人間の耳は、自分の意思では動かせません。でも、動かすための筋肉は、今も顔の横に残っています。
猫が物音にぴくりと耳を回す。多くの動物は、音のする方へ耳そのものを向けます。
人間も大昔は同じことをしていました。その名残が、耳介筋という小さな筋肉です。ふだんは何の役にも立たない、と長く思われてきました。
ところが2023年、ドイツの研究チームが意外な事実を突き止めます。人が「聴き取ろう」と集中しているとき、この退化したはずの筋肉が、かすかに動いている。筋電図にだけ現れる、ほんの数マイクロボルトの活動です。
しかも、注意を向けた音が右か左か、後ろかによって、動き方が変わる。耳そのものは回らないのに、「回そう」とする指令だけは、2500万年前から消えずに走り続けているのです。
研究者は、これを「神経の化石」と呼びました。
レッスンで「もっとよく聴いて」と言うとき、僕はこの話を思い出します。聴くことは、耳をすますという受け身の言葉とはうらはらに、体じゅうが前のめりになる、れっきとした運動です。
歌が伸びる人は、たいてい、この「聴く構え」に入るのが早い。声を出す前に、もう耳が動いているのです。
あなたは、誰かの声や歌に、思わず耳を「向けて」しまった経験は、ありませんか。
日本語

