りょうご@よしリハ訪看
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りょうご@よしリハ訪看
@ryogo620
(株)BASE代表/R6.4訪看開業(Nr3名PT2名)/お洒落で働きやすい職場にしたい✨/マサ社長×訪問看護ラボのコンサル生/PT16年目/役職経験なしの万年平社員→新米訪看経営者の悪戦苦闘を発信⤴︎ /保健学修士,ブログ,動画編集経験あり/2児父
静岡県榛原郡吉田町 Katılım Kasım 2014
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@vEBNIe6DkZ73596 うちは5:3ですが介護保険下ではリハが多くなりますね💦医療で看護訪問バリバリ行ってても介護では逆転してしまうステーションさんはわりといそうですね!
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訪看は看護がメインなのは理解しつつも、特に開設当初の新規獲得はリハが多いからなぁ。
訪看でリハ介入が多い事業所は潰れるという事態がそう遠く無い未来に起こるか...
りょうご@よしリハ訪看@ryogo620
令和7年度の介護保険下の訪問回数でリハが看護を上回りました…(2141>1854) なので今年度からリハ訪問はすべて減算😭 Ⅰ-5×2:5880→5720 Ⅰ-5×3:7950→7710 予Ⅰ-5×2:5680→5520(12月超5220) 要支援で12月超の利用者は約8%減💦 カイポケだと毎回加算で減算項目を選択しないといけない…
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減算対象とならざるを得ないくらい、開業当時からとにかくリハ依頼だけは多かった
包括からの依頼は特に💦
それだけうちのエリアは訪問リハの事業者が足りていない
必要な方に必要なだけサービスを提供してきた結果、減算対象です😭看護依頼が伸びなかったのもありますが
りょうご@よしリハ訪看@ryogo620
令和7年度の介護保険下の訪問回数でリハが看護を上回りました…(2141>1854) なので今年度からリハ訪問はすべて減算😭 Ⅰ-5×2:5880→5720 Ⅰ-5×3:7950→7710 予Ⅰ-5×2:5680→5520(12月超5220) 要支援で12月超の利用者は約8%減💦 カイポケだと毎回加算で減算項目を選択しないといけない…
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訪問看護指示書の郵送費負担を訪問看護ステーションに求められる医療機関の皆様へ
「訪問看護指示書の交付に係る郵送費等のご負担に関するお願い」
謹啓
時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
厚生労働省による「疑義解釈資料(平成24年3月30日付 事務連絡 問123)」において、以下の通り示されております。
「訪問看護指示書は、医師の診察に基づき、医師の責任において交付するものであるため、医師の所属する医療機関が準備し、その交付についても医療機関の責任において行うものである。」
この解釈に基づき、訪問看護ステーション側が郵送費用等を負担することは、医療機関様に対して「不適切な経済的利益」を提供していると行政より指摘を受ける恐れがございます。
つきましては、誠に恐縮ではございますが、指示書の交付(郵送)に係る費用および封筒の準備につきましては、貴院にてご負担いただけますようお願い申し上げます。
地域医療の適切な連携と、健全な事業運営のため、何卒ご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます。
謹白
---
良かれと思って訪問看護ステーションが負担することは療養規則に抵触します。
郵送費負担をしてくれないと指示書を断られる医療機関もありますが、利用者さんのために、コンプライアンスを遵守した形で、対等に連敬していけたらと思います。
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【訪問看護ステーションのインセンティブ制度について】
「うち、スタッフ辞めないんですよぉ」そう言いながら、バリバリのインセンティブ制で管理している訪問看護ステーションを見かけることがある。よくある仕組みはこう。
基本給は低めに設定し、その代わりインセンティブを高めに設定する。そして月の訪問件数に応じてインセンティブ率を上げていく。100件以上、110件以上、120件以上と件数が増えるほど報酬が上がる。
結果として、月給50万円。求人では「年収600万円可能」なんて打ち出しているところもある。数字だけ見れば、確かに魅力的に映るかもしれない。でも、実際の現場の話を聞くとどうか。
訪問から行くリハビリテーションで、利用者様の夕食後にリハビリに入ったり、朝7時からの早朝リハビリに行ったりしているという話を聞いたこともある。
1日訪問8件以上。そして経営者はこう言う。「うちのスタッフ、ほんと頑張ってくれるんですよぉ」
もちろん、スタッフが頑張っていること自体は素晴らしいこと。ただ、そこで一度立ち止まって考えてしまう。その訪問は本当に利用者様のための訪問なのか。
夕食後や早朝にリハビリに入ることに、本当に意味があるのか。もちろん必要なケースもあるでしょう。
でも、件数を回すためだけの訪問が増えてしまっているのだとしたら、それは本来の医療・介護の姿とは違うのではないかと思う。
特に看護でこのインセンティブ制度を強く導入してしまうことには、個人的には強い危惧を感じている。
訪問看護の支援時間に幅が持たされているのには理由がある。看護は何が起こるかわからない。利用者様の状態も日々変化する。だからこそ、その場で状況を見ながら柔軟に対応できるように、支援時間にある程度の余白が設けられている。
それは看護の質を担保するためであり、利用者様の状況に合わせて、より良いケアを提供するための仕組み。
しかし、強いインセンティブ制度を導入すると、人の思考は自然とこうなる。「1件でも多く訪問しよう」これは人間として当然の心理。件数が増えれば収入が増える仕組みになっているから。
その結果、どうなるか。訪問は効率重視になり、時間は短くなり、サービスの質が下がる可能性が出てくる。特に顕著なのが、ケアマネジャーやドクターとの連携。本来、訪問看護は地域の他職種と連携しながら成り立つ仕事。しかしインセンティブが強くなると「連携しても自分の給料にはならない」という発想が生まれる。
結果として、連携の時間を取るよりも「もう1件訪問に行く」
という行動になってしまう。そしていつの間にか、地域で一番大切なはずの他職種連携の価値が下がってしまう。
もちろん、この業界が単位制である以上、件数をこなさなければ売上が立たないという現実は理解しています。
しかし、倫理観を失った瞬間にこの業界は崩れていくと思っう。ただ収益を上げるだけのモデルでは、医療介護福祉の世界は続かない。
だからこそ、経営者も働く側も目先の利益だけを見るのではなく、長期的な利益を取りにいく思考が必要だと思う。
スタッフの育成に時間をかける。組織を成熟させる。医療・介護の質を上げていく。これは簡単ではない。時間もかかるし、コストもかかる。でも結局、長い目で見ればそれが一番強い。そして結果として一番コストパフォーマンスが良く、利益率が高い経営になると僕は思っている。
訪問看護は、単なる件数ビジネスではない。人の人生に関わる仕事だからこそ、数字だけではなく質と志を大切にする経営をしていきたいと強く思う。
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@asakura_eiyo オンライン同行、とても興味深いです。その場で電話相談するより、実際にLIVEでみてアドバイスもらえた方が双方メリットありますね!
うまく映像を映しながらケアするのに練度が必要でしょうか?オンラインor直接同行で判断に悩む場合もありますか?その他、注意点あれば伺いたいです🙇♀️
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10年ほど前、病院から訪問看護へと転職した頃、人員構成がリハビリ職に偏りすぎている事業者に対して、「おかしい」という声が上がっていました。
その後、看護師とリハビリ職の職員割合を6:4の比率で運営することや、看護師が定期的に利用者さんのもとへ訪問するルールが整備されていきました。
ここ最近になって指摘されている、施設内での過剰なサービス提供の問題については、以前からずーーっと「おかしい」という声が上がっていたと思います。
また、精神科訪問看護に関しても、不必要かつ過剰なサービス提供を行っている事業者がいることに対しても、昔からずーーっと「おかしい」という声が上がっていたと思います。
おそらく、医療・介護に関係のない業種の方々も、この実態を知ると、「公金の使われ方がおかしい」と感じるのではないでしょうか。
しかし、制度の穴を突くような運営を続けてきた企業は、力強い制度改訂が行われてこなかった結果、長年にわたって潤い続け、大きな資本力を備えるに至ったと思います。
ルールを変えることの難しさもあるとは思いますが、真摯に制度と向き合って運営している事業者や、そこで働く職員に正しく還元される仕組みに整うことを、つくづく願っています。
また、「過剰なサービスによる高額な売上」や「紹介会社への高額な紹介料」に対して適切にメスを入れることができれば、現場の賃金改定につなげるための財源を、少しでも確保できるのではないかとも感じます。
国民が納めたお金は、制度の穴を突くような事業者に多く流れ、公金でもあるサービスの対価は紹介会社へと大量に流れています。
本来、お金が届くべき先は、いつ鳴るかわからないオンコールを担い、お看取りなど責任の重い仕事に真摯に向き合っている最前線にいる看護師の手元ではないでしょうか。
news.yahoo.co.jp/articles/b99db…
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福祉を無償と思っている浅はかさ
理想を叶えるためにはお金がかかるということを、弊社の従業員を含め、この業界にいる者の多くが理解していないと感じます。
そこには教育の欠落(日本社会の構造問題)があるように考えています。
日本ではほぼ一貫して、
・労働の対価としての賃金
・組織維持コスト
・失敗時の損失
これらを教えることがありません。
「理念教育」はあっても
「理念を成立させるための原価教育」が無いよな…と。
誰かが犠牲になる前提が無自覚に刷り込まれていて、理想が成立している組織の裏側で「誰かが睡眠を削っている」とか、「誰かが赤字を被っている」、「誰かが責任を背負っている」そんな現実を、見ない・見えない構造があります。
特に日本では「責任者が黙って背負う」文化が強いため、犠牲が可視化されない。むしろ、可視化すると批判がとんでくる始末。
理想を語る人数は多いが、理想の請求書を見たことがある人は極端に少ない。
福祉はボランティアでは無いのですがね。
しかし、これらはこの業界に関わる者達だけでなく、国自体が民間に頼りっきりで報酬も与えない現場があって。
福祉は「無償の善意」ではなく「高度な社会インフラ」なんだと私は常々言っています。
インフラを維持するにはお金がかかるんです。
どこかの馬鹿が
「利用者のためだから」
「福祉なんだから」
という言葉で、 誰かの無償労働・無償忍耐に置き換えるんです。
しかし、お金が無いからと言って、その活動を止めてしまうとその先にいる人たちが生活できない現状があります。
過分な対価を求めているのではなく
相応の対価を求めています。
相応の対価すら支払えないのなら、持続はしない。
福祉はボランティアでは無い。

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訪問看護ステーションで良いリハを提供するために
リハの修了(卒業)のこと
目標を適切に設定したり、目標の到達度合いを確認したり、家族や利用者自身と話をしたり、ケアマネジャーや主治医などの多機関と相談したりすることが、訪問によるリハの修了(卒業)には必要だと思います。
セラピスト自身にとっても簡単なことではないんですよね。
だからこそ、このプロセスに慣れるというかなじむことも必要かなと思います。
すべてのケースに適用できるとは思わないけれど、適用できるケースから取り組んでいくことで、セラピスト自身が「リハの修了(卒業)」という経験を積んでいくことが必要です。
病院では退院することがリハの修了になりますが、生活期ではずっと続くこともあり、修了というプロセスに慣れていないセラピストは多い。
そこに事業所の売り上げに関しての指示や命令などがあればますますリハの修了は難しくなる。
だからこそまずは事業所の方針が大切。
そうしてセラピスト自身がリハの修了というプロセスを学んでいくことが肝心。
全ケースにいきなり適用するものではないけれど、適しているケースはけっこういると思います。
やまだリハビリテーション研究所
作業療法士
山田 剛
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点滴なんてしないほうがいい。
点滴するから食べられなくなる。
ある講演を聴講した。
点滴をやめ、大好きなものを口にして、うれしそうな患者さんの映像が流れる。
そして感動のコメントが溢れる。
でも、うんうんと素直に頷くことができない自分がいた。
―――
そんな僕もかつては点滴忌避派だった。
「点滴はもういらない」
そんなタイトルの本を共著させてもらったのはちょうど10年前だ。
それまでは、在宅医療で食べられない人がいたら普通に点滴をしていた。
栄養を入れてあげたほうがいいかもしれない。
アミノ酸やビタミンが配合された末梢輸液製剤をよく使っていた。
一時的に食べられなくなった人でも、点滴でその間の命をつなぐことで、また食べられるようになることがある。
在宅医療を始めてから、そんな成功体験も重ねてきた。
だから、食べられない=とりあえず点滴をしよう。
最初のころはそんな在宅医療をやっていた。
そんな中、小川利久さんに出会った。
小川さんは特養で「自然な看取り援助」を実践していた。
老衰に伴って食事量が減っていくことは自然なこと、その経過を受け入れることで、穏やかな最期を迎えることができる。
確かにその通り。死が避けられない時は必ず来る。
そんな時に点滴をしても無意味だ。
頭ではわかった。
絶食状態においてはβエンドルフィンやケトン体が出現し、それが苦痛を緩和する作用があるということ、点滴をすることで平穏な最期が妨げられる可能性があるということ、欧米諸国においては終末期の点滴は時に虐待と認識されることがあるということ・・
特に終末期の点滴の功罪について学んだ。
それでも、点滴をしない、という選択にはぬぐい切れない違和感もあった。
でも「科学的根拠」に基づいて実践してみることにした。
患者さんが人生の最終段階にあることを本人も家族も周囲も受容できているケースにおいて、敢えて点滴をせずに経過観察するようにした。
多くは穏やかな最期を迎えられた。
本人に苦痛症状は少なく、死前喘鳴も軽微で、文字通り、萎れた植物が枯れていくような経過だった。
そんな経験を重ねる中で、下河原忠道さんと出会った。
下河原さんは日本の高齢者ケアのあり方に強い違和感を持ち、自ら高齢者住宅事業に乗り出した社会起業家だ。
彼は、高齢者が最後まで生きがいをもって生き切れる理想の社会を、その人の主体性をケアで支える「すまい」を提供することで実現しようとしていた。
医療で生かされるのではない。
最後まで自分で生きる。
余計な薬は飲まない。
余計な点滴はしない。
本人の生命力が最大限発揮できる環境を整えることで、最後までその人の望む暮らしを支え続ける。
そんな運営方針と、それに呼応する入居者たち。
ここには今でも忘れられない患者さんがたくさんいるし、穏やかで満たされた旅立ちに何度も立ち会わせていただくことになった。
そんな二人にインスパイアされたのもあり、人生の最終段階の医療の在り方について問題提起する一冊を共著させていただくこととなった。
それが「点滴はもういらない」だ。
―――
その後、臨床経験を重ねる中で、僕の考えは少しずつ変わってきている。
介護付き有料老人ホームに入居する高齢+終末期がんのある患者さんの看取りに関わる中で、施設の看護師さんからこう言われたことがある。
「先生が終末期に点滴をしない方針ということは理解しています。多くの人がそれで楽に過ごせることもわかりました。でも、この人には点滴をしていただけないでしょうか。この人はその方が楽に過ごせるような気がするんです。」
90代の悪性リンパ腫の女性だった。
食事はほとんど摂取できていない。尿量も減少しつつあり、日の単位だと家族には説明していた。がん性疼痛はほとんどなく経過をされていたが、確かに時折、眉間にしわをよせ少し辛そうな症状をしていた。
看護師さんの提案に従い、補液をしてみることにした。
1日に500ml。不感蒸泄でほぼ相殺されてしまう量だ。
しかしその後、彼女は穏やかさを取り戻した。
日の単位と予想していたが、その後3週間、比較的落ち着いた状態で過ごすことができた。家族は毎日のように訪問してくれて、週末にはお孫さんも集まってにぎやかに過ごされていたそうだ。
点滴をしなければ、食べられない人は枯れる。
しかし、それがその人にとって本当に枯れるべきタイミングなのか。
その見極めは本当に難しい。
中には根腐れをする人もいるかもしれない。
でもたとえ終末期であったとしても、少しの水分で潤いを取り戻し、本人にとっても家族にとっても、それが一時的なものであったとしても有意義な時間を確保できる人もいる。
終末期の点滴は「いい」のか、「悪い」のか。
こういう議論は不毛だと思う。
それはその時々の病態によって違うし、患者や家族の価値観や人生観によっても違う。そもそもそれが本当の終末期なのかどうかの判断も難しい。
重要なのは、それが本人にとって利益になっているのか否かではないか。
僕はいま、点滴の中止(不開始)の判断については慎重だ。
患者本人が点滴は必要ないと意向表明しない(できない)状況において、点滴をしないという決断に懐疑的な意見があるなら、少量で補液を試してみてもいいのではないか。
痰が増える、吸引が増える、浮腫が目立つようになるなら減量・中止を検討する。それでもいいのではないかと思う。
大切なのは、点滴をするかしないか、ではなく、本人にとってその時点での最善の選択は何なのかを丁寧に考えることではないか。
また「点滴(または経管栄養)をするから食べられない」という意見についても、僕はそんな単純なものではないと思っている。
点滴(経管栄養)で食べていない人は、本当に食べられない人か、あるいは食べることのリスクが過大評価されているか、そのいずれかだ。前者であれば点滴をやめても食べられるようにはならないし、後者であれば点滴をしていても食べられる。
むしろ脱水の補正がされていなければ唾液の分泌は減少、嚥下に悪影響を及ぼすし、食欲も意識レベルも低下する。適切な水分や栄養の補給は、むしろ食機能を回復するための重要な治療手段だと認識している。
大切なのは、個々の食べる機能の適切なアセスメントではないか。
好きなものなら食べられる、確かにそんな人もいる。
最後の思い出作りに好きなものを1つ口に含ませるだけなら、そんなチャレンジをしてみてもいいかもしれない。
でも、いわゆる「食べられる人」は少なくとも老衰の末期ではない。
補液を含む適切な栄養治療を併用しながら、食べる機能をきちんと評価しながら食支援を進めていくほうが成功率は高いし、本当に食べさせてあげたいと思うなら、そうすべきではないか。すでに確立された方法論があるのだから。
点滴や経管栄養を中止してみて「食べられたらそれでOK、食べられなかったら看取り」みたいなラフな判断で本当にいいのか。
10年前の僕なら素晴らしい!と拍手喝采していたかもしれないけど、食支援の部分についてはちょっと納得できなかった。
日ごろから食支援に関わっておられる方々がこの講演を聴かれたらどう思うかな。
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