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ルカママさん
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ルカママさん
@moemoewankorong
プロテスタントクリスチャン。 面前DVサバイバー。チワワのルカ君を溺愛。線維筋痛症、リウマチ性多発性筋痛症の疑い。犬好きすぎw 最近は哲学カフェにも参戦ちう。絵本&読書&文具&手帳沼 ソロ活したい。🌈Q(DS&R)自認
Katılım Ekim 2010
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内向的であるということは、世間ではとかく面倒なもののように言われるのであって、要するに人づきあいがよくないとか、愛想がないとか、何を考えているのか分らないとかいうことになるのだが、しかし人間が何を考えているかなどということは、もともとそう簡単に分るものでもないし、また分ったからどうだということも、実は余りないのである。
にもかかわらず、すぐに言葉にし、すぐに応じ、すぐに人と打ち解けることが、一種の健康のように思われている。すると、それが出来ない人間はどこか不足しているように見える。
けれども、そういう見方は大体において、世間というものが、外へ出て来るものだけを人間の実体と思っているからであろう。
内向的な人間というのは、外に向かって働く前に、物事を一度自分の中へ入れてしまう。
そこで何が起こるかと言えば、別に大したことが起こるとも限らないのだが、それでも外から来たものがそのまますぐ返って行かずに、一旦そこに留まる。留まるあいだに、それは少し形を変えたり、昔の記憶に触れたり、何でもない別の印象と結びついたりする。そういうことが起こる。
だから内向的な人は、話しかけられてすぐ返事をしないことがある。鈍いのではなくて、言葉がまだその人の中に届いている途中なのである。世間はそういう途中というものを待つのが苦手だから、返事が遅いとすぐに社交性がないということになる。
しかし、社交性というものがそれほど偉いかというと、私は別にそうは思わない。
人間は人と仲よくするのも結構だが、世界と仲よくすることもまた必要なのであって、しかも世界というのは、必ずしも人間関係のことばかりではない。
書物でもよいし、音楽でもよいし、眼の前の午後の光でもよい。そういうものと静かに附き合うには、少しばかり内向的である方が都合がいい。
絶えず人に向って開いている心は、たしかに愛想はいいかもしれないが、物の方へ深く沈んで行くには、少し騒々しいところがある。
内向的な人だけがもつ創造性|+M note.com/mnb196748/n/nd…
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@eryu_K @misekenta 息子様、お誕生日おめでとうございます☺︎꒡̈⃝⌄̈⃝¨̮𝙷𝚊𝚙𝚙𝚢 𝙱𝚒𝚛𝚝𝚑𝚍𝚊𝚢 ☺︎꒡̈⃝⌄̈⃝¨̮
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拝啓
他人への怒りで頭がいっぱいになっているアナタへ。
自分の人生の貴重な時間を、大嫌いな相手に「無料開放」するなんて、とんでもない!
まして何かを言い返したり、連絡したりするのは、火に油を注ぐようなものよ。
怒りの炎をスーッと静める、心の消火術
1 まずは「待つ」、ただそれだけ。
怒り狂っている時は、周りが見えなくなって最悪の選択をしがちよ。できれば丸1日、何もせずに放置しなさい。時間が経てば、驚くほど冷静に「あんなヤツ、どうでもいいわ」って思えるようになるんだから。
2 「出口」を自分で決める。
もし解決したい問題なら、
「ここまでしてくれたら許す」
「こうなったら終わりにする」という落とし所をあらかじめ決めて。ゴールが見えないまま怒り続けるのは、出口のない迷路を走るのと同じよ。
3 関わらないなら「徹底的」に関わらない。
「もういいわ」って決めたなら、思い出すのも、SNSを覗くのも、一切やめなさい。
中途半端に連絡したり、愚痴を言い続けたりするのは、自分で自分の傷口を広げているのと同じ。割切りこそが、最大の防御よ。
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あのね、はっきり言うわよ。
「人間、死ななきゃ生きてる」のよ。
「立派にならなきゃ」
「ちゃんとした大人でいなきゃ」
そんな重たい荷物を背負って、青い顔をして歩くのはもうおやめなさい。
1 生きているだけで、最高。
朝起きて、息をして、今日を生き抜く。これってね、実はとてつもなくすごいことなのよ。特別な才能がなくても、お金がなくても、今日を生きている。それだけでアナタは100点満点よ。
2 失敗なんて、ただの「エピソード」。
仕事でミスした、恥をかいた、誰かに嫌われた……。いいんです。
後になれば「あんなこともあったわね」って語れる、ただの笑い話になるんだから。
3 「どん底」こそ、一番安全な場所。
これ以上悪くならないなら、あとはぼちぼちと浮上するだけ。最悪の事態でも生きていれば、開き直れる。その図太さが、アナタを一番自由にしてくれるの。
もっと気楽に、もっといい加減に、ただ生きましょ。
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人づきあいの距離感のとりかたで、友人が5つにまとめていた。
「急がない、決めつけない、観察する、依存しない、混同しない」
とてもうまいまとめだと思うので、これに従って私なりに言語化してみる。
・急がない
自分の思い通りの反応を相手に期待して、しかもそれを性急に求めてしまう人がいる。
人間は急かされるのが嫌いだし、なんなら他人の期待通りに動くのも嫌い。
だから、「早く自分の期待する通りの反応をして!行動をして!」と急ぐ人は、他人から距離を置かれる。
自分がそうされたらイヤなのに、他人にそれを求めて得られると思うのが大間違い。
「急がない」ってのは、とても大切なことだ想う。
・決めつけない
「嬉しいやろ?」と言われたとき、私は「別に」と、沢尻エリカ様ばりに言いたくなってしまう。
自分がどう感じたかを、他人から決めつけられたくない、というアマノジャクが突如として生まれてしまう。
たとえ実際にはうれしいと思ったにしても、他人から気持ちを見透かされたと思うと、気分は良くない。
人間というのは、みんなではないしいつもではないのだけれど、他人の「意外」に出たい生き物なのではないか、と思う。
「お前は何々だろ」と他人から決めつけられると、反発したくなる。
相手の思惑通りになんかなりたくない。
相手の見通しの中になんかおさまりたくない。
とりあえず、決めつけられたらその外に出たくなる。
もちろん、「外」に出てしまうと損をすることも多いののだけれど、決めつけられたらたとえ損になることが分かっていても、その「外」に出たくなる心理が働く。
人間は基本、決めつけられることが嫌いなのだろう。
だとすれば、「お前はこういう人間だ」「お前はこういう奴だ」と決めつけるのは、人間関係を悪くする。
「決めつけない」って、とても大切なことだと思う。
・観察する
これ、できていない人が多い。
相手を見ているようで、自分の妄想を相手に当てはめていることが少なくない。
相手が好きな場合、自分が理想とする人間像を相手に当てはめたり、相手が憎ければ、あいつは悪の権化だ、と、自分の中で膨らんだ妄想を当てはめたりする。
妄想を眺めて、現実を観察していない。
「いや、そんなことはない、ちゃんと見ている」と反論するかもしれないけれど、その場合の「見る」は「見たいものを見つける」と言い換えることができる。
自分の想像と一致する証拠を見つけては「ほら、自分の思った通り」と、自分の見立ての正しさを確認して、悦に入る。これが「見たいものを見つける」というものの見方。この見方では、自分の妄想を強化することにしか役に立たない。
これに対して観察は「気づかなかったこと、知らなかったこと探し」と言える。だから、見たくないもの、知りたくなかったことを探すことにもつながる。
ナイチンゲールは「観察」について、次のような言葉を残している。
『経験をもたらすのは観察だけなのである。観察をしない女性が、50年あるいは60年病人のそばで過ごしたとしても、決して賢い人間にはならないであろう。』
何十年患者のそばにいようと、「見たいものしか見ない」のでは、患者の重大な変化に気づくことができない。
見たい事実だけを見て「自分の思った通り」と、自分の思い込み、妄想を強化するだけに終わるから。
しかしナイチンゲールの指摘する「観察」とは、それまでの自分が気づかなかったこと、知らなかったことを探そうとすること。だから、様々な変化にいち早く気づくことができる。その変化からどんどん学ぶ。何十年一緒にいようと、わずかな差異を見逃さない。
それが可能なのは、「知っていること探し」をするのではなく、「知らないこと探し、気づいていなかったこと探し」をしているからだと思う。
で、観察をしない人は、相手を目の名目にしていても、自分の想定通りの証拠を見つけては安心してしまう。
観察をする人は、たとえ相手と何十年の付き合いでも、いつもと違う差異を発見し、その新たな事態に対し、どう対処するか仮説を立て、その仮説通りの対処法を試してみて、また相手の変化を観察する。
観察とは、「相手は常に自分の知らない一面を生み出し続ける変化する生き物」と捉え、その差異を発見しては、新たな仮説を立て、対処法を試してみる、という試行錯誤を前提とした行為なのだろう。
この観察をしない人は、相手を決めつけ、毎度同じ対応をしては相手を怒らせ、不愉快にさせてしまうのだと思う。
・依存しない
相手ありきですべてを計画されると、相手はしんどくなる。
二人の学生がいた。片方は、たとえ他人の助けがなくても自分の力で何とか切り開いて見せる、という独立心の強い人間で、さりとて他人の親切を拒否するわけではなく、もし何かしてくれたら「うわー!いいんすか?ありがとうございます!」と、嬉しそうに感謝する。でも、次も同じような恩恵にあずかろうなどという甘えを持たない。すると不思議なもので、周囲は「あいつが喜ぶようなことをもっとしてやろう」と動くようになった。
もう一人の学生は苦労人だったのだけれど、「僕は苦学生です、だから僕を助けることは人間として当然のことです」というのを言葉で言ってしまっていた。何かしてもらうと「ありがとう」と口では言うのだけれど、「この次もお願い」と当然視し、それがないと不満顔になるような学生だった。そのうち、周囲はその学生に何かしてやることが重たく感じられて、関係を断つようになってしまった。
人間というのはアマノジャクな生き物だと思う。相手が依存しようとせず、自分でできることは何でもやってやろう、という気持ちを持っていればいるほど、何かしてやりたくなるし、自分でできることもろくに努力せず、他人の助力を期待して待っているような人間のためには何もしてやりたくなくなる。
それはたぶん、前者のタイプだと、何かをこちらがしてあげると感謝してくれるし、かといって次も期待されるわけではないから、人間関係として対等だと感じることができるからだろう。これに対し後者は、まるで王様にこき使われる奴隷のよう。どこまでも尽くし、与え続けなければならない底なし沼のような王様。対等どころか、奴隷のように感じるから、距離を置きたくなるのだろう。
だから、健全な人間関係を続けるには、「変に依存しようとしない」ことが大切なのだろう。
もちろん、人間は、誰かに依存せずには生きられない。
誰かが服を作ってくれているから、お金を出すだけで服を着ることができる。
誰かが大根を育ててくれているから、運んでくれるから、お金を出すだけで料理の材料として使える。
他人に依存しない生き方は、文明的な生き方をしようとする限り、事実上不可能。
「自立」とは、「たくさんの依存先を持つこと」ともいわれる。だから、「依存しない」という意味は、誰にも頼らない、依存しない、という意味ではない。ただし。
誰か特定の人にベッタリ寄りかかるのは、「依存」。
「依存しない」とは、たくさんの依存先を確保することで、特定の人に過度な負担をかけない、という意味になると思う。
相手がしんどそうな様子を見せたら、そこで依存しない。
少し距離を置くことも大切。一人になりたいときって誰にでもあるのだから。
「依存する」とは、相手の気持ちや都合を無視して「自分が依存したいから」という自分の都合だけで寄りかかってしまうことだと思う。
そうした依存は避ける、ということが、人間関係では大切。
・混同しない
自分事と相手の問題をごっちゃにする人がいる。
「課題の分離」ともいわれるけれど、相手がどう思うかは相手次第。自分が当然と思っていることでも、相手がそれを当然と考えるとは限らない。なのに自他の区別ができず、「ね、これってこうでしょう?」と、自分と感じ方が同じだと決めつける人がいる。こうした人とは、長く付き合えない。
松井秀喜氏がマスコミからバッシング受けていた時、記者からそうしたバッシングをどう思うか聞かれて「他人の考えることは自分にはどうしようもない、自分にできることを精いっぱいやるだけ」と発言していた。まさに「課題の分離」が見事にできていた。
また、「ためしてガッテン」という番組で、お坊さんが喫茶店に入り、コーヒーを頼んだのだけれど、店員は番組が仕込んだスタッフで、何度注文を聞いて「わかりました」とカウンターに戻っても、またお坊さんのところに来て「ご注文はなんでしたっけ?」と尋ねる、という意地悪。これでお坊さんはいつ怒り出すのか試したのだけれど、一向に怒らない。
スタッフ陣がギブアップして、「なんで怒らなかったのですか?」と聞くと、「他人のことはどうしようもない」と答えていた。驚きの「課題の分離」。
そう。私たちは、他人のことを基本、どうしようもない。相手のことは相手に任せるしかない。また、自分のことは自分でどうにかするしかしようがない。自分と他人を混同し、自分の課題はみんなの課題のはずだ、と思い込み、そうでない反応をされるとキレる、というのは、課題の分離ができていない証拠。
まずは、自分が対処するしかない課題は何か、明確に把握する、他人の問題は他人の問題。境界線を明確に把握することが大切。ここで「観察」が重要になる。思い込みでいろいろ考えても仕方ない。現実をよく観察し、境界線を見極め、混同することをなくすことが大切。
以上、「急がない、決めつけない、観察する、依存しない、混同しない」の5つが、人間関係の距離感をほどよく取るのにとても大切なコツだと思う。友人の言葉を踏まえて、私なりに消化するために、あえて自分の言葉で言語化しなおしてみた。
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「休んだ方がいい」と伝える人は多い。だが働かないとごはんは食べていけない。どこかで踏ん張らなければいけない日が来る。とはいえ自分を休ませてあげられるのもまた自分しかいないのも事実。過去私を苦しめていたのは、休むか働くかという二項対立にあった。実際に私に必要だったのは
「休む」ことではなく、自分のエネルギーを何にどう配分するかという編集作業にあった。
疲弊した状態で踏ん張っても、結果は出にくく、回復にも時間がかかる。
重要なのは「休む/働く」ではなく「削れるものを削る勇気」を持つこと。完璧を手放す、人を頼る、優先順位を明確にする。
そして小さな回復を日常に織り込む——通勤中の音楽、昼休みの散歩、寝る前のジャーナリング。
踏ん張る日は確かに来る。でもそれは「いつも踏ん張る」という意味ではない。ここぞというときに力を出せる自分でいるために、普段はギアを落とす。それが持続可能な生き方になるだろう。
自分を休ませられるのは自分だけ。だからこそ、休息を「サボり」ではなく「戦略」として位置づけ直す。そこに罪悪感ではなく、誇りを持っていいはずだ。
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「あ、パニックになりそう」って時の緊急避難先。脳が不安で暴走して、最悪の未来を勝手に再生し始めたら『10秒グラウンディング』を試してほしい。やり方は簡単。今、目の前にある「10個のモノや感覚」を心の中で実況するだけ。たとえば…
・毛布がふわふわ
・光がまぶしい
・床が冷たい
・時計の音がする
・足が地に着いてる
・服のタグがちくちく
・空気の匂い
・手の温かさ
・車の走行音
・呼吸の感覚
意識を「未来」から「今ここ」に強制送還する。これだけで心は着地する。
パニックになりやすい私が、
いちばん助けられてきた方法です。
これからも生きづらさをちょっとラクにする
メンタル術を届けたいので保存&ふぉろー⇊してね💗
@tamaruema
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