天理市

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@TweetCat16 古墳時代中期頃、丁度、五社神古墳の後頃に、古墳の造営が途絶するグループと継続するグループに分かれます。 単に、統廃合だけでなく、そういった遠征に伴う氏族の配属地の拡大も影響していると思っています!
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@SouCurator 百済や任那にも進出していたと思いますよ。唐に使えた百済の将勿部珣や新撰姓氏録に見える任那から帰化した物部姓の氏族は大陸に残った人々か。
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西山古墳② 〜杣之内古墳群を歩く〜 杣之内古墳群のひとつで、日本最大の前方後方墳。 3段築成の古墳ですが、墳丘の様式が特異で、初段が前方後方形、2段目より上が前方後円墳の形をとります。 時期は古墳時代前期中葉で、全長185m、前方部で高さが約15m、40m前後の周濠が巡っていたと考えられます。 規模としては、少し前の世代に当たる桜井茶臼山古墳(204m)と椿井大塚山古墳(175m)の中間ほどで、大王墓にも比肩する規模の古墳です! 普段は樹木が生い茂っていますが、この「杣之内古墳群を歩く🚶」イベントに合わせて、草刈りが行われており、墳丘に登って前方後方形と前方後円形の組み合わせをはっきりと確かめる事が出来ました。 前期古墳だけに前方部と後方部の高低差がはっきりときています‼︎ 地理的には布留遺跡の至近距離にあり、この遺跡の勢力との関係が考えられますが、埴輪は大和古墳群の系譜を引いており、墳形は桜井茶臼山古墳古墳と類似するなど、初期の磐余の古墳群の勢力とも関連性があると考えられます。 奈良県旧山辺郡の文書である『名勝旧蹟古墳墓』(明治32年)では、西山古墳が明治20年(1888)頃に開墾された際に「管石金環勾玉土器古刀ノ類」が出土したと記されており、また、他にも鏡、鏃形石製品、管玉、鉄剣、鉄刀が出土したという伝承もあり、写真が残っています(参考『物部氏の古墳 杣之内古墳群』.天理大学附属天理参考館・天理市教育委員会編集.2021)。 しかし西山古墳の後には、この地域に巨大な古墳は営まれませんでした。 再び大型の古墳が営まれるのは、古墳時代中期末の西乗鞍古墳(墳丘118m、横穴式石室か)でした。 #杣之内古墳群 #西山古墳 #前方後方墳 #天理市
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塚穴山古墳② 〜杣之内古墳群を歩く〜 天理市杣之内町に位置する横穴式石室を持つ古墳時代後期末の6世紀末〜7世紀初頭頃の大型の円墳です‼︎ 墳丘の直径は約65m、加えて幅約13mの周濠と外堤(外堤を含む直径は112m)が巡ります。外堤の南側は前期の前方後方墳である西山古墳の周濠と接しています。 石室は全長17.12m、玄室の長さは約7m、幅は3.1m。石室は巨石で築造されており、奥壁は2段、右壁の最大の巨石は幅が約6mもあります。 後期末の古墳としては非常に大きく、明日香村の石舞台古墳(桃原墓と考えられる一辺約50mの方墳。石室長約19.1m、玄室の長さ7.5m)に匹敵する規模です。 床面もしっかりと造られており、玄室の中央に幅70cm、深さ30cmの排水溝が暗渠となって縦貫し、周濠に繋がっていました。 羨道から玄室の境には巨石の敷居が敷かれており、30cmの段差があり、また羨道には礫が敷き詰められていました。 玄室の調査では、凝灰岩製家形石棺の破片、土器、銀糸巻鉄刀柄片(現存せず)、鉄鎌などが出土。 石室内部からは平安時代頃の黒色土器(内面のみ黒い)が出土しており、平安時代〜鎌倉時代には内部に人が出入り出来るようになっていたと考えられます。 杣之内古墳群では、西山古墳以降、中期末の西乗鞍古墳まで有力な古墳が見られず、塚穴山古墳と西山古墳の被葬者の一族には、連続性の可能性は低いと思われます。 また、同時代の石舞台古墳に匹敵する規模の横穴式石室を持つ古墳として、位置的にも石上神宮にも近い事を考慮して物部氏を想定したいですが、実際に副葬品を以て葬られた人物だとすると、敗死して滅亡した物部氏さんの可能性は低いかも…とも考えます🤔 #塚穴山古墳 #杣之内古墳群 #天理市

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東乗鞍古墳② 〜杣之内古墳群を歩く〜 私有地のため、普段は立ち入りが出来ない古墳ですが、今回は特別に中に入る事が出来ました‼︎(前からとても気になっていたんです🙌) 現在、天理大学によって調査中の前方後円墳です。 築造時期は古墳時代後期(6世紀頃)、墳丘は2段築成、後円部南向きに横穴式石室が開口しています。 危険なため、石室内部への立ち入りは禁止されていますが、玄室長は約7.6mの片袖式横穴式石室で、羨門は2石積み、玄室内は4〜6石積み、中には2基の石棺があり、奥の石棺は阿蘇溶結凝灰岩製の刳抜式家形石棺、手前は二上山産の底石を持つ組合式石棺があります。 石室内は盗掘を受けており、かつて挂甲の小札や馬具の杏葉などが出土したとされています! ちなみに、かつて石室から持ち出されたと思われる組合式石棺の一部が、石室入り口の南東側で発見されていたそうです。 以前は全長75mと思われていましたが、最近の調査で墳丘は全長約83mであること、その外側に周濠が巡ることが明らかになっています。 石室が開口する辺りから南側を見ると、墳丘南側隣接地に2箇所の調査区を設定されているのが見えました! 墳丘・周濠・周堤の構造の確認を目的とする発掘調査が継続されており、第11~第13トレンチで、それぞれ周濠・周堤と考えられる遺構を検出していましたが、それらのつながりに一部不明な点が残っていました。 また、第13トレンチでは祭祀に関連する土器が一括廃棄された状況が確認されていました。 第14トレンチは、それらの認識を深める目的で調査が実施されたようです! 横穴式石室や石棺の特徴からみて、古墳は古 墳時代後期前葉に、小墓古墳に後続して築造 されたものと考えられます。 今後の調査の進展が楽しみですね😊 #東乗鞍古墳 #杣之内古墳群 #天理市
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小墓古墳② 〜杣之内古墳群を歩く〜 西乗鞍古墳の北西に位置する、前方後円墳。 墳丘は前方部を南西に向けており、Googleマップなどで見ると明らかですが、周辺の地割に盾形の周濠の痕跡がうかがえます。 耕作による墳丘の地形の改変が激しく、また、標高が西乗鞍古墳よりも低い事もあり、現在では墳丘の下部や周濠・外堤などは畑の下に埋まっています。 発掘調査成果と航空レーザ測量調査成果を踏まえると、もともと墳丘は90 m程度あったものと想定されます。 1987年と1989年、天理市教育委員会により2次にわたる墳丘東側の発掘調査が実施され、幅 12 ~13 m、深さ 2.8 mの周濠が確認されました。 周濠からは、円筒 ・ 朝顔形 ・ 蓋形 ・盾形・靫形 ・ 人物 ・ 馬形 ・ 猪形 ・ 水鳥形 ・ 鶏形 ・ 家形などの埴輪に加えて、笠形 ・ 盾形 ・大刀形 ・ 翳(さしば)形・鉾形などの木製品が多数出土。 この木製品は、埴輪と同様に古墳の上や周囲に並べられていたようで、「木製の埴輪」とも呼ぶべきものである。このほかに木製の槽 ・槌・火鑽(ひきり)臼・「耳杯形」容器なども見つかっています。 埋葬施設の調査は行われておらず、詳細は不明ですが、周濠からの出土品には、段数の多い円筒埴輪や、円柱を伴う高床式家形埴輪など、小墓古墳の被葬者が大きな権力を持った人物であった事が伺われます。 実は杣之内古墳群全体の中で、最も出土遺物の様相が判明している古墳です! ※出土品参考.『物部氏の古墳 杣之内古墳群』.天理大学附属天理参考館・天理市教育委員会編集.2021. #小墓古墳 #杣之内古墳群 #天理市

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Sou_curator
Sou_curator@SouCurator·
@SarasvatiSayori 最近、ちょっとニュースとか見ようものなら、そっち系ばっかし出てきて、迷子になって戻れません😢 家路🐈さん、お久しぶりでした🐈‍⬛
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じろんざ
じろんざ@SarasvatiSayori·
フォロワーさんのタイムラインしか見てないもんで、横に表示される(広い範囲の)トレンドがよくわからない。 これは一つの話なのか?
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じろんざ
じろんざ@SarasvatiSayori·
なんか最近タイムラインが短い(表示が少ない)ような気がする
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Sou_curator
Sou_curator@SouCurator·
@TweetCat16 拡大路線の時は、地域方面軍司令官として移住していたのかも。 北庄城とか☺️
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股旅
股旅@RSsamWot3382239·
未盗掘の古墳だったため石室内部の遺物が埋葬位置を保ったまま残されていたそうです。
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