上野目泰之

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上野目泰之

上野目泰之

@operametti

オペラ歌手・ボイストレーナー・音声研究者 めっちと呼ばれています。 音声と聴覚と表現について発信中。

Katılım Ağustos 2016
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人間の耳は、自分の意思では動かせません。でも、動かすための筋肉は、今も顔の横に残っています。 猫が物音にぴくりと耳を回す。多くの動物は、音のする方へ耳そのものを向けます。 人間も大昔は同じことをしていました。その名残が、耳介筋という小さな筋肉です。ふだんは何の役にも立たない、と長く思われてきました。 ところが2023年、ドイツの研究チームが意外な事実を突き止めます。人が「聴き取ろう」と集中しているとき、この退化したはずの筋肉が、かすかに動いている。筋電図にだけ現れる、ほんの数マイクロボルトの活動です。 しかも、注意を向けた音が右か左か、後ろかによって、動き方が変わる。耳そのものは回らないのに、「回そう」とする指令だけは、2500万年前から消えずに走り続けているのです。 研究者は、これを「神経の化石」と呼びました。 レッスンで「もっとよく聴いて」と言うとき、僕はこの話を思い出します。聴くことは、耳をすますという受け身の言葉とはうらはらに、体じゅうが前のめりになる、れっきとした運動です。 歌が伸びる人は、たいてい、この「聴く構え」に入るのが早い。声を出す前に、もう耳が動いているのです。 あなたは、誰かの声や歌に、思わず耳を「向けて」しまった経験は、ありませんか。
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「ベルカント」という歌い方は、その全盛期には、その名で呼ばれていませんでした。 ベルカントはイタリア語で「美しい歌」。18世紀から19世紀前半、ロッシーニやベッリーニの時代の発声を指す言葉だと思われています。 ところが、この呼び名が広まったのは、その時代が終わった後でした。 1858年ごろ、年老いたロッシーニが「われわれはベルカントを失ってしまった」と嘆いた、と伝えられています。 つまりベルカントとは、当事者ではなく、それを懐かしむ人たちが後から付けた名前なんです。 背景にはヴェルディ後期やワーグナーがあります。彼らが声に劇的な厚みと音量を求め始め、その重さに押される形で、軽やかさ・敏捷性・なめらかなレガートを尊ぶ旧来の美学が、「失われたもの」として名前を得ました。 僕はこの事実を、指導の戒めとして受け取っています。 「失われた秘伝のベルカント唱法」を探しにくる方は、今も多い。でも文献に実際に残っているのは、秘密のテクニックではありません。優先順位です。 音量より、声区の均一さ。力より、レガート。速さより、ひとつの母音を保つこと。 正しい発声、と呼ばれているもの。それは特定の技術の名前なのでしょうか。それとも、何を上に置くかという、優先順位の名前なのでしょうか。あなたはどう考えますか。
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@g5E9sxrTvM35029 それ、すごく核心ついてますよね。採点する側が「正確さ」を基準にしている以上、グルーヴで弾くと減点される。人間の体が喜ぶものと、機械が正解とするものが、ちょうど逆になってる瞬間です。
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@operametti 太鼓の達人もノリノリでやると可とかになる
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リズムの話なんですけどね。 打ち込みで、譜面どおりに「完璧に正確な」ドラムを鳴らすと、なぜか、ぜんぜんノれない。 経験ありませんか。 不思議な話です。ズレがないほうが気持ちいいはずなのに。 種明かしをすると、人間のグルーヴは「正確さ」では生まれません。 生身のドラマーは、拍に対して数十ミリ秒、わざと前後にずらして叩いています。 これをマイクロタイミング (微小なタイミングのゆらぎ) と呼びます。 スネアをほんの少し遅らせる。ハイハットをわずかに前に置く。 その数十ミリ秒の差が、「タメ」や「前ノリ」として、体に届きます。 ジャズのスウィングも同じで、あの「ハネ」の比率は、楽譜では割り切れません。テンポによって、奏者によって、伸び縮みします。 面白いのは、心理音響の実験で、リズムが完璧に正確なときよりも、ほどよくズレ、ほどよく裏拍が抜けているときに、人は「動きたい」と最も強く感じる、と分かっていることです。 ズレがゼロでも、ズレが大きすぎても、グルーヴは痩せる。 ちょうどいい「不正確さ」に、ピークがある。 これ、歌でも同じです。 メロディを譜面どおり寸分違わず歌うと、上手いのに、心が動かない。 名歌手は、コンマ何秒の「置き方」で、聴き手の体を揺らしています。 正確さは、音楽の出発点であって、ゴールではありません。 グルーヴは、ズレの設計から生まれます。
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@saaaaco1 静寂、最高の練習環境ですね。雑音がないと自分の音程感覚が素直に出てくる、それ本当に大事なことだと思います。
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@operametti ですよね^_^!静寂だと、誰にも邪魔されずに、自分の頭の中の音程を、きれいに引っ張ってこれるので最強です!🤣✌
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絶対音感って、ちょっと誤解されてるんですよね。 「絶対音感がある人は音楽の天才」みたいに語られがちですが、歌の世界では、必ずしも有利とは限りません。 絶対音感は、音を聴いた瞬間に「これはラ」「これはド#」と固定の音名で認識できる能力です。だいたい 6 歳までに音楽環境にいた人が獲得しやすい、と言われています。 一方、相対音感は、ある音を基準に「そこから 5 度上」「3 度下」と、音の間の距離で捉える能力。 歌にとって本当に大事なのは、実は後者なんです。 なぜか。歌は、調が変わります。カラオケで「キーを 3 つ下げる」のは日常茶飯事。 この時、絶対音感が強すぎる人は、頭の中の「ド」と実際に鳴っている音がズレて、気持ち悪さを感じてしまう。移調に弱いんですね。 聴覚神経科学的に言うと、絶対音感保持者は音を「カテゴリ」で処理し、相対音感保持者は音を「関係」で処理します。 歌の本質は、音と音の関係、つまりメロディーとハーモニーの「動き」です。 だから、絶対音感がなくても、まったく問題ありません。 むしろ、相対音感を磨くことが、歌の上達には直結します。 ないものねだりは、しなくていいんです。
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真面目に歌を学んでいる人ほど、 「もっと練習しなきゃ」と思いやすい。 でも、声が変わる瞬間は、 練習量を増やしたときよりも、 自分の身体で何が起きているかを見分けられたときに来ることが多いです。 喉が悪いのか。 息が足りないのか。 響きの場所を見失っているのか。 そもそも、音楽の設計を誤解しているのか。 ここを全部「根性」で片づけてしまうと、 本当は変えられるものまで、才能の問題に見えてしまう。 僕が育てたいのは、 うまく歌える人だけではなく、 声の変化をちゃんと観察できる人です。 歌は、感覚だけで伸ばすものではない。 感覚を、扱える形にしていくものだと思います。
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@yemusicflute 「生き物の声のように」という表現、すごく伝わります。非和声音が解決へ向かう瞬間、設計された美しさが呼吸しているみたいで。そこはかとなく消えゆく感覚こそが、余韻として脳に刻まれていくものかもしれないですね。
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非和声音から和声音の流れ 各種和音間の流れの解決や、非解決 対位法の規則などなど ピアノ🎹で、旋律を考えて、創造していると 時々、生き物の声のように 平均律の伝統的な和声と、旋律の響きの美に 感情を見出す脳の陶酔感を起こすことが度々あります。 そこはかとなく消えゆく 脳の一時の美しい美の陶酔感です。 ❤️🎵🎶
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歌の話なんですけどね。少し不思議な話を。 サビに入る直前の、あの「溜め」。 息を呑むような一瞬。あれがあるから、サビが効くんですよね。 実はあれ、あなたの脳が「予測」を立てているサインなんです。 聴覚神経科学では、脳は音楽を聴きながら、常に「次に来る音」を先回りして予測している、と考えられています。 予測符号化 (predictive coding) という考え方です。 ドミナント7th — いわゆる「不安定な響き」。 あれを聴いた瞬間、脳は「次はトニックに帰るはずだ」と賭けています。 で、本当にトニックに解決すると。 「ほら、当たった」と、脳がちいさく満足する。 音楽理論家のレナード・マイヤーは、半世紀以上前に、こう書いています。 音楽の感情は、「期待」が満たされたり、裏切られたりするところに生まれる、と。 でも、面白いのはここからで。 ずっと予測どおりだと、人は飽きます。 だから良い曲は、ときどき予測を裏切る。 意外な和音、ずらしたリズム。 裏切られて、また回収される。その振れ幅が「感動」の正体です。 これ、よくできたジョークと同じ構造なんですよね。 オチは、予測させて、半歩ずらすから笑える。 歌の表現も、まったく同じです。 譜面どおりに正確に歌うと、なぜか退屈になる。 聴き手の予測を、どこで、ほんの少しだけ外すか。 上手い歌い手は、そこを設計しています。 音楽は、当てさせて、少し裏切る遊びです。
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@ComposerYuuriS 「楽譜が見える」、それは音楽が完全に身体に入っている証ですよね。マスキングで背景に落ちるはずが、脳が勝手に前景へ引き戻してしまう。BGMを"BGMにできない"、訓練された耳の職業病みたいなものかもしれません。
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カフェで流れている音楽が、なぜ「BGM」として気にならず、作業できるのか。 これ、マスキング効果という、聴覚の仕組みで説明できます。 人間の耳は、複数の音が同時に鳴っている時、大きい音や目立つ周波数の音が、小さい音を「覆い隠す」性質があります。これがマスキング。 カフェでは、エスプレッソマシンの音、食器の音、人の話し声、空調音が渾然一体となっています。 その中に音楽が混ざると、音楽の細部が他の音にマスクされて、「前景」ではなく「背景」に落ちる。 逆に、静かな図書館で同じ音楽を流すと、急にうるさく感じます。マスクするものがないから、音楽が前景に出てくる。 これ、歌の世界にも深く関わります。 オーケストラと共演する声楽家が苦労するのは、まさにマスキングとの戦いです。 オーケストラの巨大な音量に、声がマスクされて、客席に届かなくなる。 その解決策が、Singer's Formant。 歌手は、3 キロヘルツ付近という、オーケストラの楽器が比較的弱い周波数帯に、声のエネルギーを集中させます。 オーケストラにマスクされない「すき間」を狙うんですね。 つまり、声を「大きくする」のではなく「マスクされない場所に置く」。 これは、ビジネスのポジショニング戦略と、まったく同じ発想です。 競合の強い場所で戦わず、すき間を見つける。
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@YuusukeTokuda ナレーションや朗読でも、まったく同じですね。「音楽を聞いて」って言葉は短いけど、何をどう聴けばいいかが腑に落ちるまでが一番難しい。その苦労をくぐった声って、どこか違うと思います。
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@operametti ナレーション、朗読でも同じですね 若い頃「音楽を聞いて」というディレクションの意味がわからず、苦労した思い出が…😰
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上野目泰之
上野目泰之@operametti·
@shutenkamata 両方あれば理想ですよね。ただ、絶対音感が強い人ほど「音の動き」への意識を切り替えるのに時間がかかることもあるようで。後から相対音感を積み上げる方が、かえって柔軟に使いこなせる、という面もあります。
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@operametti 6歳までに教室に通って絶対音感を身につけて、そのあと大人になってから相対音感を身につけられたら、一番いいのかなと思います。
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@saaaaco1 あー、その瞬間だけは最強ですよね笑。静寂から音を引っ張ってくる、あの感覚は相対音感だけだとなかなか難しい。
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@operametti 歌う時に、絶対音感があってよかったと思う瞬間はアカペラでボーカルから歌い出す瞬間くらいかも。笑
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@wako_kawai その感覚、すごくリアルです。カテゴリで音を聴いている人にとって、ずれた音は「違う」ではなく「間違い」として飛び込んでくる。気になるのは当然で、それ自体が絶対音感の処理の仕方そのものですね。
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@operametti わたしは小学校の音楽の時間でほかの子が間違ってるのが気になってしかたがありませんでした。
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@spacefbi @Nambox 「それだけだと役に立たない」、当事者の言葉は重いですね。音の名前がわかっても、音の動きを聴く耳が育っていないと、かえって不自由になることもある。持っているからこそ気づける感覚だと思います。
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@operametti @Nambox 普通にあるけど、それだけだと何の役にも立たない。
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@Nambox @spacefbi そうなんですよね。「移調されると音が違って聴こえる」という感覚、絶対音感ならではの苦労だと思います。強みと弱みは、いつも同じ場所に宿っているのかもしれませんね。
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@spacefbi @operametti 絶対音感だけだと苦労することがあります。
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@tell_lies_only そう感じる方、多いです。相対音感は音の「関係」を能動的に処理するので、確かに音楽的な応用範囲は広い。絶対音感はラベル、相対音感はネットワーク、みたいなイメージです。
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@operametti どう考えても相対音感の方が高度な能力だと思う
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@comicvisualkei 病院のリハビリ室の機械音を当てる遊び、すごくいい耳の育て方だと思います。耳コピと合わさって、カテゴリと関係、両方の聴き方が自然に鍛えられたんですかね。音感と演奏は別、本当にそうなんです。
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@operametti 横から失礼いたしますが 俺もだいたいの絶対音感はありますが逆に相対音感の方が苦手かもしれないです。 音感が鍛えられたのは耳コピと病院のリハビリ室の機械が出す音を当てるという遊びだと思います。 確かに音感と楽器のプレイ、ボーカルは全く別の話ですね。
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声楽の基礎レッスンがイタリア語の母音から始まるのは、伝統やオペラのためではありません。 理由は、もっと物理的です。 イタリア語の母音、ア・エ・イ・オ・ウは「純母音」と呼ばれます。一つの音を伸ばしているあいだ、口の形も音色も、最後まで動きません。 だから、一音をまっすぐ、長く伸ばせる。声楽の土台になります。 英語は、そうではありません。 たとえば「day」。母音は一つに見えて、ゆっくり言うと「エ」から「イ」へ、舌が動いています。これを二重母音といいます。「go」なら「オ」から「ウ」へ。 ここに、歌う人をつまずかせる罠があります。 二重母音をそのまま歌うと、伸ばしている音の途中で音色がぐにゃりと変わり、声が濁って聞こえる。 熟練した歌手は、これを避けるために、ある操作をしています。 前半の主母音を、音符のほぼ全長キープする。後半の「わたり」の音は、次の音に移る直前、ほんの数十ミリ秒に押し込む。 「day」なら、九割がた「デェェェ」で、最後の一瞬だけ「イ」。 レッスンで、英語の曲だけ伸びる音が不安定になる人は、十中八九、この乗り換えが早すぎます。 母音を一つに「置いて」、わたりを最後まで我慢させると、声がすっと通ります。 歌は、母音で伸ばし、子音とわたりで点を打つ。言語が違えば、その設計図も違うんです。 英語の歌で、なぜか歌いにくいと感じたフレーズ、ありませんか。
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「声紋」って、指紋みたいにその人固有のもの、と思われていますよね。 でも、声の専門家から見ると、これはかなり微妙な話なんです。 指紋は、一生変わりません。ところが、声は、毎日変わります。 朝起きたばかりの声、風邪気味の声、緊張した時の声、リラックスした時の声。同じ人でも、これらは音響的にかなり違います。 声を決める要素は、大きく 2 つ。 ひとつは、変わらないもの。声帯の長さ、声道の形、骨格。生まれ持った楽器のスペックです。 もうひとつは、変わるもの。その日の体調、感情、姿勢、口の開き方、睡眠の質。 声紋認証システムが苦労しているのは、まさにここ。 「変わらない部分」だけを抽出して「変わる部分」を無視しないと、本人なのに別人判定されてしまう。逆に、変わる部分まで含めると、なりすましに弱くなる。この綱引きが、声紋認証の永遠の課題です。 これ、歌にとっては、希望のある話なんですよ。 「変わる部分」が大きいということは、訓練でコントロールできる余地が大きい、ということ。 生まれ持った楽器のスペックは変えられなくても、その日の鳴らし方は、磨ける。 声は、固定された指紋ではなく、毎日描き直せる絵に近い。 だから、今日の声が不本意でも、明日は別の声が出せます。 昨日のあなたと、今日のあなたは、違う楽器なんです。
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