山内雁琳 Ganrin Yamauchi(旧アカウントが乗っ取られました)

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山内雁琳 Ganrin Yamauchi(旧アカウントが乗っ取られました)

@gunleangoosegem

旧アカウントを乗っ取られたPublic Enemy Satanで、酒と煙草と珈琲が好き。哲学をやっております。 書籍喜捨リスト(https://t.co/7eVIjWur4v)

福岡生まれ。京都住まい。 Katılım Mart 2026
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上梨ゆうすけ┃日本結束党/杉並区
本日も19時半から演説を行いました! 皆様ありがとうございました!!
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では、固有名としての哲学とは何か。色々考えて来たが、畢竟、本質と存在についてその概念の「可能性」という観点から探究することである、と言える。ラッセルは当時のウィーン学団の人々と同様、「哲学の消去主義」とでも言うべき立場に立っていたと思われるが、私はこの立場は成立し得ないと考える。
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そんな論争があったことを全く失念していたが、「すべての学問は哲学だったが、定義づけられるものから独立していき定義づけられないものが哲学として残った」がラッセルの哲学観なのは事実。「神学から哲学へ、哲学から科学へ」という流れ。しかし、固有名としての哲学はそれではないと私は考える。
eternalwind@juns76

なのにこのツイートを見て雁林ってやつがめちゃくちゃ激怒して怒りのツイートしまくって、それで、はむっち提督が仲裁に入ったことがあったわけ。だから俺は雁林ってやつが哲学者とかプロフで名乗ってるの本当に馬鹿にしてるよ。こいつラッセルも読んだことないのに哲学者名乗ってんのかよってな。

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大きな夢・小さなお葬式・口には出せなかった恋
礼拝が日に五回もある宗教は厳しく見えるが、それだけで自分の存在の義務をひとまず果たした実感を持てるかもしれない。安息日を「人のためのもの」にしてしまった現代人は、何もしなかった休日さえ罪悪感を覚える
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大きな夢・小さなお葬式・口には出せなかった恋
ラカンの言葉で好きなのは「神がいなければ全てが許されない」というやつ。簡単にいうと、中心的な禁止がある世界では、その周囲に許された享楽の余地があるのに、権威が失墜した世界は自由などころか無数の小さな規範が拡散する。私たちは逸脱した言動もムダ毛も許されない世界を生きている
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石橋直樹/Ishibashi Naoki
皇室制度について議論が紛糾しているが、結局のところ、議論の肝は大日本帝国憲法と旧皇室典範という「典憲」の戦後的位置付けということに帰着すると思う。畏れ多くも、よく意見を聞かれるので簡単に愚見をまとめてみる。 もし大日本帝国憲法が天皇主権なら、国民主権たる日本国憲法への改正は、主権変更を伴うので原理上不可能だが、ご存知のように宮澤俊義の〈八月革命説〉は主権変更を〈革命〉と呼称することによってこの間隙を埋めている。一方で、旧皇室典範は、憲法と同格のものから法律へと格下げ改正されたが、皇室の制度的位置付けとして〈八月革命説〉等で必ずしも解消されない性格を有しているために、憲法は戦後的論理、典範は戦前的論理というねじれが生じているのではないか。 つまり皇室典範をめぐる議論の難しさは、新皇室典範が日本国憲法第二条に基づく国会制定法でありながら、その内容においては旧皇室典範以来の皇統観・皇室法的秩序を強く継承している点にある。したがって、これを単純に戦後憲法の理念で処理しようとすると、皇室制度固有の歴史的性格を見失うことになる。つまり、皇室史と有職故実の専門家が歴史貫通的な連続性に照らして明らかにする話で、制度においては衆愚化させてはならないということに尽きる。
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川西正彦
川西正彦@kawanishimasahi·
万世一系は嘘ではない。中世においても男系継承は当然意識されていた。  花園上皇の『誡太子書』に「 吾朝は皇胤一統なり」 「異姓簒奪の恐無し」とある。洞院満季が後小松上皇の勅命を奉じ撰進した皇室の系図か『本朝皇胤紹運録』というように、皇位継承は皇胤(男系)である。  同趣旨の見解として慈円『愚管抄』巻七に「日本ノ国ノナライハ、国王種姓ノ人ナラヌスヂヲ国王ニハスマジト、神ノ代ヨリサダメタル国」「コノ日本国ハ、初ヨリ王胤ハホカヘウツルコトナシ。臣下ノ家又サダメヲカレヌ。ソノマゝニテイカナル事イデクレドモ、ケフマデタガハズ‥‥」 。  『吉田定房奏状』は「異朝は紹運の躰頗る中興多し。蓋し是れ異姓更に出ずる故のみ。本朝の刹利天祚一種なるが故に、陵遅日に甚だしく、中興期なし」と言う。[村井章介 「易姓革命の思想と天皇制」『中世の国家と在地社会』 校倉書房 2005]  異姓に帝位が継承されない天祚一種が日本であるとする。  『神皇正統記』は、「唯我国のみ天地ひらけし初より、今の世の今日に至まで、日嗣をうけ給ことよこしまならず。一種姓のなかにをきても、をのずと傍より伝給しすら、猶正にかへる道ありてぞたもちましましける。」と言う。  わが国の皇親(親王号、王号の範疇)とは庶流女子を含むため範囲が広いが、女系を排除した親族概念である宗、ローマ法のアグナチオに類比できる。単系出自リニージといってもよい。ただし中国の宗法制度のような外婚制や昭穆制をともなわない。
池田信夫@ikedanob

「血統原理で成り立っている『万世一系』の男系継承」 これは嘘なのに、朝日の校閲ははねなかったのか。

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冷泉富小路(持明󠄁院殿)
この記事面白い。地震等々が頻発するので内裏で祈祷をしたら、数日後に内裏が全焼してしまったと。それで祈祷を担当した円満院宮円助法親王は、「自分の祈祷が強すぎてこのようなことが起こったのだ」と言ったらしい。
冷泉富小路(持明󠄁院殿) tweet media
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finalvent
finalvent@finalvent·
純文学と大衆文学の差が何であるかについては、さまざまな議論があります。私自身が作品を読むなかで、「これは純文学か、大衆文学か」という違いとして感じるのは、作為性のあり方です。 ここでいう作為性とは、伏線を撒いて回収するというような構成上の技術だけを指しているわけではありません。読者の感情を喚起すること、キャラクターに魅力を持たせること、物語を先へ先へと読ませること、あるいは最後にカタルシスや納得を与えることも、広い意味では作為性に含まれると思います。 そのうえで、大衆文学の作為性は、どちらかというと「パズル」に近いものだと感じます。作品の中に置かれた出来事や描写、人物の言葉や行動が、後になって意味を持ち、互いに対応し合い、最終的には一定の納得や快感へと回収されていく。読者は、その仕掛けに導かれながら、「なるほど、そういうことだったのか」と感じることができる。そこに大衆文学の大きな魅力があるのだと思います。 純文学における作為性は、そうした対応関係や回収の快感を基本的な原理にはしていないように思います。もちろん、純文学にも感情の喚起はありますし、印象的な場面や人物、反復されるイメージもあります。しかし、それらは必ずしも何かを説明したり、結末で明快に回収されたりするために置かれているわけではない。むしろ、意味や感情が開かれたまま残されるところに、純文学らしさがあるのではないかと思います。 別の言い方をすれば、大衆文学は、作品の中に置かれた要素が互いに結びつき、読者の感情や理解がある方向へ導かれていく文学であるのに対し、純文学は、提示されたものが必ずしも一つの意味や結論に収束しない文学だと思います。大衆文学が「うまく作られている」と感じられるとき、その作為性は読者に快感を与える方向に働いている。一方で純文学の作為性は、読者に納得を与えるというより、むしろ違和感や余白を残す方向に働いているように感じます。 その意味で、私にとって純文学と大衆文学の違いは、単に題材や文体の違いではなく、読者に対して、どのような仕方で作品を構成するのか、その作為性の違いかと思います。
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荒川和久/独身研究家/コラムニスト
書きました。出生数は婚姻数に完全に依存する。少子化とは少婚化であり、婚姻数特に20代の初婚が増えなければ絶対に出生は改善しない。的外れな少子化対策は子育てコストをインフレさせ、結果結婚必要コストもインフレさせ少婚化を促進してしまった。いい加減気付けよと。 news.yahoo.co.jp/expert/article…
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皇位継承問題を巡る諸々の議論を見ていると、最も重要な「有職故実」抜きの議論ばかりで呆れ果ててしまう。一体全体、悠久の歴史を積み重ねてきた皇室というものを有職故実抜きに考えてみたとして、何か意味があるとでも思っているのだろうか。歴史の正統というものを何だと思っているのか。
山内雁琳 Ganrin Yamauchi(旧アカウントが乗っ取られました)@gunleangoosegem

大泊瀬皇子に父の市辺押磐皇子を殺されたので播磨国に身を隠して牛馬の世話をしていた大脚御子と来目稚子の兄弟が、雄略天皇(大泊瀬皇子)崩御後に白髪皇子が清寧天皇として即位した時、初めて身分を明かして皇子と認められ、それぞれ仁賢天皇(後)と顕宗天皇(先)として即位した例もあります。

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蓉堂居士
蓉堂居士@rongtangjushi·
大藏流狂言師でいらした大藏吉次郎先生の言葉を思いだす。 「地位が人を作るんだよ。」 顯宗・仁賢二帝や、漢宣帝は民間にいたが、民情を知るために名君となった。 「うちが宮家だったの?」3歳で皇籍離脱した旧宮家の三男が語る、“男系男子養子案”への本音 #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/articles/7e362…
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大泊瀬皇子に父の市辺押磐皇子を殺されたので播磨国に身を隠して牛馬の世話をしていた大脚御子と来目稚子の兄弟が、雄略天皇(大泊瀬皇子)崩御後に白髪皇子が清寧天皇として即位した時、初めて身分を明かして皇子と認められ、それぞれ仁賢天皇(後)と顕宗天皇(先)として即位した例もあります。
ジロウ@jiro6663

近代の天皇制って「日本の家族」のモデルで国民が幼い頃から「お育ち」を見てきた子が天皇になって万歳する文化だったから、男だからという理由でよく分からん人が連れて来られて「今日から僕が天皇です」と言われて、え、こいつに税金使うの?てかこいつ誰?って国民が一気に萎える方が天皇制存続の危機よね

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さてもさても、仕事は山積み、折角入った金もなお月の支払い、御清算。睡眠不足の徹夜の朝風呂、滑って転んで大骨折と来た。さりとて早く仕舞いまでやらねばならぬ秘密秘蔵の大仕事、地獄の沙汰を過ぎてなお、魂魄留めて乞うカンパ! 三井住友銀行四条支店 店番512 普通 2289959 ヤマウチシヨウタ
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肋骨複数本骨折したせいで大分仕事に遅れが生じている。当たり前だが、骨折して十日位しか経っていないので咳や嚔、上体を捻ることや重い物を持つこと、そして何より体を横たえるのに相当な痛みが伴う。ただ今月中に皆さんに、それはもう中々の御知らせが出来ますよ。私はどこまでも闘い続けますよ。
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例えばその行状においてジェフリー・エプスタインの如き者が「倫理」という事象について真に正しいことを言うことは常に可能である、ということは殆ど認め難いでしょうが、紛れも無い真理であると思われます。しかしその真理を常に既に隠蔽するのも「倫理」と呼ばれるものの別の本質ではありますね。
顔アカウント@sitasimiyasui

この観点からいえば、「倫理学は実践的な意味で自らの生と引き離せない学問だ」などとのたまう学者のほうが、まったく恥ずべきことを言っていると見做しうる。少なくとも私はそう見做している。

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自由主義というものは、現実の通例としてその原則の下で社会の自然な常識としての様々な「善さ」がそのままに運用される(自由主義の保守主義的運用)場合も多いが、その本質として見た場合は必然的に不善に通ずるし、現実社会から見た時に冒涜的な不義不徳、堕落と汚穢と淫猥に通ずるものである。
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そして、この独特の連関の理解が、実は自由主義の本質の理解にも通じているように思われる。と言うのも、自由主義は常に形式的であって、徳と正しさとの一致によって「善さ」として構成される「正しさ」の内容を超越した規範であるからである。だから、当然のことながらそれは不善にも通ずるのだ。
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此処から導かれるのは、現実社会における「正しさ」の内容は常に既に徳と正しさとの一致によって(「善さ」として)構成されるので、徳と本質的に別物である所の「正しさ」は寧ろ現実社会においては内容として「不善」であることが往々にしてある、ということだ。これは極めて重要な真理であろう。
山内雁琳 Ganrin Yamauchi(旧アカウントが乗っ取られました)@gunleangoosegem

そして重要であるのは、徳と正しさの一致による「現実的な「正しさ」の内容の構成性」の探究はそれ自体が「倫理的」と言えるものだが、徳と正しさの本質的相違による「形式的な「正しさ」の構成性」の探究はやればやるほどそれ自体が極めて「反倫理的」なものにならざるを得ないということでしょう。

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