波頭亮

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波頭亮

波頭亮

@ryohatoh

経営コンサルタント(戦略、組織、論理的思考) 釣り、温泉、深夜行動

東京 Katılım Eylül 2010
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波頭亮 retweetledi
ぱやぱやくん
ぱやぱやくん@paya_paya_kun·
「行きたいな」と思った場所には、一人でさっさと行ってください。 夜の動物園、山奥の温泉、森の中のカフェ、雨の鎌倉、古民家の宿、海の見える喫茶店、電車の窓から何度も眺めた駅、地図で何度も見ていた小さな島。 一緒に行ってくれる人を待っているうちに、季節も、場所も、自分の気持ちも変わってしまうから
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波頭亮
波頭亮@ryohatoh·
@paya_paya_kun 私が好きなタバコとコーヒーは違う区分けなのですね。
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ぱやぱやくん
ぱやぱやくん@paya_paya_kun·
教養がないと「刺激」でしか心を満たせない。酒、タバコ、パチンコ、買い物。金がかかるのに穴は広がる。教養があると「味わうこと」で満たせる。読書、音楽、美術館、散歩、コーヒー。金はかからないのに、心は満ちていく。教養とは「お金を使わずに心を満たす能力」のことである。
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波頭亮
波頭亮@ryohatoh·
@hitogoto_butyo 以下のツリーを読んで「あいあいさー」を思い出しました。
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ひとごとMD
ひとごとMD@hitogoto_butyo·
こういう経歴なので、サラリーマン金太郎にはあまり感情移入できないのです。 社長に気に入られる、偶然チャンスが巡ってくる、一発逆転とかで主人公補正が強い展開がどうにも苦手で。 ジャンルは違いますが、『ハゲタカ』や『沈まぬ太陽』のような作品の方がしっくりきます。
ひとごとMD@hitogoto_butyo

山奥の福祉施設の介護士からキャリアをスタートし30歳手前で「コンサルになろう!」と思い立ちました。コンサルという言葉を誰も知らないであろう秘境で働いていたため右も左も分からず2ちゃんねるの「コンサルティングファームランキング」の上から順に履歴書を送りました。今思えばかなりのアホです

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波頭亮
波頭亮@ryohatoh·
@kenichiromogi 読み応えのある『夏帆』論でした。 茂木さん自体が文章の手練れですね。
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茂木健一郎
茂木健一郎@kenichiromogi·
ぼくが村上春樹『夏帆』を読みながら考えていたこと。 (リアリズムの外側にある概念世界と、その意外な日本性) 村上春樹さんの最新長篇小説『夏帆』を読んだ。まず何よりも、この作品を書いてくださった村上さんに感謝したい。そして、世に送り出した新潮社の編集者やスタッフ、本を読者のもとへ届けてくださった書店の方々にも、心からお礼を申し上げたい。 『夏帆』は、村上さんが初めて女性を単独の主人公に据えた長篇小説として、刊行前から大きな注目を集めていた。ところが実際に読者の反応に触れてみると、評価は大きく分かれている。「女性が描けていない」という厳しい批判がある一方で、これは傑作なのではないかという声もある。ぼく自身、読みながら強い戸惑いを覚えた。しかし同時に、村上春樹の小説は、考えてみれば最初からこのようなものだったのではないか、とも思った。 その戸惑いは、そもそも村上春樹の小説とは何なのか、さらに言えば、私たちが言葉によって何かを表現するとはどういうことなのか、その意味と可能性に関わっているように思う。物語のモチーフや筋立てを分析する評論は、これから数多く書かれるだろう。ここではネタバレを避けながら、ぼくがこの作品を読んでいて最も気になった一点について考えてみたい。したがって、以下を読んでもストーリーそのものはほとんどわからないはずである。 『夏帆』の大きな特徴は、作品を動かしているものが、具体的な人間のリアリティというより、メタファーや抽象的な概念だということにある。女性を描くにしても男性を描くにしても、ある年齢、ある職業、ある状況に置かれた人間がどのように考え、感じ、振る舞うのかを、現実感をもって描くことは、小説にとって重要な仕事である。ふつう私たちは、「確かにこういう人はいる」「人間はこのような状況では、たしかにこう振る舞う」と感じさせる洞察に出会うと、それを優れた文学の徴として受け取る。リアリズムは、小説を評価する際の中心的な基準の一つなのである。 ところが『夏帆』は、そのような意味でのリアリズムを目指した小説ではない。主人公がこの年齢、この職業の女性であるという設定はあっても、その属性に固有の生活感や心理が精密に描き込まれているわけではない。むしろ前景に現れるのは、村上作品で繰り返し語られてきた「井戸」のように、現実のどこかから別の世界へ通じ、そこから何かがこちら側へやってくるような概念的な構造である。『夏帆』にはコンセプチュアル・アートに近いところがあり、しかもきわめてミニマルだ。もともと一篇の短篇として始まり、連作を経て長篇へと形を整えたこの作品には、村上さんの創作の方法が、ある意味で最も純粋なかたちで表れているのかもしれない。 だからといって、村上さんには人間が描けていない、と簡単に結論づけることはできない。村上作品は長いあいだ世界中の読者を惹きつけてきた。もしそこに描かれた概念世界が、人間の生とまったく無関係なものであったなら、これほど多くの人が魅了されることはなかったはずだ。村上さんが描いているのは、目の前の個々人というより、その背後にある抽象度の高い、奥深い概念構造なのではないか。そう考えるなら、村上春樹はやはり、きわめてユニークで、唯一無二の作家である。 ここで、たとえばマーガレット・アトウッドの『侍女の物語』を考えてみる。アトウッド自身が述べているように、作中で女性たちに起こることは、いずれも人類の歴史のどこかで実際に起きたことを踏まえている。その意味で『侍女の物語』は、強い概念性を備えたディストピア小説であると同時に、リアリズムの小説でもある。『一九八四年』や『華氏451度』、『すばらしい新世界』といったディストピア文学にも、同じことが言えるだろう。 カズオ・イシグロの『日の名残り』『わたしを離さないで』『クララとお日さま』も、深い概念的な問いを抱えながら、人間はどのように振る舞うのかを、イギリス小説の伝統を思わせる静かな筆致で描いている。ジェイムズ・ジョイスもまた、概念の世界を大胆に遊ぶ作家だが、『ダブリナーズ』に登場するのは、あくまでダブリンの具体的な人々である。複雑な伏線やネットワークが背後に張り巡らされていても、街と人間の手触りは失われない。『ユリシーズ』について、アイルランドの人から「読んでいるとダブリンの街角がありありと見えてくる」と聞いたことがあるが、それも同じことだろう。 それらの作家と比べると、村上さんは際立って概念的である。『夏帆』には東京近郊の地名がいくつも出てくるが、それらは多くの場合、土地の匂いや街並みを描くためのものではなく、概念世界に置かれた符丁のように機能している。もちろん土地の残滓はあるにせよ、作品の本質はそこにはない。スカーレット・ヨハンソンやジャック・ケルアックの名前も重要なところで現れるが、なぜその固有名でなくてはならないのかが、リアリズムの論理によって説明されるわけではない。すべてが徹頭徹尾、コンセプチュアルなのである。 ぼくは、そこに村上春樹という小説家の核心があると思っている。村上作品をめぐっては、「やれやれ」という言葉が何回出てくるかといったことや、翻訳文学を思わせる独特の日本語について、長く賛否が語られてきた。日本の保守的な文壇における村上さんの微妙な立ち位置にも、その文体上の特徴が関わっていたのだろう。しかし翻訳されれば、日本語表現をめぐる細かな違和感の多くは消えていく。ドストエフスキーのロシア語が、トルストイに比べて粗削りだと言われることがあっても、その文学の核心が文章の滑らかさだけにあるわけではないのと同じである。村上作品の本質は、文体上の癖そのものではなく、概念世界のダイナミクスと、その不思議な絡み合いにある。 『夏帆』にも、その特徴が濃密に表れている。具体的な女性が描けていない、リアリズムがない、何を書いているのかわからない、象徴の詰めが甘い――そうした基準から見れば、この作品を失敗作と捉える人がいても不思議ではない。皮肉を込めて「村上春樹の集大成」と呼ぶ人もいるだろう。しかし、概念世界の運動や深さを基準に読むなら、村上さんは途方もなく独創的な作家に見えてくる。好き嫌いはあるとしても、他に代えのきかない作家であることは間違いない。 最近、ぼくは自分が主宰している「シラス」の読書会で何を読むかを考えながら、ヘミングウェイの生涯を振り返っていた。『夏帆』も、近日、仲間たちと取り上げる。さまざまな読みを持つ人たちと話せば、ぼく自身の考えも大きく揺さぶられるに違いない。ヘミングウェイには、優れた作品を次々に書いたのち、長い停滞期があった。その時期を経て発表された『老人と海』は大きな評価を受け、彼は刊行から二年後の一九五四年にノーベル文学賞を受賞した。『老人と海』によって作家としての力量があらためて鮮明になり、それが受賞を後押ししたという見方には、十分な説得力がある。 そこで気になったのは、『夏帆』が村上さんにとっての『老人と海』になるのか、ということだった。村上さんはこれまで、女性の描き方をめぐってしばしば批判されてきた。女性が男性にとって都合よいかたちで配置されている、女性の内面が十分に描かれていない、ある種の「有害な男性性」が表れている、といった議論である。フェミニズムやジェンダー平等への関心が高まるなか、日本から次にノーベル文学賞を受けるのは女性作家ではないか、という観測もあり、川上未映子さん、柳美里さん、小川洋子さん、多和田葉子さん、川上弘美さんなどの名前が挙げられている。村上さん自身は受賞をめぐる騒ぎに関心がないのかもしれないが、メディアは毎年のようにその可能性を話題にしてきた。 そうした状況で、初めて女性を主人公にした長篇として現れた『夏帆』が、村上作品全体をあらためて評価させる決定的な一作になるのか。ぼくにも、その点への関心があった。しかし初読の段階では、まだわからない。少なくとも『老人と海』のように、発表されるや否や明白な傑作として受け入れられる作品にはなっていないように思う。『夏帆』はあまりにも概念的で、コンセプチュアル・アート的で、ミニマルだからだ。具体的な女性の生を描くというより、母や父、夏帆自身、ありくいやジャガーといった存在を、現実の手触りから少し浮いた場所に配置している。 では、その象徴の向こうに、普遍的な人間の本質が浮かび上がってくるのだろうか。文学には、メタファーやシンボルをたどった先に人間の真実がある、という本質主義的な読み方がある。村上さんはユング派の心理学者・河合隼雄さんと対談を重ねており、その作品世界とユング的な発想の相性のよさもしばしば指摘されてきた。ユング的な象徴も、一般には、人間の深層にある何かを浮かび上がらせるものとして読まれる。そこまで到達したとき、通常の意味での「文学性」が成立する、と考えることもできる。 けれども『夏帆』のありくいやジャガー、その他の奇妙な存在が、最終的に何を意味するのか、ぼくにはまだよくわからない。そこには何かがあるように感じられるのに、解釈は宙づりのままである。思えば、村上作品はこれまでもそうだった。人間中心主義的、本質主義的な安易な回収を許さない。それでも、たしかに一種のリアリティがある。しかし、それが何のリアリティなのかを明快に説明することは難しい。そもそも夢や無意識とは、そのようなものではないだろうか。 したがって『夏帆』は、批評家が「この小説はこういう作品だ」と脈絡をつけ、意味を確定することの難しい小説である。その意味では、最も純粋なアートの一つなのかもしれない。一方で、拒まれやすい作品でもある。もし小説の世界にも映画のレビュー集積サイト「Rotten Tomatoes」のようなものがあるなら、満場一致の高得点を取るタイプではなく、激しく評価の分かれる作品だろう。しかし考えてみれば、それは村上作品が常に背負ってきた運命でもある。『ニューヨーカー』や『ニューヨーク・タイムズ』のような文化のゲートキーパーが長く村上作品を評価してきたのは、簡単には説明しきれない、しかし本質的な何かが、そこに確かにあると感じているからではないか。 『夏帆』を読みながら、もう一つ意外に感じたことがある。それは、この作品と日本文化との深い結びつきである。ぼくは最近、『ドン・キホーテ』を読んでいる。現実と虚構の関係を、これほどスリリングに描いた作品もない。そのほかにも、このところ、『百年の孤独』、『白鯨』、『高慢と偏見』、『アンナ・カレーニナ』を読んだ。いわゆる世界文学のカノンを中心に読書を続けてきたなかで村上さんの新作に触れたとき、そこに驚くほど強く「日本」を見出す。 村上春樹という作家には、日本的というより、翻訳文学的、世界文学的という印象がつきまとう。だから村上作品から日本を感じること自体が、ぼくには少し奇妙だった。ところが『夏帆』への感想のなかには、「ライトノベルのようだ」「漫画のようだ」という言い方がある。これは褒め言葉にも、けなし言葉にもなりうる。しかしその評言は、この作品が人間の本質や批評的な着地点へと帰着するよりも、キャラクターや設定そのものの吸引力によって動いていることを、的確に捉えているのかもしれない。 日本には、百鬼夜行に連なる無数の妖怪たちがいる。水木しげるさんはその世界を豊かに描いたが、妖怪の一体一体が、必ずしも人間の特定の本質へと回収されるわけではない。八百万の神が森羅万象に宿る文化では、個々の存在に「これは人間のこの本質を象徴している」と明快な意味を与えなくてもよい。西洋文化における聖母マリア、キリスト、十字架などは、人間や救済についての本質的な解釈へ接続しやすい。それに対して日本文化では、さまざまなキャラクターが百花繚乱のように現れ、それぞれが何かの象徴として着地しなくても、そのまま存在することが許される。ポケモンは、その現代的な例と言えるだろう。 そこには、創造の大きな自由がある。意味を一つに決めず、何ものでもありうるという自由である。しかし同時に、何でもありであるがゆえの危うさもある。作品を倫理や人間の本質へと接続しにくく、批評の足場が揺らいでしまうからだ。こうした表現は、芸術や文化の正統的な批評のなかでは、しばしば軽く見られる。「サブカル」という言葉がかつてほど使われなくなった今でも、日本の表現がその周縁へ分類されがちなのは、本質主義的、人間主義的な「大きな芸術」の系譜に結びつけにくいからなのだろう。 以前、キュレーターの保坂健二朗さんが、フランシス・ベーコンの絵には「グランド・マナー」があると語っていた。つまりベーコンの絵は、人間存在の核心、魂の切実な問題へと触れる芸術の系列に連なっている、ということである。日本の作品にも、『源氏物語』や夏目漱石の小説のように、西洋のカノンの系譜から評価されやすいものはある。しかし、英紙『ガーディアン』が世界文学の代表作を選んだ最近のリストに日本作品が一作も含まれていなかったように、三島由紀夫、川端康成、大江健三郎らを含めても、日本文学には世界の「正統文学」へ接続しにくい構造がどこかにある。ノーベル文学賞の候補として名前の挙がる現代の女性作家たちにも、濃淡はあれ、この日本的な表現の特徴は受け継がれているように思う。 『夏帆』を読んでいて、ぼくは村上さんがそのような日本文化の深層へ、意外なほど近づいているのではないかと感じた。村上さん自身がそれを意識しているのかはわからない。このような読みを、もし耳にされたとして、好ましく思われるかどうかもわからない。それでも、本質主義や人間中心主義へ容易には着地せず、世界文学のカノンや正統的な文学観にも単純には接続しないという、日本文化の核心の一つに、村上作品は触れている。世界文学的に見える村上春樹が、実はきわめて日本的な場所に立っている。そのことを『夏帆』は、ぼくにあらためて気づかせた。 結局のところ、『夏帆』が、人間も女性も描けていない、リアリズムを欠いた失敗作なのか、それとも概念の深い力学を扱う、世界文学史上でも稀な独創的作家による傑作なのか、ぼくのなかではまだ答えが出ていない。村上春樹にとっての『夏帆』は、ヘミングウェイにとっての『老人と海』になったのか。あるいは、これからなるのか。作品は読者のなかで時間をかけて育つことがあるし、翻訳され、海外で読まれることで、別の輪郭を見せることもある。だからこの問いは、今のところ開かれたままである。これからさまざまな人の読み、解釈に触れながら、ぼくもさらに考えていきたいし、自分の人生を生きていきたい。
茂木健一郎 tweet media
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波頭亮
波頭亮@ryohatoh·
@gihuboy @YouTube 私自身は田端さんも陽和さんも初めてお会いしたのですが、お二人とも岐阜暴威さんのことを良くご存知でした。 さすがですね。
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岐阜暴威
岐阜暴威@gihuboy·
とても面白い AIが賢さを代替するようになると、信頼感とか影響力とか人間ならではの対人の力が大事になる 会社の看板はいつまで通用する?AI時代の大企業キャリアと個人の生存戦略【NewsPicks/田端信太郎/波頭亮/陽和ななみ/キャリア/生存戦略/... youtu.be/xshdWaeELGc?si… @YouTubeより
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波頭亮 retweetledi
田中渓
田中渓@KeiTanaka_Radio·
ロンジェビティ、アンチエイジング、不老不死と、人間の有限の時間をなんとか伸ばそうとする動きはありますが、   1 有限の時間の体感時間を延ばす 2 一つの出来事が起こった時に、多くの感情、思考、経験を発生させる   によって、有限な時間の感じ方をのばすことができると思ってます   1については、以前「錬時間術」という言葉で書いたことがありますが、今日が昨日の連続で、繰り返しの日が連綿と続いてしまうところに「非日常」を入れること そのことで時間が延びて感じられるようになり、大人特有の気が付けば1年があっという間に過ぎてしまった、というのが大分なくなります   2つ目については、同じものを見ているのに、好き・嫌いだけで判断するのではなく、様々な角度から観察・考察・抽象化をすることで ただ流れていってしまう出来事からたくさんの示唆な学びを得ることができるし、新しい視点を獲得することもできます   僕はそれが理由で、エッセイや小説が好きだったりしますが、それは自分と同じ景色を見ているはずの人が、何故思いつきもしないようなストーリーを生み出すのか、そのスポットライトの当て方や、視点の動かし方が面白いからです   大島育宙さんの「なぜあなたの感想はふつうなのか」という本は、この2のことについて徹底的に書いてあって、   「言語化」という言葉で妥協することなく、感想、考察、批評の概念を飛び越えながら   ・過去との比較 ・一次にあたった人しか得られない情報 ・自分領域でのたとえ ・没頭と俯瞰の行き来   などなどなどなど、「納得できる感想はこうやって生まれるのか」と思わされ、読んだ瞬間からやってみたくなる方法をたくさん紹介されてます   ビジネスの現場でも、 先輩 「今日の会議どうだった?」 後輩 「いや、よかったっすよ」   というふつうの感想にならないで、ビシっといい感想が出せるようになると思います 週末に読んでよかった本です
田中渓 tweet media
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波頭亮
波頭亮@ryohatoh·
@kenichiromogi とんでもないです。 そういう人に憧れているだけの一般人です。
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波頭亮 retweetledi
陽和ななみ Hiwa Nanami
NewsPicksさんで、波頭亮さんがナビゲーターを務める『AI時代の非AI論』 このたび、今回からMCを務めさせていただくことになりました✨ youtu.be/xshdWaeELGc?si… あのNewsPicksさんで、このような貴重な機会をいただけて本当に嬉しいです!! 今回のゲストは田端信太郎さん。 AIを活用することが当たり前になってきた今、「AI時代をどう生きれば代替されない人材になれるのか」について、たっぷりお話を伺いました! ぜひご覧ください!
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陽和ななみ Hiwa Nanami tweet media
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菅原
菅原@sugawara_reeen·
@ryujiikesue @tabbata @ryohatoh モチベーション上がりました。ありがとうございます。 ハードワークを肯定する動画は本当にいい燃料になります。
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波頭亮 retweetledi
池末龍児|いちごベンチャー
「そこまで頑張らなくても…」と思うのは自由。でも、世界には週100時間働いているライバルがいる。プロとして戦うなら、その現実から目を背けてはいけない。 田端さん(@tabbata )と波頭さん(@ryohatoh )のAI時代のキャリア論が興味深い…
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波頭亮 retweetledi
さすけ|SASUKE
さすけ|SASUKE@SASUKE1719278·
おぉーー!波頭亮さんと田端さんが! @ryohatoh @tabbata 会社の看板はいつまで通用する?AI時代の大企業キャリアと個人の生存戦略【NewsPicks/田端信太郎/波頭亮/陽和ななみ/キャリア/生存戦略/... youtu.be/xshdWaeELGc?si… via @YouTube
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波頭亮
波頭亮@ryohatoh·
@KeiTanaka_Radio 最初に知った時に、AI化時代のモデルになる方だと直感しました。 身体性と行動力、知名度・インフルエンス力、独自の価値軸と人生のヴィジョンを着々と実現していく姿に感嘆し、どうしてもお会いしたくなりました。 その節はお忙しい中、融通してくださってありがとうございました。
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田中渓
田中渓@KeiTanaka_Radio·
@ryohatoh ほんとうに! こちらもお会いしたかったのに、アメリカと日本くらい距離があって半年もかけてしまいました… お話できて光栄です
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波頭亮
波頭亮@ryohatoh·
@korimakorima あの時は、勇者や魔法使いではなく平凡なホビットが指輪を火山に捨てに行ったのですよね。 勇者でも手を出せない、魔法使いでも心が揺らぐ指輪! 指輪の魔力に対抗できるのは、人間のナチュラルな心だけというのは、示唆的というのを超えて人と文明の関係の心理だと思います。
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こりま
こりま@korimakorima·
サム・アルトマンが3ヶ月前に公開したブログの文章、本当に名文だと思う。読み返すたびに陰鬱な気分になる。AIへの恐怖は100%正当だ。正しい。AIは怖いものだ。人間社会は歴史上最大規模の変化を迎える。AIを巡って人々は狂う。AIを支配したい欲求は『指輪物語』の力の指輪である。争いが起きる。しかし、もう、AI以前に人間は戻れない。 かつて自分の商売道具(だよね)をこんな陰鬱なトーンで語った大物実業家がいただろうか、と思う。宇宙事業を語る巨頭と全然違う。というか真逆。自動車普及初期、鉄道、印刷事業普及初期のビジネス界の巨頭たちも、もっと熱がこもった、力強い言葉で車や列車、印刷について喋ったんじゃないかな。
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波頭亮
波頭亮@ryohatoh·
AIによって、報酬が与えられる対象は機能的労働から感情労働に変わっていく。 更にその先では報酬は選挙権のように存在に対して付与されるようになる。
Tsubame@Tsubame33785667

トラック運転手の仕事がロボットに代替されたとき、彼らは何をすれば良いのか。「再訓練すればいい」という理屈は通用しない。彼らはプログラマーにはなれない——そもそも、プログラミングという仕事さえ消えるかもしれない。労働を中心に設計された社会制度そのものが、再設計を迫られている。 エマド・モスタク「そして、いま起きているような規模の置き換えに対応できるセーフティネットは、私たちにはありません。 私がよく挙げる実例は、アメリカのトラック運転手です。アメリカには100万人のトラック運転手がいて、その周辺には200万から300万の仕事が依存しています。 彼らは、トラックのドアを開け、乗り込み、そのまま運転していくTesla Optimusロボットに置き換えられるでしょう。そのOptimusのコストは時給1ドル50セントです。そして一瞬で、数千億ドル規模の経済が消えるわけです。 そのとき、トラック運転手は自分のアイデンティティをどうすればよいのでしょうか。 強い教会コミュニティなどを持っていれば、まだ大丈夫かもしれません。住まいを与えられるなら、それも助けになるでしょう。 しかし、プログラミングという仕事自体が存在しなくなるときに、彼らがプログラマーへ再訓練されることはありません。では、彼らは何に向かえばよいのでしょうか。 だから長期的には、社会の中で価値がどう流れるのか、そして私たちは何に報酬を与えるのかを、本当に考え直さなければならないと思います。古典的な資本構造では、それは労働と結びついていました。しかし、その結びつきはいま壊れつつあります。 数年後には、こうなるでしょう。「なぜデジタル労働者を雇う必要があるのか。文字通りのデジタル労働者がいるのに」「なぜこれをやるために人間を雇う必要があるのか。ロボットがいるのに」 そうです。これが本当の危険です。だからこそ、私たちはこの種の問題について大きな議論をしなければならないのです」

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波頭亮
波頭亮@ryohatoh·
@consul_ichinose それくらい大きな大変さを肩代わりしてもらうのに等価な価値(主体性や自由)を譲り渡しているということですね。
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一ノ瀬
一ノ瀬@consul_ichinose·
戦略コンサル総合コンサルの「独立しない会社員は一生会社の都合で生きる」は現代の真理。ただし独立したら税金保険年金等の支払い、事業者登録、登記申請、許認可申請、オフィス家賃支払いなど大変なので会社員のありがたみがわかりますよ
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