Amictica sal vitae.(新アカウント)

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@boots_fleck1

旧アカウント@boots_fleck アドレスが使えず、ログイン出来なくなり、新しくアカウントを作りました。中世ヨーロッパの歴史に、ほんの少し興味があります。

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ノルマンディー公の馬輸送船については、バイユーのタペストリーに描かれたような普通の船から下ろす実験が一頭で50年代に実験が行われており、非現実的であるという論説が有力です。 実際はアミアンのギィや、その他の年代記作家などが記す証拠もあり、輸送用専門の船を使い、その建造や操作の人員としてイタリア在住のノルマン人の伝手や親類を頼り、ビザンツでの傭兵経験もある人間なども招聘したりした可能性が考えられています。 また、積み込みにはローマの軍港であった履歴を持つ港を当然ながら使い、カエサルもそうしたように、港内停泊ぎわの傾斜などもある程度あり、馬の積み込み時に有利に働くよう計算して活動したと考えられています。
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海が強いわけではないと言われるノルマン人ですが、ノルマン人のイタリア遠征を通じてイタリアの地域から、そしてビザンチンでの傭兵やその他ビザンチン軍への参加から、必要な人員を吸収、また航海技術を習得したことが説として知られています。 例えば、イングランド上陸前にウィリアム征服王が、イタリアの各地方(プーリア、カラブリア、シチリア)から人を雇い入れていたことが中世の記録から知られており、これらの人員が征服王の騎馬隊のために馬を運ぶ専門の船、その造船や操船に関わっていた説が有力なものとして、これも知られています。

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14世紀だからね……舞台。 本映画の甲冑には有名なモデルが一つあるが、だからわかって外しているところもあると思われる。 いずれにしろ、エンタメ大作なんで、そんなところにツッコむのは野暮である。
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このロック・ユーには明らかにモデルがあって、それは巻末でもツッコまれているが、某大ヒット作品の中編である。 なお、ロック・ユーはわたしも大好きな映画で定期的に冒頭シーンから見ているが、色々ツッコミどころがある。 一番は甲冑である。
Vatanabeus@nabe1975

「ロック・ユー」(A Knight's Tale)で自分が一番好きなのは、ジェームズ・ピュアフォイ演じるエドワード黒太子だった。素性を勘付かれて他の出場者に試合放棄される中、唯一試合に応じてくれたウィリアムに好意を抱き、終盤で大きな助けになってくれる。

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なお、なんか見たけど、ポニーは確かに多くの場合は馬のサイズで定義されてるけど、馬の品種によっては、体高が14.2ハンド(147cm )未満の個体がいても、ポニーとは定義されないものがありますよ。 ポロポニーみたいに、デカいのにポニーと呼ばれる品種もあります。 なにごとにも、伝統や例外はあるものですね。
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でもさぁ、ポニーって(つまり、ここでは“ポニー”の定義に該当するサイズで、だいたい中世日本の軍馬くらいの大きさに当たる西洋の馬だけど)これだぜ? パブリックドメインの写真、138cmのポニー(フィンホースポニー、現代の品種だけど)。 全然デカいでしょ。 138cmって……人間が小さい?体高(き甲までの高さだからね)と比べたら、この写真の人間の身長がおおよそどんくらいかわかるでしょ。 x.com/boots_fleck1/s… ここでも触れたけど、こんなん普通にそりゃ軍馬として使うよね。
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ポニーは、マジで語感もなんか日本人にとって悪いです。 『ポニー』……口に出していうと、なんか弱々しくてフワフワしていて、可愛いすよね。 これのせいで、弱いイメージ9割増しなんだと思います。 マジで、ポニーをなんか他の用語に置き換えられないか。 ポニーと聞くと、ちっちゃくて可愛くてなんか矮小〜みたいな感じのものを、みんな実像に重ねて消しちゃってそれだけ思い浮かべるんですよね。 実際140cmくらいの馬みたらガッチリ系かどうかにもよるというけど、まあなんでもデカくて強くてびっくりしますよ。

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ポニーは、マジで語感もなんか日本人にとって悪いです。 『ポニー』……口に出していうと、なんか弱々しくてフワフワしていて、可愛いすよね。 これのせいで、弱いイメージ9割増しなんだと思います。 マジで、ポニーをなんか他の用語に置き換えられないか。 ポニーと聞くと、ちっちゃくて可愛くてなんか矮小〜みたいな感じのものを、みんな実像に重ねて消しちゃってそれだけ思い浮かべるんですよね。 実際140cmくらいの馬みたらガッチリ系かどうかにもよるというけど、まあなんでもデカくて強くてびっくりしますよ。
旗代@冬コミ新刊ネット頒布中@Hatashirorz

正直な話、ポニーという区分は、人間が勝手に決めたややこしい区分であり生物学的にはイエウマ:Equus caballusなので、使わないに越したことはないのです。誤解しか生まないと思う。

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騎馬云々について、普通に山がちだからといって残りの人間の大半は平野に住んでんだよって、昔つっこんでましたね。
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いやいや、源平合戦を見てわかるように、騎馬は普通にたくさんあったんですよ。 例えば、山がちの地形だからといっても、人間の大半は残りの平野に住んでるわけでね。 『大軍』が展開するのも開けた地形であることを思えば、そういうわけでもないんです。 ほか例えば、これは源平合戦のころではありませんが、明徳記では「騎馬衆が来たら馬を狙え」という記述もありますし、これまた違う時代に飛びますが、そもそも鎌倉平安は騎乗しての戦いが普通です。 もちろん、こういうのはケースバイケースで要害戦では降りたりしますし、大江山絵詞などを見てわかるとおり、山岳民との戦いでは徒武者となって戦したり色々あるんですが。 色々な時代の話をして様々な前提が飛び交ってしまいましたが、騎馬はそれだけたくさんの時代でふつうに用いられたし、ふつうにいたということです。 で、戦国の世でも特に東国などでは騎馬がたくさん用いられましたし、他の地域でもケースバイケースで馬上武者はたくさん戦っているんですよ。

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上記は、プラノ・カルピニが書いた『われらがタルタル人と呼びたるところのモンゴル人の歴史』を護先生が翻訳したものです。 kindle版81ページより引用しました。 なお、カルピニ自身も だいたい毎日、1日に3・4回新しい馬に乗りかえ、朝から晩まで(たまには夜行して)ぶっ通しで乗りつづけ、馬で行ける精いっぱいの速度で旅した りしています。 そうやってやれば、確かにすごい機動力だったでしょうね。
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なお、プラノ・カルピニは 『……これは、われわれには、タルタルの軍隊ほど多量の軍馬がいないからです。タルタル人は、一日乗った馬には、それにつづく三、四日はふたたび乗ることはしません。したがって、彼らが実に沢山の馬を持っている以上、馬の疲労など気にかけないのです……』 などと書いています。 そりゃそうですね。
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よくわからないことがあります。 モンゴル人も替え馬を常に連れて行軍していたし、モンゴル人も進軍するにつれて多分進軍地の強い馬を奪ったり買ったりして取り入れてたろうし、それで漢代でも6500キロもぶっ通し一頭でやって、戦場をその一頭のみで通して戦ったなんてことはないのでは? 絶対替え馬使ったし、ずっと乗ってたわけでもないだろうし……だいたい、中世ヨーロッパの騎士だって騎士は(乗用馬と荷馬と別で)少なくとも1頭の軍馬を持つとされ、平均で4.5頭(これは乗用馬も含むけど)ほどを所有し、そのような騎士は軍馬として最低でも1頭は替え馬を持ってましたよ。 馬の耐久力については……たとえば、時代はほぼ現代のアハルテケとヨムド(両者ともトルクマンの有用種)などほか品種の一行が、1935年にアシガバートからモスクワまで2,500マイルを84日で走破してます。 これは、実験的なものも含みながら(どの蹄鉄が最後まで良いかとか、色々種類をつけたりとか)事前に良い個体を選抜するなど獣医もつけ丁寧にケアしつつ、餌や水の不足や天候不順などなど過酷な環境はありながら、途中下馬して人間が馬を引いたり道を人間が整備したりし、馬の体調が思わしくなければ休み、それでもほかの交雑種、例えばアングロ=アハルテケは衰弱してとてもとてもという状態(もちろん、地元のアハルテケやアルカサルなどの種の保存のため、つまりソ連時代のゴタゴタで馬を守るための宣伝もあるけど)でした。 近代の優れた馬でもそれですから、もし漢代で兵士みんなが一人一人一頭だけ所有し、何日か知らないけど6500キロ人を乗せて走りきって、それから戦闘するとしたら、たぶん全員がみんな歩兵になってしまうのでは……。
skill@ll857036546014

@Nittacanon @tougoku_kenki 古代欧洲耐力也不好,耐力最好的的蒙古马所以蒙古人能通过不停的袭扰欧洲骑兵最后击败欧洲骑兵。汉代骑兵用的就是蒙古马和河曲马,他们的特点就是耐力好。在行军6500公里之后,依然可以发动冲锋。日本马可能走不到6500公里就已经死完了。所以大陆上的战争烈度和日本岛上完全不一样。

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基本的にこれは言われていますが、つまり優れた軍馬の話です。 ハイランドは、170cm以上の巨大馬であるなどとデービスが誤解したデストリエはそれほど大きくはなく、平均して14.2ハンド(58インチ、約147cm)から15ハンド(60インチ、約152cm)の間だったと述べていますし、他の著作は、中世後期の馬の骨格には1.5メートル(15手)以上のものもありながら普通、その範囲(か、それに近いもう少し小さいものも含む)だとしています。 過去の引用(勘弁すぎる抜きだしですが) x.com/boots_fleck1/s… 近いものも含むというのは、輸送の観点と当時の手を当てる測り方であるがゆえ、それからサンプル数と研究の進展、地域差も含むからです。 まあ、日本ではここでx.com/boots_fleck1/s…書いたように >130後半-145cm(約4尺半以降から4尺8寸くらい) のあたりに収斂するので、この辺りの体格の馬がよのつねの馬や他の用途の馬ではなく、優れたよき軍馬となり、5尺(約150cm)かその少し前あたりが、限度的な大きさになると思われる。 ということになります、もちろんこれは太平記あたりであって、戦国では少し基準が大きくなっていた可能性もあります。 室町では 「馬尺というは、4尺(121cm)を定めて其の上を1寸、2寸……7寸8寸という。8寸に余るをば長に余るという。長に余る大馬も多きにや」 なのですから。 室町と江戸、徳川将軍など色々史料はx.com/boots_fleck1/s…ここで挙げました(後半の注釈スレが汚くてすいません)が、ほかに小さく史料や軍記物を出すなら信長公記の星河原毛は約145cm、甲陽軍鑑の鬼鹿毛は約148cmですし……。 江戸後期の徳川将軍の御料馬185頭の体高は中央値136.4cm、平均値136.6cmとなり、分布の中心は133.3~139.4cmとなり、尺貫法で示すと4尺4寸から4尺6寸くらいの馬が多いです。 なお、たとえば家茂お召し馬の体高は研究によれば、中央値136.4cm、最大値150cm、最小値130.3cm で、分布の中心は135.2〜139.4cmです。 家茂お召しの中で、体高の大きい個体は常盤鹿毛と小春月毛が146.9cm、氷室黒鹿毛が150cmとなります。 お召し馬として、家茂のだけではない、ほかの時代の記録の馬全体を比べた時中央値はだいたい被るので、家茂は130cm台後半の馬に多く騎乗していたということになります。 時節は動乱を迎えていましたが、江戸後期では戦闘に供される予定が長らくなかったこともあるでしょうが、156.6cmという体格的に、そしてほかの利便性からもこのくらいが良かったのでしょう。 他方でよのつねの馬に近い、120cm台が多い小型の牧生産馬には騎乗していないので、小さすぎても威厳がなくダメということでしょう。 150cm以上の馬は数頭ほどで、大雑把に江戸(当然ながら各地方の牧では多少目減りするが)では、もはや長らく戦闘がないことも加えて、やはりこんなものだと思われます。
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中世から近世にかけての軍馬は近代の軍馬などから大型(体高170cm程度)と考えられてきたが、近年の研究では同時代の記録や絵画、当時の馬鎧など考古学的資料を踏まえ、体高は14~15ハンド(142cm~152cm)程度であり、むしろ筋肉量や軍事訓練という点で乗用馬と異なっていたと見なされている。

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あと、装備を外すのが当たり前という話がありましたが、それは確かに当たり前ですね。 言及せずとも、リポスト先の絵(再掲します)でも騎士は下半身の鎧(脚甲など)を外し、用を足しております。 そういうことです。 これは従者なども手伝ったか、あるいは1人で外せる場合はそうしたでしょう。 戦闘の真っ最中ならともかく、ここは教会ですから(描かれてるのはサラセンだけど、装備は西洋のものとして描かれてる)侮辱する意図だということがありつつ、ゆっくり“できる”わけですからね。 細かく補足しないとアレなので、例えばほかのことについて、メイルのブライエットなどにはホックがついていて、ズボンのチャックのようではないですが、ある程度は……メイルのブライエットの下に何を装着しているかにもよりますが、前の場合は対応できるようになっていました。 後ろの場合は、その時に応じた形で、装備を外したでしょう。 何度もいいますが、戦闘の真っ最中や戦闘直前(列に並んだり隊を組んだりして位置についたその瞬間とか)であれば、仕方なく垂れ流したことはあるかもしれませんし、百年戦争などでもありましたが赤痢などに罹患すれば、まあこれは関係なく漏らしたでしょう。
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日本の武士と同じことです。 股間は基本的には開けられるように出来ており、それが比較して簡単にできるかは個人が身につけた装備や時代にもよりますが、騎士や装甲を身につけた兵士たちは用を足せました。 ただし、ままあることで戦陣で赤痢に罹患していたりすれば、これは漏らしたでしょう。 また、戦闘で差し迫った段階や戦闘途中では致し方ない場面もあったでしょう。 しかし、基本的には生理的現象ですが戦闘や命のやり取りの段階になると、緊張によって人は用を足すという欲望を覚えなくなります。 わたし自身、緊張する試合などではそう感じましたし、そういうものです。 なお、プレートアーマーでなくメイルの時代の話になりますが、実際に装備を捲り上げて用を出している絵画や、用を足している最中に襲撃されて難を逃れた騎士が存在します。 添付は前者の絵画です、見た目汚いですが……。 なおこの絵画で用を足している人はサラセン人として描かれていますが、装備はヨーロッパ側にして書かれており、一つのやり方のその例を見ることができます。

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あの夏
あの夏@DBo2750puu0hfu3·
江戸末期の『古今要覧稿』という書物に、 「凡馬の丈は四尺を以て法とす 四尺の馬をばよのつねの馬とするがゆへに是を小馬といひ 四尺五寸あるを中馬といひ 五尺を大馬といふ」 この書物では、四尺(約121.2cm)を基準とし小馬、四尺五寸(136.4cm)を中馬、五尺(151.5cm)を大馬としている
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中世ヨーロッパでは、品種ではなく用途で馬を分けていました。 つまり、個別の馬の特性と生育地域ごとの大まかな理解で、馬を分別して用途に当てていたということです。 当時の馬の能力についていえば、そのように分別して適切に使用された馬は十分な能力を発揮し、戦士たちはそれに乗って戦っており、その他の用途にもとうぜん耐えていたということで、基本は十分だと思います。 体格などの諸元については、すでにX有識者の方々が多くコメントされてますので、わたしからはいうことなどありませんね……。 それで日本の話をすれば、今残る木曽馬などは、往時戦闘用のため専門的に選抜され育成された馬たちより劣る気質や能力や体格であることは仕方なく、しかしそのような馬たちであってもX有識者や木曽馬飼育をなさっている牧場の方々がコメントされているとおり、素晴らしい活動を見せます。 つまり、問題なく在来馬は戦闘に供されていたということです。
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