

ボクの学生時代のリアル体験談、第10話(全12話)です✍️ 舞台はついに最終章の九州旅行へ🚃 🌻1〜3話 花火編(夏) 🍂4〜6話 バイト編(秋) ⛄️7〜9話 実家編(冬) 🌸10〜12話 卒業旅行編(春) 良かったらコメントに感想をお願いします🙇 これまでの話は、固定ポストにあります👍 ↓↓ 【第10話 最南端の波音】 窓の外では、まだ肌寒い早春の夜風が吹いている。 寝台特急「あかつき」が関門海峡を静かに渡る頃、車窓の向こうの深い闇は、ほんの少しだけ白らみ始めていた。 「初めての九州上陸、おめでとう」 向かいのベッドから、まだ眠たそうな豪(ゴウ)の声がして、ボクを茶化した。 3日前に無事に大学を卒業したボクたちは、今日こうして卒業旅行にきている。 先の見えない未来への不安と、そして彼を独り占めできる数日間の、切ないほどの期待。 遠く、南の地へ。 自分自身の心の行方もわからないまま、ボクは列車の窓から、ゆっくりと明けていく薄暗い朝焼けの空を眺めていた。 東京から数え切れないほどの駅を通過して、列車は早朝の長崎駅に滑り込んだ。 「岳(タケ)、着いたよ」 いつの間にか呼び捨てに変わったその響きにも、すっかり慣れてきた自分がいる。 長崎駅のホームには、早朝にもかかわらず、多くの旅人が行き交っていた。 豪は、道中で一緒に買った使い捨てカメラを取り出し、少年のように目を輝かせて列車の先頭車両を撮っている。 二人の思い出を切り取れるフィルムの枚数は、たったの27枚。 よく考えてみれば、二人だけで並んで写っている写真は、これまで一枚も持っていなかった。 ボクは、通りかかった駅員さんに声をかけ、列車を背景にして二人の写真を撮ってほしいと頼んだ。 「え、俺も入るの?」 少し気恥ずかしそうにする豪の腕を、強引にならない程度に軽く引き寄せる。 肩先が触れ合い、シャッターが切られる。 現像するまでどんな顔をして写っているのか分からない、その不確かさが愛おしかった。 駅で朝食を済ませた後、ボクたちは息をつく暇もなく特急「シーボルト」に乗り込み、鳥栖駅でさらに南下するための特急「つばめ」へと乗り継いだ。 豪が引いた“乗り鉄”のための過酷な行程。 長崎から西鹿児島への移動は、想像以上に長く、遠かった。 車窓の景色は、有明海の穏やかな水面から、不知火海に沿った南国の風景へと、何時間もかけてゆっくりとグラデーションを描くように変わっていく。 長時間列車に揺られ続ける心地よい疲労感の中で、東京から遠く離れた異郷の地にいるのだという実感が、少しずつ輪郭を持ち始めていた。 ダークグレーの重厚な車体が、滑るように走っていく。 車内は落ち着いた静寂が流れていた。 横並びの座席で、豪がカバンからMDプレーヤーを取り出す。 「これ、聴く?」 そう言って差し出されたのは、片方だけのイヤホン。 豪の左耳にはもう、もう片方のイヤホンが収まっている。 受け取った右耳用のイヤホンを耳に入れると、二人の距離は、コードの長さの分だけ必然的に近くなった。 肩と肩が触れそうな距離。豪の体温が、すぐ隣にある。 流れてきたのは、流行りのTKソングだった。 トンネルを抜けるたびに変わる車窓の光を眺めながら、二人で同じ音楽、同じ時間を共有している。 ただそれだけで、心がじんわりと熱を帯びていく。 やがて、曲がサビに差し掛かり、ボーカルの切ない声が耳に響いた。 『君の名前は ずっと忘れずにいたいよ』 そのフレーズが耳を通り抜けた瞬間、ふいに鼓動が早くなった。 もし、これを真顔で口にしてしまえば、気まずくなるかもしれない。 けれど、この旅が終わってしまえば、もうこんな風に隣に座る口実すらなくなってしまう。その切迫感が、ボクの背中を強く押した。 心臓が早鐘のように鳴るのを必死に悟られないよう、ボクは豪のほうに顔を向ける。 そして、半分ふざけたような、からかうような口調を装って、わざと声に出してみた。 「……君の名前は、ずっと忘れずにいたいよ」 冗談めかしながらも、心のどこかでは、豪がどんな顔をして、どんな言葉を返してくれるのか。 そんな淡い期待を隠しきれずにいた。 豪は窓の外に向けていた視線をゆっくりとボクに移し、笑った後に少しだけ呆れたように、意地悪に口角を上げた。 「……名前だけかよ」 低い声。 からかわれたのだと分かっているのに、心臓が大きく跳ねて、喉の奥が熱くなった。 名前だけじゃない。 笑ったときに下がる目尻も、太い指先も、不器用な優しさも。 全部、忘れられるわけがない。 「じゃあ、名前以外も、覚えておくよ」 精一杯の強がりでそう返すと、豪は「なんだそれ」と笑って、再び窓の外へと視線を戻した。 繋がったままのイヤホンから流れる音楽が、ボクの早鐘のような鼓動を隠してくれていた。 夕方、列車は終点の西鹿児島駅に到着した。 ホームに降り立つと、南国特有の少し湿気を帯びた風が、夕暮れの空気を運んできた。 長時間の乗車で強張った身体を伸ばす。 「夕飯にはまだ早いけど、なんか小腹減ったな。軽く食おうぜ」 豪の提案で、駅構内にあるこぢんまりとした蕎麦屋に入った。 間食がわりに温かい蕎麦を頼み、狭いテーブルに向かい合って座る。 出汁の香りが漂う中、豪がふと手を止めた。 彼の手元を見ると、コップの冷水がすでに空になっている。 豪は何も言わず、ごく自然な動作でボクのコップに手を伸ばした。 そして、ボクがまだひと口しか飲んでいない水を、自分の空のコップへ「とくとく」と注ぎ分ける。 「あ……」 声が出かかったが、豪は何事もなかったかのように、半分になった自分の水を飲み干し、また蕎麦を食べ始めた。 氷がカランと鳴る音だけが、小さく響く。 ボクの水をもらうことに、確認すら必要としない。 家族や幼馴染にするような、無防備な行動。 彼が当たり前のように踏み込んできた事実だけが、テーブルの間に残された。 ボクは、分け合って半分になった冷たい水を、その温度を確かめるようにゆっくりと飲み込んだ。 さらに南へ。 列車を乗り継ぎ、ようやく降り立ったのは山川駅だった。 「日本最南端の有人駅」と刻まれた木の看板が、夕日が落ち掛ける橙色の空に溶け込むように静かに立っている。 今夜の宿は、海沿いに建つ年季の入った国民宿舎。 本土の端。 これ以上、道は続かない場所。 果てまで来てしまったのだという実感が、胸を満たす。 通された和室の窓の向こうには、水平線の際にわずかな夕暮れの名残をとどめる、薄群青色の海が広がっていた。 窓を少し開けると、ざあ、と低くやわらかな波音が入り込み、部屋の空気をゆっくりと満たしていく。 夕食を終え、二人で畳に敷かれた布団に寝転がる。 天井の木目をなんとなく目で追いながら、言葉のない時間を共有していた。 聞こえるのは、絶え間ない波のリズムだけ。 東京の喧騒は、まるで別の国の出来事みたいに遠い。 「……俺さ」 静寂を破るように、豪がぽつりと口を開いた。 「こうして男二人で旅行とか、今までしたことなかったから、最初はどうなのかなって思ってた」 突然の思いがけない言葉だった。 豪は天井を見たまま、組んだ腕に後頭部を押しつけ、体を少し動かす。 「大人数ならノリでどうにでもなるけどさ。 サシって、ずっとテンション保たなきゃいけない感じするじゃん」 「……そうだね。豪はいつも皆といるイメージだし。最初は正直、誘っても断られるかもって思ってた」 ボクの言葉に、一瞬の間が落ちる。 畳のきしむ音がして、豪がこちらに向き直った。 真正面から向けられた視線に、鼓動が跳ねる。 「岳とはさ、なんか、気を使わなくていいんだ。 無理して場を盛り上げなくてもいいし、黙ってても気まずくならない。 きっと一緒にいて、楽なんだと思う」 言い終わると同時に、少しだけ気まずそうに視線を外す。 そして、早口で付け足した。 「変な意味じゃねえからな。誘われたから行こうと思ったわけだし」 ぶっきらぼうな声。 けれど、その奥に隠れた不器用な照れが、痛いほど伝わってくる。 強がりの下にある、ほんの少しの本音。 それだけで、胸がいっぱいになるには十分だった。 「……そっか。ボクも、豪といると楽だよ」 静かにそう答えると、豪はわざとらしく大きなあくびをした。 沈黙が降りる前に、今度はボクから問いかける。 「ねぇ、豪。夏に行った花火のこと覚えてる?」 「ああ……もちろん覚えてるよ」 窓からの波の音が、心地よく響く。 「あれからだったよね、よく会うようになったの。 どうして、ボクたちいつも一緒にいるんだろうね」 少しだけ踏み込んだ質問。 息を潜めて返事を待つボクに、豪は少しだけ天井を見つめてから口を開いた。 「なんでだろうな。 ……岳は俺にないものを持ってるからかな」 その言葉を残して、「あー、急に眠気きた」と呟き、豪は背中を向けてしまった。 逃げるみたいに。 でも、その広くて厚い背中はどこか安心しきっていて、ひどく無防備だった。 ないものを持ってるから…。 その言葉が、暗闇の中で静かに反響する。 暗闇の中で響く彼の穏やかな寝息と、すぐ隣にある確かな体温だけが、ボクの欠落を静かに満たしていく微かな希望だった。 ただ、彼の奥にある柔らかな部分に、自分が触れられている。 それだけは確かだった。 波音が途切れることなく続いている。 この夜が、この距離が、このまま止まってくれたらいいのに。 旅行の終わりまでは、あと2日。 終わりがあると知っているからこそ、今がこんなにも胸に沁みる。 本土の最南端。 世界の端に置き去りにされたみたいな小さな部屋で、ボクはただ、すぐ隣にある確かな体温の存在を感じながら、ゆっくりと目を閉じた。 ー続くー


















