MIHO🇮🇳バンガロール@南天竺デカン高原

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@museindia

坂田マルハン美穂。福岡市出身。🇮🇳バンガロール在住。ライター、リサーチャー、フィランソロピスト。ミューズ・クリエイション (NGO) 主宰。1996年に米国移住、ニューヨークで出版社起業。ワシントンD.C. やカリフォルニア生活を経て2005年にデリー出身の夫とインド移住。元野良の4猫と暮らす。

バンガロール/ デカン高原@インド INDIA Katılım Ağustos 2009
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The Consulate General of India in Fukuoka opened in April last year as the third Indian consular post in Japan, following the Embassy in Tokyo and the Consulate General in Osaka-Kobe. I had been hoping to meet Consul General Ramkumar, and yesterday I finally had the opportunity. I am currently working on various personal initiatives to strengthen ties between Fukuoka (Kyushu) and Bengaluru (India), and have created a range of related supporting materials. I brought some printed copies with me to the meeting. Through the Consulate General of India in Fukuoka’s social media, I had already seen Mr. Ramkumar’s highly proactive efforts over the past year. The meeting was very fruitful and exceeded my expectations. I truly appreciated him taking time out of his busy schedule. I look forward to continuing to contribute to the friendship between Japan and India by making use of my experience and knowledge.
India In Fukuoka@IndiainFukuoka

CG Ramkumar met Ms. Miho Sakata Malhan, a cultural expert researching on connections between Kyushu & India and had an engaging discussion on unique cultural & historical ties between the two countries. Buddhism, silk, cotton, artifacts, Rash Behari Bose are some fascinating connections that bring the two countries closer #ConnectingHimalayaswithMountFuji @IndianEmbTokyo @IndianConsOsaka @MEAIndia @IndianDiplomacy

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Around this time three years ago yesterday, I was spending time together with Kaoru and his wife Saki. We wandered around Bangalore city, tried hip-hop dance for the first time, visited a charity organization, and so on. And then yesterday. After three years, I reunited with Kaoru who came back to Bangalore, and we enjoyed a little adventure exploring South Indian coffee together. What a delightful connection! 🕺 3年前の昨日あたり。 わたしはKAORUさんと、妻のSAKIさんと共に過ごしていた。バンガロール市内を巡ったり、初めてHIP HOPダンスに挑戦したり、慈善団体を訪問したり。 そして昨日。3年ぶりにバンガロールへ来訪したKAORUと会い、南インドのコーヒーを巡る小さな探検を楽しんだ。 愉しきご縁!
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[Bangalore] ブーゲンビリアと胡蝶の夢。……ハナニアラシノタトヘモアルゾ「サヨナラ」ダケガ人生ダ *The following text is written in Japanese. The auto-translation is often incorrect and misleading. 今年の我が家界隈は、かつてなく、ブーゲンビリアが花盛りだ。新居の庭にも、旧居の庭にも、眩いピンクのブーゲンビリアが咲き誇る。 朝日を浴びて静かな朝も、青空を背に鮮やかな午後も、薄暮の空に溶け込む夕べも、そのときどきで、麗しい。 わたしは毎日、1万歩を歩くよう心がけていて、旧居にいるときには、時の合間に、この小道を往復する。仏像に向けて、まるでお百度を踏むように。 以前はこんなに短い小道を往復しても、大した運動にはなるまいと思っていた。だからバルコニーに用意しているトレッドミルの上を歩いていた。今のように何往復も、ここを歩き始めたのは、2020年1月。義父ロメイシュの危篤の知らせを聞いた夜だった。 満月の夜。一足先にデリーへ赴いた夫から、「パパが危ない」との知らせを受けた。翌朝の便でデリーに飛ぶつもりだったが、まさかこんなにも早く容体が急変するとは思わなかった。 寝るに寝られず、かつてダラムサラで、ダライラマ14世にお会いした際に、触れていただいた108球の数珠を握り、一つ一つ、指先で数えながら、お百度を踏んだ。 果たしてパパは、蘇ることなく、わたしは空港へ向かう途中の車内で、パパの訃報を耳にしたのだった。 🙏 あの夜から、この小道を歩くことは、単にエクササイズというのではない。気分転換、禊、祈り、願い……。 夢想しながら、鳥の囀りを聴きながら、あるいは好きな音楽や、Youtubeの話を聴きながら。黙々と歩くときには、瞑想のようでもある。 我が小宇宙に、このブーゲンビリアが咲き誇ることは、だからなおさらにうれしい。 🙏 とある午後、花の周りを蝶が舞い飛んでいた。 刹那、「胡蝶の夢」ということばを思い出す。高校時代、古典の授業で学んで以来、心に刻まれていることば。 先日から「高校の文系の教科書の偉大さ」についてを語っているが、この日もまた、書棚にあった古典の教科書を取り出した。 開いてたちまち「こんな難しい漢詩を読んでいたのか?」と思う。尤も、この教科書は全部を授業で網羅した記憶はない。 🦋 荘周(荘子)は夢の中で胡蝶(蝶)になり、自分が荘周であるという自覚もなく、自由にひらひらと飛び回って楽しんだ。しかし、目が覚めると、自分は紛れもない荘周だった。その経験をして彼は、荘周が夢を見て蝶になったのか? それとも蝶が夢を見て荘周になったのか? との思いに至る。 どちらが夢で、どちらが現(うつつ)か。どちらとも決められない曖昧な状態をして、荘子は「万物斉同(すべてのものは本質的に等しい)」とした。区別や執着を超えて、ありのままを受け入れる境地だ。 高校時代のわたしは、この言葉に、漠然と心惹かれたが、今読み返すに、禅も仏教もスピリチュアルもなにもかも、結局、言わんとすることは同じなのだとの思いに至る。 今回、この教科書を開いて、「荘子妻死」の箇所に「荘子夢に胡蝶と為る」の挿絵が添えられているのに気づいたからだ。 荘子は妻を失ったとき、朗らかに弔問客を迎えた。そこには、荘子の死生観が表れていた。以下AIに要約いただいた。 妻が死んだ直後は私も悲しんだ。しかしよく考えてみれば、もともと人は「気」から生まれ、気が変化して形となり、生まれた。今また変化して死に戻っただけだ。それは春夏秋冬が巡るのと同じ自然の流れ。そんな道理に逆らって泣き叫ぶのはおかしい。だから止めたのだ。 「胡蝶の夢」は、 夢と現実の区別を捨て、「妻の死」は、生と死の区別を捨てる。どちらも「万物は変化し合い、本質的に等しい」という思想の表れなのだ。なんと尊い高校の教科書!! 🙏 さらにパラパラとめくっていたら、わたしの好きな、于武陵の五言絶句「勧酒」が目に飛び込んできた。 勧君金屈卮 満酌不須辞 花発多風雨 人生足別離 ストレートに日本語訳をすると、以下のようになる。 あなたにこの金の杯を勧めよう。 なみなみと注いだ酒を、どうぞ飲んでくれ。 花が咲けば風雨に見舞われがちなように、 人生には別れがつきものだ。 しかしながら、井伏鱒二によって超訳された「勧酒」は、ただただ、ことばが美しい。漢字を巧みに使いこなす日本語、最高。井伏鱒二、最高。 コノサカヅキヲ受ケテクレ ドウゾナミナミツガシテオクレ ハナニアラシノタトヘモアルゾ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ 🍶 ご縁に、出会いに、感謝をしよう。 今このときを、慈しみ、楽しもう。 そして自分の「日本語脳」を、この先、益々、大切にしよう。
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今日、藤井風氏がムンバイにてライヴをされた。いつかバンガロールにもぜひ、いらしてください💝
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🌏Love All, Serve All。Hard Rock Cafe創業者のアイザック・ティグレットが語るサイ・ババとインド。……そして、藤井風のこと。 (長文だが転載することにした。その他の写真はnoteにて note.com/museindia/n/nb…) ハードロックカフェは、スピリチュアルが炸裂していた。 一昨日の出来事を書こうと思うが、かなり難しい。誰もが受け入れやすい話題ではないし、スピリチュアルに対する偏向や偏見が発生しやすい日本に向けて発信するには、言葉選びにも配慮が必要だ。ともあれ、思慮深く読んでくれる人は必ずいると信じて綴る。 一昨日の夜、バンガロール中心部にあるハードロックカフェにて、創業者のアイザック・ティグレットのトークに赴いた。わたしは、高校時代にヘヴィメタのバンドでシンセサイザーを担当していたこともあり、ハードロックなサウンドにも慣れ親しんできた。今でも、「大音響はうるさい……!」と思う気持ちと裏腹に、音を聞けば血が騒ぐ。ロックダウン時代には、BABYMETALの『メギツネ』をカヴァーしてYoutubeに上げたりもした。 ニューヨーク在住時代の1998年にハードロックカフェを取材して以来、その店舗の雰囲気やTシャツが気に入り、2007年にバンガロール店がオープンしてからは、しばしばBengaluruヴァージョンのTシャツを購入してきた。 そんな背景があることから、この夜も、先日、ターミナル2(新空港)のハードロックカフェで購入したTシャツを着用し、張り切って赴いたのだった。 🎸 なぜ、アイザック・ティグレットがバンガロールにいたのか。ほかでもない、彼は20代のころから今日に至るまで、サティヤ・サイ・ババ (1926-2011) のアシュラムに通い続けているからだ。海外からサイ・ババのアシュラムの拠点に赴くには、まずバンガロールに着陸する必要がある。 サイ・ババとは、インドのスピリチュアルリーダー (Guru/指導者)であり、偉大なるフィランソロピストだ。宗教やイデオロギーの概念を超えて、国内外に無数の信奉者を持つ。人々を導き、無償の病院や学校を設立、肉体が滅びてなお、多くの人々を救済し続けている。 サイ・ババをして、日本では、かつてメディアでおもしろおかしく取り上げられ、紛い物の新興宗教のような扱いを受けていたこともあった。甚だ、嘆かわしい。わたしの尊敬すべき友人や家族の中にも、国籍を問わず、サイ・ババの教えを胸に、世のため人のため、そして自分のために尽力されている人が多数いる。 アイザックもまた、その一人であったということを、一昨日、初めて知って驚いた。 🎸 ハードロックカフェは、1971年6月、当時23歳だったアイザックとピーター・モートンによって設立された。英国在住の米国人だった二人は、アメリカ南部のダイナーをイメージした店舗でハンバーガーを提供する店をロンドンにオープン。当時、欧州にはアメリカ料理店が少なかったことから、物珍しさも手伝って、人気を集めた。 店内には著名ミュージシャンの使用した衣装やギターなどが飾られ、音楽がノンストップで流れる。やがてハードロックカフェは、世界各地に店舗を展開、多くの人々に知られるレストランに成長した。 アイザックは、1991年にハードロックカフェを売却。そのときに得た$108 millionをサイ・ババの財団に寄付した。今の日本円だと150億円ほどであろうか。その寄付金により、設備の充実した無償の病院(500床)や、メディカルスクールなどが創設されるに至ったという。 アイザックが、なぜサイ・ババに関わることになったのか。その理由を、この日の夜、彼の口から聞くことができた。それはあまりにも、起伏の激しい劇的なライフ・ストーリーだ。サイ・ババとの出会いなくして、アイザックの人生はなく、もちろん、ハードロックカフェもなかった。 🎸 アイザックは、実業家の親のもとに生まれ、恵まれた子ども時代を送っていた。しかし、十代のころ、二人の兄が、立て続けに他界。一人は自殺だった。二人の息子を失った両親の関係は冷め、母親はアイザックに愛を注ぐことをやめた。辛く悲劇的な時代が続いた。 19歳のとき、彼の脳裏に、声が聞こえた。 “I’m waiting for you.” 一瞬、幻聴かと思った。自分の声? いや違う。誰かの声が聞こえてくる。しかし、誰の声なのかわからない。そんなことが、何度も起こった。 当時、米国は長引くヴェトナム戦争 (1955-1975)の只中にあった。反戦を訴える若者によって「Love & Peace」のムーヴメントが起こった。 音楽やアート、ファッションなどで新たな価値観を表現。カウンターカルチャーの発信源となった彼らは、「ヒッピー/フラワーチルドレン(フラワーチャイルド)」と称されるようになる。『武器ではなく、花を』が、スローガンだったからだ。 この時代、多くのミュージシャンやアーティストがインドを目指した。この話になると非常に長くなるので割愛する。 彼はハードロックカフェを開業した1971年に、「声の主」を探すべく、インドを7カ月間、バックパッカーで放浪した。各地の寺院やアシュラムを訪れたあと、ここバンガロールに隣接するアンドラ・プラデーシュ州に辿り着いた。宿でチェックインをしているときに、彼はかつてない大きな声で、呼ばれた。 “I’M WAITING FOR YOU!!” 驚いて、顔を上げると、壁にかけられている男性の写真が目に飛び込んできた。大きな髪の毛の男性。彼がサティヤ・サイ・ババというグルだということを知った彼は、アンドラ・プラデーシュ州のプッタパルティにあるアシュラムへ直行。遂にはサイ・ババと会うことになる。 やっと来たか。待っていたよ。懐かしい友達。ここで待っていなさい。一緒にすることが山ほどある……と、声をかけられた。 その後、15年間、彼はビジネスの合間を縫って、実に50回もプッタパルティのアシュラムに通い続け、奉仕活動などを続けてきた。その間、実際にサイ・ババから声をかけられることはなかった。しかし、アイザックの、サイ・ババへの信奉が揺らぐことはなかった。 インドでの質素な暮らしとは裏腹に、米国ではパーティ三昧の派手な暮らしをしていたある夜、彼は酩酊状態でポルシェを運転し、大事故を起こす。車が崖下に落下する瞬間、誰かが彼の肩をグイッと掴むのを感じたという。車は跡形もなく大破したが、奇跡的にも、彼は無傷だったという。彼はサイ・ババによって救われたのだと確信した。 アイザックの話は尽きず、2時間近くに及んだ。その間、彼は幾度となく、「あなた方は、インドという国にいることができて幸運です」と口にした。それは当然、インドの表面的な印象を指すものではない。魂の深淵、根源的な意味において、でああろう。 🎸 Love All, Serve All. Help Ever, Hurt Never. ハードロックカフェのスローガンは、サイ・ババの教えに彩られている。写真のMission Statementの周囲にも、その言葉が配されている。右端の「Clapton is God」だけが、異質でお茶目だ。Claptonとは、英国人の著名ギタリスト、エリック・クラプトンに言及した 1960年代のひとつの表現だ。 🍃 ところで、日本で数年前から人気を集めているミュージシャン、藤井風。ロックダウン時代に彼の歌を何曲か聴いて以来、わたしもすっかり、引き込まれた。旋律もさることながら、歌詞が心に染みる。ゆえにその後、彼のご両親がサイ・ババを信奉していると知り、納得した。彼の歌が、人間の心を癒し光を導く力を持っている所以だ。 先ほど調べて初めて知ったが、藤井風の1枚目のアルバムのタイトルはLove All, Serve All。2枚目がHelp Ever, Hurt Never。まるごとサイ・ババのことばであり、ハードロックカフェのスローガンと重なっている。 「すべてを愛し、すべてに奉仕しよう」 「常に助けよう。決して傷つけないで」 美しい。 美しいにもかかわらず、サイ・ババをなんたるかを知らず、日本のメディアの偏った報道を鵜呑みにした人たちが、藤井風を批判している事実を見たときには、困惑した。 🎸 姿在りしころのサイ・ババは、1年の大半をプッタパルティで過ごし、2カ月ほどを、バンガロール東部郊外のホワイトフィールドで過ごしていた。かつて、ホワイトフィールドにあるアーユルヴェーダグラム滞在中には、日本人を含む外国人のサイ・ババ信奉者と、しばしば顔を合わせていたものだ。 🍃 若いころには、気づかなかった。しかし、歳月を重ね、経験を積むにつれて、確信する。「縁(えん)」と呼ぶには優しすぎる。わたし自身がインドに至り、今に至るすべてが、強い「カルマ」によって導かれていた。そして、そのすべては「自分の中にあるもの/真我」が握っているということを。 わたしは特定の宗教やグルを信奉しているわけではないが、「大いなる力」によって守られ導かれ、生きていることを感じている。さもなくば、今、わたしがバンガロールで、こうして幾多の出会いに恵まれながら、暮らし、働き、奉仕し、伝える原動力の説明がつかない。 ここバンガロールは、サイ・ババのアシュラムの拠点であり、ヒッピー文化の契機となるISCKON寺院の拠点でもある。わたしもまた、ここに来るべくしてきたならば。ミューズ・クリエイション (NGO)を創設し、活動を続けていることも、カルマであり使命であるだろう。 「LOVE & HOPE, NO BORDERS。国境を超えて、愛と希望」 これはミューズ・クリエイションのスローガンだ。わたしだからこそできることを、揺るぎなく続けよう。改めて、そう確信した夜だった。 🍃 最後に。我が夫、Arvindが、トークの後、アイザックのところへ挨拶にいった。すると彼は開口一番、夫に対して「僕たちは、以前、会っているよ」と言った。夫は一瞬、困惑したが……多分、そういうことなのだろう。 光あるうち光の中を歩め。 🍔HARD ROCKなハンバーガーとともに、歳月の流れを噛み締める。(2021/08/11) museindia.typepad.jp/2021/2021/08/h… 🎸HARD ROCK CAFEに集い、ハードロックの封印を解く。(2008/08/17) museindia.typepad.jp/2008/2008/08/p… 🏏またしても、スタジアムへクリケット観戦に!(2011/10/09) museindia.typepad.jp/2011/2011/10/h… 🙏「ハーレー・クリシュナ!」クリシュナ生誕祭の祝典@イスコン寺院/ISKCON TEMPLE (2018/9/03) museindia.typepad.jp/mss/2018/09/is… 🙏世界最大の給食センター「アクシャヤ・パトラ」と母体のイスコン寺院に関する記録のまとめ museindia.typepad.jp/mss/akshaya-pa… 🎤MUSEMETAL/ MEGITSUNE メギツネ (BABYMETAL COVER) youtu.be/NinWZxXb8nw?si…

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[Bangalore] Amiel Gourmetで🇰🇷コリアンと🇫🇷フレンチの共演🥂 *The following text is written in Japanese. The auto-translation is often incorrect and misleading. 一昨日の深夜、チェティナード旅から戻ってきた。濃厚な時間旅行に身を委ねた4泊5日。まだまだ綴っておきたいテーマがいくつもあるので、後ほど徐々にアップロードしようと思う。 旅の余韻が冷めやらぬ昨夜、友人のLayaが経営するフレンチレストランAmiel Gourmetに赴いた。この週末、フレンチのシェフのAmielと、コリアンシェフの友人Eunyoung (漢字では「銀英」)がコラボレーションで特別メニューを提供するというのだ。 まずは白ワインで乾杯! バンガロールで最も古いワイナリー、Groverの白だ。久しぶりに口にして驚いた。味わいがとても向上している。ワイナリーはバンガロール北部、我々の新居の近くにある。久々にワイナリーツアーに参加したくなった。 Eunyoungの洗練された韓国料理は、素材の旨味や鮮度を生かしながら、深みのある味わいを育んでいる。 ほどよく漬けられた香ばしいキムチは、自宅の冷蔵庫にて常備菜にしたい。豚肉とニョッキの調和が楽しいブルゴギや、辛味がほどよいチャプチェ、サラダのようにヘルシーなビビンパなど、旅の間、おいしいとはいえ、結構、重めのチェティナード料理を食べてきた胃には格別にうれしい料理の数々だ。 普段は女子らで語り合う場に、今回は夫も参加して、みなでライフを語り合う。 旅先でもそうだったが、艱難辛苦を乗り越えてきた人たちほど、他者に対しての思いやりや、周囲の人々、そして神への感謝、精神世界への敬意が常に在る。日常生活に「祈り」が在る。 このところ、個人的に懸念すべき諸々があって、脳裏の片隅の暗雲を持て余していた。「般若心経」を唱えつつ、「空」「無」に浸りつつも、暗雲は消えては現れ、消えては現れる。 しかしながら、おいしい料理を食べながら、笑顔で前向きに生きる友人らに囲まれて、語って笑って、救われた。 若いころは「一人でも大丈夫」とばかりに、独立独行で生きてきた。もちろん、大切な友らを大切にしてきたけれど、わたしは概ね、一人だった。 しかしながら歳を重ねるほどに、近い世代の、理解し合える友人らの存在が、とても有り難く思える。特に異国の地で暮らす者としては、インド友らからのサポートや提言が心強い。 還暦を迎えて人生の2周目。新しい世界においては、わたしもまだまだ鮮度高く、学びの途上にて。 美穂の「穂」は「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の意味を込めて両親が付けてくれた名前。 自らの豊穣に感謝しつつ、謙虚に、平和に、笑って踊って生きよう。 instagram.com/p/DTmj_ARkybV/…
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