野寺 風吹 / 難聴フットサル選手

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野寺 風吹 / 難聴フットサル選手

野寺 風吹 / 難聴フットサル選手

@fubuki_mind

難聴といじめを経験。自分を否定し続けた日々から、心を整え、自分を信じて生きる道を選んだストーリーを発信 | 元プロフットサル選手 | 講演実績25回超 | 2019-25デフフットサル日本代表 | 世界2位 | 道民栄誉賞受賞 | 生き様note👉https://t.co/nhZDo0gkew

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野寺 風吹 / 難聴フットサル選手
なんで耳が聞こえない自分を産んだんだよ。ふざけんなよ。」 絶賛反抗期で、耳が聞こえない自分のことが嫌いだった高校2年生の時。 母親と喧嘩になって、思わず口にしてしまった。 全くそんなこと思ってないのに、つい言ってしまった。 絶対言っちゃダメなのに。 そう思った時には手遅れだった。 その時の母親の表情と絞り出した声は、いまだに忘れられない。 泣き顔を見た記憶はほとんど無かったのに、その時は泣いていた。 自分に「本当にごめん」とだけ一言ボソッと言った。 気まずくなって自分の部屋に戻った。 今でも喧嘩した時や自分が耳のことで困っていた過去を振り返るたびにこのことを思い出す。 これは僕がこれまでに発信している 過去やトラウマを克服して、自分のやりたいことに向かって挑戦する人を増やしていきたい。自分の可能性を信じて、自分の道を突き進む人を増やしていきたい。という想いの源になったストーリー。 それには大きな成功体験を積めたということが大きい。 私は生まれつき耳が聞こえない。 2歳の時に、難聴がわかった。 右耳は完全に聞こえない。左耳は補聴器をつければ少しは聞こえる。 当時は生まれてすぐに聞こえるかがわかる検査はまだなく、2歳児健診の時に、お医者さんに「右耳は完全に聞こえていません。左耳も聞こえていませんが、もしかしたら補聴器をつければ聞こえるようになるかもしれません。」と伝えられた。 自分が聞こえていないことを全く想定していなかった母親は、いきなり聞こえないという事実を突きつけられ、目の前が真っ暗になったらしい。 すぐに乳幼児相談室という耳が聞こえない幼児が通うところに通った。 3歳からはろう学校に。 当時住んでいたところは旭川ではなく、上富良野というところで、バスで片道1時間半かけて通った。 でも往復3時間の通学はやはり3歳の身体にはかなりストレスだったようで、全然言葉を覚えられなかった。 4か月後の夏休みの時に一家で旭川に移住した。 私には5個上の兄がいる。兄もまだ小学生。 急な引越しで、急な友達との別れ。 寂しかったと思うけど、仕方のない引っ越しだと理解していたのだと思う。 転校を機に性格が少し暗くなったと聞き、申し訳さも感じている。本当にありがとう。 当時のろう学校は徹底した口話教育(読唇術)。とにかくスパルタで毎日発音の練習を1時間以上やり、国語力向上のために絵日記を書いた。 近くからろう学校に通えるようになったおかげもあり、次第に言葉を覚えていった。 私は補聴器をつければ会話できるようになったので、親は小学校は普通学校にするか、ろう学校にするか迷っていたらしい。 最初は「普通学校に行くのは難しい」とろう学校の先生からも言われていた。 でも、兄がサッカーをやっていた影響で試合があるたびに連れていかれ、そこで聴こえる子とも自然と遊んでいた。そこで遊んでいる姿を見せて、両親は「この子は友達がたくさんいた方がいい」と思ったそうだ。 私は聴こえる世界を知らないから、ろう学校に行きたいと言っていたらしい。 でも、母親は自分に内緒で進学候補先の1日体験に連れて行った。すると自分も楽しかったのか、ここに行きたいと言い、少人数制の普通学校に通うことになった。 授業の遅れは心配だったと思う。 でも、ろう学校にいる時にたくさんの本を読み、たくさん勉強をしていた。 小学校に上がる前には、小1の勉強はある程度前もって学習していて、なんとかカバーできた。 でも、ここからが苦痛の日々が始まった。 前までは同じ聞こえない子しかいない環境から、いきなり聞こえない子は自分だけの環境になった。 「ロボット」「耳に変なのつけてる」 と揶揄われるようになった。 揶揄われたことに腹を立て、手を出すこともあった。 先生は理由を聞くこともなく、ただ私だけを非難した。 そこから先生を信頼することは辞めた。 反抗して、早退したこともあったし、暴言を吐いたこともあった。 とにかく悔しかった。 ちょうど転校も考えていたこともあり、通っていたサッカー少年団がある小学校に転校した。 前の学校よりも人数が多くてびっくりした。 転校した時に、最初の自己紹介で耳が聞こえないことを伝えた。どう思われるかとても不安だった。 そこの小学校では音楽で皆の前で歌を歌うテストがあった。 私は音程がわからないので音痴だから嫌だと言ったのだが、配慮してくれることはなかった。 当然音程を外しまくって笑われ、それがトラウマになり、それ以来みんなの前で発表する場になると、緊張して汗が大量に出るあがり症になった。 そのまま中学校に進むと、より明確に発音のことで真似をされる嫌がらせをされるようになった。 辞めろと言っても、その「辞めろ」という言葉でさえ真似をされた。言ってもキリが無いから手を出し、度々問題になった。 担任からは「もっと大人にならないと社会ではやっていけない」と言われた。 ますます教師が嫌いになった。 英語のリスニングはどう足掻いてもできなかった。人の口と声があればまだ頑張りようはあるけど、機械の音声だけはどうしても無理だった。 代替問題をお願いしたけど、別室受験しか対応してもらえなかった。 「話せるじゃん。英語脳がないだけでしょ。」そう言われた。悔しかった。 他のところで点を取っても、リスニングだけはいつも点が低かった。 悔しいけど見返してやろうと高校は偏差値の高いところに行きたいと思い、猛勉強した。 受験半年前の模試で、市内で偏差値が3番目のところでさえ合格判定率が2%だったけど、そこからもう勉強して、市内で偏差値が2番目の高校に進学した。 そしたら、中学の時の嫌がらせの主犯格も同じ高校に進学した。 その主犯格が中学と同じ嫌がらせをしてきたことで、高校でも嫌がらせが続き、それが広まり、いろんな人が自分の発音の真似をするようになり、次第に心が病んでいった。 中高と嫌がらせが続き、なんで俺がこんな理不尽な目に遭わなきゃいけないんだ、そう思っていた。 「なんで耳が聞こえないんだよ。」 「耳が聞こえたらよかったのに。」 耳が治ることはないのに、ずっとそんなことを思っていた。 「俺は不幸な人間だ。」 「耳が聞こえないから、何も出来ない。」 そんなふうにずっと自分を卑下することで、自分が逃げてることを正当化していた。 そんなことを考え、自分に自信をなくしている時期に、ふとしたことで母親と口論になって、 「なんで耳が聞こえない自分を産んだんだよ。ふざけんなよ。」 と、本心じゃないのに言ってしまった。 母親は泣いていた。そりゃそうだよな。 健康に産めなかったと罪悪感を少しでも感じているのは間違いなく母親だ。 とても申し訳なく思った。 謝るのと同時に、ふと自分のことを見つめ返そうと思った。 発音の真似をされることに対して、いくら言っても変わらない。 どうしたらいい。 もう嫌がらせをしてくる奴らを変えるのは諦めるのがいいよな。 そう思った時、自然と自分と向き合えた。 「そもそも何で発音を真似されるのが嫌なんだ?」 嫌という感情はわかっても、なんで嫌という感情が発生しているのかまでは理解していなかった。 それを深く考えた時、 「ろう学校の時に退屈で苦痛な発音練習を経て、ここまで話せるようになったのに、それを馬鹿にされることで、自分の努力を無下にされたから」 ということに気付いた。 発音を真似されるのが嫌なんじゃなくて、努力を否定されたことが嫌だった。 それに気付いた時、 でも、嫌がらせしてくる人はその発音練習の過程を見ていない。いくら言っても伝わらない。 そう思った。 大半の人は過程を見ることはない。 過程を伝えたところで理解する気もない。 だからこそ、過程だけは自分が肯定しよう。 相手を動かすことは諦めよう。 そう吹っ切れた時、発音で何か言われても動じなくなった。 自分で自分の価値を信じられるようになった。 そこからは自分の自己肯定感が上がり、夢を持てるようになり、夢に向かって行動できるようになった。 そこからスポーツトレーナーになりたいという夢ができた。 親からは国公立大学しか認めないと言われていた。 最初は理学療法士を目指していたが、壊滅的に理系科目ができず、数学や化学、物理は赤点だった。 そこで、文系科目でも受けられる体育系に進学することに決めた。 国公立で総合的に体育を学べる大学は2校しかなくて、その中でも偏差値が高い筑波大学になんとしても入ると決めた。 でも、勉強量が足りず浪人した。 入試の結果を開示したら、不合格者の中でも限りなく下のCライン。センター試験だけで見ても、100点以上は点数を上げないといけなかった。 勉強だって効率は悪い。 耳が聞こえない分、板書と先生の解説を同時に理解することは出来ない。そういうことの積み重ねでみんなより理解はどうしても遅くなる。 量でカバーするしかなかった。 筑波大学に落ちたけど、なんとしても行きたいと思い、親に頭を下げ、自宅浪人した。 4月1日からセンター試験まで、1日も欠かさず毎日最低8時間は勉強した。苦手だった英語は初めは1日最低6時間は費やした。 実技試験もあったから、1日も欠かさず筋トレと走り込みをした。食事制限もした。体脂肪率は今より低い8%ぐらいだった。 家にいて勉強しないことはわかっていたから、図書館や無料自習室に、雨の日でも雪の日でも毎日通った。 模試は現役生に混じって受けた。 屈辱的だった。 でも、なんとしても筑波大学に行きたいという一心でプライドを捨てた。 その結果、センター試験で87%という自己最高得点を出せた。120点ぐらいは上がった。 苦手だった英語は、65点アップの190/200点。政治経済は98/100点。 このまま油断しなければ、受かると確信した。 2次試験は実技と小論文。 旭川は雪が積もるからサッカーもできないし、1500mもしっかり出来ない。 そこで、ひと足先に現役で関東の大学に進学した仲の良い高校の同級生に頼み込み、1か月転々としながら居候させてもらった。 毎日走り、ボールを蹴って感覚を戻した。 そうして2次試験を受けた。小論文もサッカーも1500mも平均ぐらいでクリアできた感覚があった。 運命の合格発表。 これで受からなかったら仕方ない。 そう思いながら、ネットで自分の受験番号を探した。 見つけた瞬間部屋で叫び、嬉し涙が溢れてきた。 嬉しくて堪らなかった。 僕は耳が聞こえないことで現実を知った。 この世は不平等で理不尽で残酷なことを知った。 過程を見てくれる人は少なくて 自分の思った通りに配慮してくれる人も少なくて 結果でしか判断しない人が大半。 だからこそ、不平等や理不尽があることを受け入れた上で、自分が何をするのか?どうすれば状況が良くなるのかを考え、行動する必要があると知った。 他人に左右されず、自分で肯定し、自分で決断する能力が必要なんだと知った。 そして、自分は必ず上に行くんだと。 聴こえる人よりも上に行くことで、自分はできるんだと証明したかった。 聴こえない自分で聴こえる世界で戦うには、力をつけないといけないと思った。 半ば復讐心やコンプレックスに近いけど、それが原動力だった。 それはもう今は薄れつつあり、自分が耳が聞こえないことで得られた経験をどう他の人に伝えていくかを考えるようになった。 自分が自分を肯定する考え方は、嫌がらせを経て発見することができた。 自分を信じ続け、自分を律し続けることで、結果を出せるという信念は、自宅浪人で培った。 耳が聞こえてよかったと思うことはない。 でも、耳が聞こえないことで得られたことはたくさんある。 だからこそ伝えたい。 人は変われる。 自分を、自分の可能性を信じ続けて、行動すれば、人は変われる。 と。   読んでいただきありがとうございます。 自分の想いは原体験から来るものです。きっと同じように悩んでいる人はたくさんいて、自分にしか救えない人がきっといます。 その人たちを救うためにこれからも発信していくので、いいね、コメントなどで応援していただけると嬉しいです。
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ど素人ホテル再建計画 / 42アカウントバズらせ中
ちょっと感動レベルの裏技で、SNSから売り上げを立ているアカウントを見つけてしまった。 毎日いろんな成功事例を見ていますが、久々の感動です。 こう言う裏技編み出す人って賢いなぁほんと。 広告費はもちろん0で、他の業種に横展開もできる型です。 気になる方はがっつり解説したので ①この投稿にいいね ②リプ欄に「集客の解説書」とコメントください
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野寺 風吹 / 難聴フットサル選手
@remone0501 それは以前から知っていて取ったのですが、どっちかというと「緊急時の対応が難しいのでは?」という会社都合のニュアンスを、あくまで個人への配慮のようにすり替えてることにモヤっとしました。
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れもねーど
れもねーど@remone0501·
非常口付近だと、すぐに状況を把握して脱出の援助をしないといけないんよね 私はそれ説明されて、どうしますかって聞かれたけど無理だなって思って席交換した でもたしかに今回のはちょっとストレートな言い方だったからそれはモヤモヤするかも
野寺 風吹 / 難聴フットサル選手@fubuki_mind

飛行機で障害者割で非常口座席を取った。発券した後に追いかけてきて話しかけられた。「お席の変更いたしましょうか?」って言われたので、理由を聞いたら「ご協力をお願いすることもあり、お客様の身体にご負担なので変更した方がいいと言われまして…」 と言われて、モヤっとして心地悪かった。

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野寺 風吹 / 難聴フットサル選手
@Ashl_contact1 「緊急時の対応が難しいのでは?」という会社都合のニュアンスを、あくまで個人への配慮のようにすり替えてるのが心地悪かったです… それならまだストレートに言ってもらった方が納得できたかなと。 そもそもそれを言うなら最初から予約時に指定できないようにしたら良いと思うんですけどね…
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Ashley
Ashley@Ashl_contact1·
@fubuki_mind そういう理由なら「変更しましょうか」じゃなくて、 最初から障害者の座席を非常口付近にしないか、 「万が一の緊急時に迅速な対応を優先するため、大変心苦しいですが変更させてください」 みたいに言ってほしいですよね…
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野寺 風吹 / 難聴フットサル選手
飛行機で障害者割で非常口座席を取った。発券した後に追いかけてきて話しかけられた。「お席の変更いたしましょうか?」って言われたので、理由を聞いたら「ご協力をお願いすることもあり、お客様の身体にご負担なので変更した方がいいと言われまして…」 と言われて、モヤっとして心地悪かった。
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野寺 風吹 / 難聴フットサル選手
初めまして。 野寺風吹と申します。 ポストを拝見しまして、ぜひご意見を伺いたく、引用させていただきました。 【アカウント情報】 x.gd/TATJU こだわった部分は聴覚障害者が営業で1000万稼ぐというコンセプトです。 聴覚障害がある人が営業に挑戦するという形が希少性に当てはまると思い、このように設計しました。 <アカウントのゴール> ・転職アフィ ・キャリアコーチングアフィ ・講演会などの仕事の依頼をもらう ・1000万を稼いだ次は社長になるコンセプトで継続しようと考えています。 <経過> 1本目の投稿はそこそこ伸びましたが、そのあとがあまり伸びず、耳の聞こえない人は気になってフォローするが、耳が聞こえる人からのフォローはないという状態です。 <定量的原因> フォロワー外の最初の3秒の再生率がかなり低い事が一番の原因だと考えています。 もっと冒頭の3秒にこだわる必要があると考えています。 <自分なりの分析した所感> ・耳が聞こえないことが視覚情報で伝わっていない(目に見えない障害と言われてるように聴覚障害は目に見えてわかりづらい) ・僕の障害が軽度なのでギャップがうまれにくい(電話はできる) →この2点が1番大きいと考えています。 ・動画構成や台本を見直すべきポイント ・よりマスに向けて広げていき、マスの人がよフォローしたくなる、より見たくなるような状態を作るポイント を抑えるためには、今後はどのような見せ方をしていくのが良いか、もしお考えなどがございましたら教えていただけると幸いです。 お忙しいところお手数ですが、よろしくお願いいたします。
安藤大弥/ど素人ホテル唯一の弟子@amane_sns

【無料ショート動画コンサル開始します】 いきなり突撃して会おうとしていた超多忙な ど素人さん@4610_hotel に無事会えましたww ど素人さんが何者かと言うと、                                       現代のSNS(Tiktok、Instagram、X、Threads)全てを熟知していて様々なアカウントをバズらせている天才です。 沖縄まで来たおかげか、ど素人さんから僕のショート動画の才能を認めて貰えましたww ですが、認めて貰ったのはいいものの、実力を発揮する所がなく不甲斐ない気持ちです。 そこで 【無料ショート動画コンサルを開始します】 ・ど素人さんにコンサルして貰いたいけど、忙しすぎてコンサルして貰えない方 ・無料でできるなら、やってもらいたい方 ・コイツ本当に才能あるか見てやるかぁって方 皆さん、このポストを引用してご自身の動画とこだわったポイントを教えてください。 一人一人目を通してしっかりコンサルします。 このX上でコンサルするので、ど素人さんから認められた才能がどんなものか見ていてください。

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三塚雄大 (みつづかゆうだい)
【ヒカルさんのホテルとBuddyが提携】 弊社のフレグランスブランドBuddyをホテル385に置いていただくことになりました。 今年1年丹精込めてメンバーたちと作り上げてきたブランドがこのような形で提携まで進められたことを嬉しく思います。 ヒカルさんの自分らしく生きる姿勢が、Buddyの一歩踏み出す挑戦の考えとマッチすると思い、以前よりご一緒したいと考えておりました。 より一層、手に取っていただくお客様が喜んでもらいながら「挑戦っていいね」という考えをより広めていけるように精進して参ります。 ぜひ、拡散していただけると嬉しいです! prtimes.jp/main/html/rd/p…
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日本ろう者サッカー協会(JDFA)
【速報!🇯🇵東京2025デフリンピック 準決勝 アメリカ🇺🇸戦】 試合終了! 日本🇯🇵 1-0 アメリカ🇺🇸 得点者:星河1点 日本完封勝利で決勝戦進出を決めました! デフリンピック史上初となるメダル確定です!!✨ 沢山の応援ありがとうございました!!🇯🇵 〈決勝戦〉 11月25日(火)17:30キックオフ 会場:Jヴィレッジスタジアム🏟️
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野寺 風吹 / 難聴フットサル選手
完全にフットサル選手としてのアカウントを作りました! 以前あったアカウントは今後は徐々に仕事としても使いたいので、フットサル選手としての活動が見たいという方はこちらフォローしてください🙌 引き続きよろしくお願いします!
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今日はありがとうございました!! アスリートの可能性を広げるべく、競技もビジネスも頑張るぞー! まずはFリーグの舞台に早く戻れるように頑張ります🔥
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現役デフフットサル日本代表 現役Fリーガーの野寺風吹さんとお話ししました! @fubuki_nodera やっぱりアスリートの可能性はすごいぞ! 野寺さん共に盛り上げていきましょう!!

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iso|磯江太勢@i_t_419·
⚠️個人事業主の方限定で⚠️ SNSを活用したアポイント取得の ノウハウを知りたい方いらっしゃいますか? 僕は月間40件〜50件のアポイントを SNSを活用して取得しています。 フォロワーが500くらいの時から やっていたので再現性があります。 知りたい方はコメントください。
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野寺 風吹 / 難聴フットサル選手
伸びる人は、“考える癖”がある。 8ヶ月の大怪我をきっかけに、 「仮説を立てて考える」習慣が自分の中に根づいた。 どんな課題に対しても、まず問いを立てるようにした。 ・その課題の本当の原因は何か? ・その原因はどこから来ているのか? ・どうすれば克服できるのか? ・どれくらいの量・期間が必要か? こうして“仮説→検証”の思考をもつだけで、行動の質が一気に上がった。 インプットも同じ。 「なぜこれを見るのか?何を得たいのか?」を明確にしてから取り組むと、情報がただの知識ではなく、行動に変わる。 たとえばフットサルの試合も、 「このチームの強みは何か?」 「自分のプレーに活かせる動きはどこか?」 と意識して観ることで、吸収できる量が圧倒的に増えた。 ただがむしゃらにやるより、 “考えること”のほうがずっと大事だった。 怪我は辛かったけれど、 “思考すること”の価値に気づけたことは、自分にとって大きな財産。
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わたり|採用特化のTikTok運用会社|株式会社ADDICT ONE代表取締役
これ言うか迷いましたが.... 新規アカウントでたった1動画だけで1111フォロワー獲得、98万回再生を突破したんですが、この動画を30分で作れる方法知りたい人いますか? 知りたい人は、いいねと「  名言  」と送ると自動返信で受け取れます
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野寺 風吹 / 難聴フットサル選手
『耳が聞こえないのは可哀想』 ずっとそれを誰よりも想っていたのは自分だった。 ・苦手な発音を面白がって真似される ・リスニングが出来ないのは耳が理由ではなく英語脳がないからと言われる そんな嫌がらせや理不尽なことを受けて、誰よりも自分が自分を卑下していた。なんで俺がこんな理不尽な目に遭わなきゃいけないんだと思っていた。 「なんで耳が聞こえないんだよ」 「耳が聞こえたら、全部うまくいったのに」 耳が治ることはないとわかっているのに、 どうしてもその事実を受け入れられなかった。 「俺は不幸な人間だ。」 「耳が聞こえないから、何も出来ない。」 そうやって自分を卑下することで、 “挑戦しない自分”を、正当化していた。 “逃げている自分”を、守っていた。 でもあるとき、気づいた。 誰かに救ってもらうんじゃなくて、 自分が、自分を救ってあげなきゃ意味がない。 それから、俺は少しずつ自分を卑下するのをやめた。自分の人生に、自分の意思で立つようになった。 活躍できたとは言えないけど、 プロのフットサル選手にもなれた。 日本代表として、世界の舞台にも立てた。 全部、あのとき「自分で自分を幸せにする」と決めたから。 だから、伝えたい。 他の誰かじゃない。 まずは、自分が自分を幸せにすること。 それが、人生を変える一歩になる。
田舎者@inaka_nouka

『可哀想な自分』から卒業しないと、愛や幸せを手に入れる日は来ないようだ。

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野寺 風吹 / 難聴フットサル選手
トイレ出来るだけで幸せ。 手術をして車椅子生活になった時。 トイレに行くのも一苦労。 自分の服も1人で着替えられない。 お風呂の時も車椅子で。 最初はナースコールで看護師さんを呼んで手伝ってもらった。 そんな経験をしたことがなかったから、最初は自分に絶望した。 でも、その時に気づいた。 普段当たり前にやってると思ってることって実は当たり前じゃないんだなって。 幸せの閾値を下げることは幸福につながる。 そして、日々生きてるって実感できる。
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野寺 風吹 / 難聴フットサル選手
常に物事の要素を細分化して自分で仮説検証する癖をつける。 そうすることで、課題解決の時間が早くなる。 全治8ヶ月の大怪我をした時、ただ闇雲に量をこなしてリハビリしたわけじゃない。 自分は、今やろうとしている動作が出来ないのは何故なのか?を考えるクセを付けていた。 ・筋力の問題 ・可動域の問題 ・心理面の問題 どの要素に問題があり、それを解決するためには何をすべきなのかを常に考えていた。 筋力の問題なら量に限度はあるが、怪我をしたことによる心理的不安の問題なら量をこなしても問題はない。 そういう風に自分の中で仮説検証し、量を決め、課題を克服していった。 課題の要素を分解せずにただやるだけでは非効率になり、それは間違った方向にすらいくことだってある。
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