
そもそも家庭に“機嫌”が存在しないよね。良いも悪いもない。アップダウンがない。一定で落ち着いていて毎日平常。親の機嫌を気にしたことがない。他人の不機嫌は察知できるけど、自分に影響しない。「機嫌悪いんだ、知らんけど」ってスタンス
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そもそも家庭に“機嫌”が存在しないよね。良いも悪いもない。アップダウンがない。一定で落ち着いていて毎日平常。親の機嫌を気にしたことがない。他人の不機嫌は察知できるけど、自分に影響しない。「機嫌悪いんだ、知らんけど」ってスタンス




自己との和解が必要だと言っても、それは簡単なことではない。そもそも、長く自分を責めることでしか自分を保てなかった人にとって、自己との和解は自然な状態ではない。 むしろ最初は、不安で、不慣れで、どこか危険なことのようにすら感じられるだろう。 自分を責めることに慣れている人ほど、自分を少しでも緩めれば、怠惰になるのではないか、甘えるのではないか、だらしなくなるのではないか、という感覚を抱きやすい。 あるいは、自分の弱さや醜さを認めたら、そのまま崩れてしまうのではないかという恐れもある。 しかし実際には、自己との和解とは、自分を甘やかすことでも、自分を正当化することでもない。 それは、自分の内部で起きていることに対して、ただちに断罪を下さないようにすることである。 言い換えれば、自分の中にあるものを、自分自身がまず保持できるようになることなのである。 自己との和解が難しいのは、自分の感情や欲求そのものが問題だからではない。 そうではなく、それらを持つことが長いあいだ危険だったからである。 たとえば、不安を見せれば否定された人は、不安そのものを恥ずかしいものとして抱えるようになる。 寂しさを表せば拒絶された人は、寂しさを感じる自分を未熟でみっともないものとして扱うようになる。 怒りを出せば罰された人は、怒りを感じた瞬間に、それを悪とみなし、自分ごと押しつぶそうとするようになる。 このような経験が重なると、人はある種の結論に至る。 つまり、自分の内部にあるものを、そのまま持っていては危険だ、という結論である。 すると心の中では、感情が生じるたびに、それを否認する、矮小化する、合理化する、あるいは逆に他者への攻撃として外に出す、といった反応が起こりやすくなる。 ここで起きているのは、単純な自己嫌悪ではない。 むしろ、自分の中に生じるものを安全に抱えていられない、ということの方が本質に近い。 自己との和解ができていない人は、自分を嫌っているというより、自分の内部に出てくるものを扱えないのである。

理由が分からないけどしんどい、という状態にいる人は、自分の違和感を無視することがあまりにも当たり前になっていて、どこで何が引っかかっていたのかの手がかりを失っていることが多いのだと思う。小さな違和感の段階で拾わずに流し続けると、それが積み重なってもはや分解できない塊のようになり、しんどいという感覚だけが残る。 理想であれば、その都度引っかかっていたはずのもの、嫌だったことや無理していたことが、ひとつひとつは些細でも処理されないまま蓄積していくと、どこが問題なのか自分でも辿れなくなり、対処も難しくなり、とりあえず頑張る、無視する、やり過ごす、という選択しか取れなくなっていく。

自分を矯正しない、がそもそも分からないのが過緊張の人でもあるね。 なぜなら、ずっと矯正されて来たからだ。

【分かりづらい毒親・モラルハラスメントに育つと、身体はそれを「普通」だと覚える】 あからさまに攻撃する人は分かりやすいです。 でも本当に厄介なのは、 「良い人の顔をして縛ってくる人」 こっち。 ・あなたのためを思って ・普通はこうするよ ・心配してるだけ どれも全部、正しい言葉だけど、 共通してるのは、 【相手に選ばせていない】という点。 一一一 この環境で育つと、 ・否定はされていない ・でも自由もない これが当たり前になる。 その結果、 「従う=安全」を【身体が】覚える。 だから大人になっても、 ・違和感があっても逆らえない ・本当に優しい人ほど怖くなる ・正しいことほど苦しくなる なぜこうなるのか? 身体が「従う方が安全」と覚えているから。 amzn.to/3ONyPel

これの予後悪いところは大人になって仕事をすると次は職場内で「頑張らないと価値がない」と思い出し、結婚すると家庭内で「全力でやらないと何のために私がいるのかわからない」ってどんどん自分を追い込み出すんだよね。 旦那から「まず手抜きを覚えてほしい」って言われた時はびっくりした。

